小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

九月二十七日

2011-07-31 | 嘉永二年

主人は学校の当番なり。
昼前、権七に田中へ重を返しに行かせ、帰りに「岡伝」で砂糖を取ってこさせた。
また「同五」へもやって米を一臼ついてきた。
良蔵は昼過ぎに書役所から呼び出しがあったとかで行く。
明日は松江に行く予定なので夜になって寿司を作る。
昼間は着物の裾直しで大忙しだった。
「魚九」でカマス三を一匁と十八文、「魚久」でくずし(ちらし寿司?)一匁三分で取る。
「直覚」では花もめんを六尺切ってもらい代金は五分八厘だった。
三浦に断り(なんの?)を入れた。少々不快な感じを受けたようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする