もうハッキリとした日にちは覚えていないけれど、
春休みに入る直前だったから、多分今頃の時期だよねー
今から24年前の今頃、私の家の電話がなったー
それは、一年近く前から入院していた私の友達が死んだと言う連絡でしたー
ハッキリとした病名は知らなかったけれど、
長い入院生活から、かなり重症な病気なんだとは感じていたー
でも、まさか死ぬとは夢にも思っていなかった。
まだ、数ヶ月前にお見舞いに行ったばかりだったのにー
受話器を持ったまま、その場で泣き崩れた事を覚えているー
電話を掛けてきてくれた友人が、淡々と告別式の説明をしていたのに、
私の泣き声に我慢できず、泣き出していたー
亡くなった友達は、白血病でした・・・
まだ、骨髄バンクも存在していなかった頃ー
棺桶の中の彼女は、とても綺麗だったー
ぽっちゃりしていて、ニキビが沢山出来るのが彼女の悩みだったー
でも、いつのまにか顔はスッキリとして、ニキビはひとつもなかったー
そして、その枕元には、小さなオルゴールドールが1つー
私たちがお見舞いに持っていった物だったー
彼女のお母さんが話してくれた。
私たちがお見舞いから帰った後も、
彼女はそのオルゴールドールをとても大切にしていて、
毎日オルゴールを鳴らせては、
「早く学校に戻って、みんなに会いたいな。」と言っていたとー
私たちは、後悔の嵐だったー
ナゼ、もっと会いに行かなかったのか!
こんな事になると知っていたら、何十回でも会いに行ったのに!
担任の先生は彼女の詳しい病状を知っていた。
私たちは先生に「なぜ病名を教えてくれなかったんだ!」と責めたー
もう高校生だったから、先生が私達に教えられないことは充分わかっていたけど、
それでも、誰かに当たらずにはいられなかったー
先生は一言、「スマン。」と涙を浮かべながら言ったー
ここから後は、2006年4月28日の記事に書いたけれど、
この記事を書いてから約2年経った今、
ドナー登録出来なくなった事はやっぱり今でも悔しいけれど、
まだ後遺症のショックから立ち直れなかったこの時よりは、
気持ちは落ち着いているー
彼女の死を経験してから、私の心の中の片隅には常に死が置かれているー
人間いつかは必ず死ぬのだ。
だから、いま出来ることは、今しないといけない!
もし、ある日突然私に死がおとずれて、あの世で彼女と会った時に、
「ちゃんと人生送ってきたからね。」と胸を張って言える様にー
だから、いつでも何事にも真剣に一生懸命取り組む。
時にはそれがひとり空回りして、周りの人に迷惑になる事もあるけれど、
でも、一生懸命 今を生きてるー
たぶん、私の心の中の死とは、イコール ”彼女との再会”なんだと思うー
ねえ、今も天国から私を見てくれていますか?
ドナー登録は出来なくなってしまったけれど、でもそれまでに献血は沢山したよ。
献血カード、3枚も持ってるんだから。
ドナー登録の変わりに、今は「臓器提供意志表示カード」を持ち歩いてるよ。
モチロン、全部に○をつけてる。
ありがとうね。
あなたのおかげで、私は手術が決まった時も怖くなかった。
今死んでも後悔はない!と思えたー
そして今も、
今度あなたに会った時に、「kokiyu、何やってたのよ!」って叱られないように、
一生懸命、毎日頑張ってるよ。
少し暖かくなった風に吹かれながら、青い空を見上げてつぶやいてみるー
ねえ、聞こえた?
春休みに入る直前だったから、多分今頃の時期だよねー
今から24年前の今頃、私の家の電話がなったー
それは、一年近く前から入院していた私の友達が死んだと言う連絡でしたー
ハッキリとした病名は知らなかったけれど、
長い入院生活から、かなり重症な病気なんだとは感じていたー
でも、まさか死ぬとは夢にも思っていなかった。
まだ、数ヶ月前にお見舞いに行ったばかりだったのにー
受話器を持ったまま、その場で泣き崩れた事を覚えているー
電話を掛けてきてくれた友人が、淡々と告別式の説明をしていたのに、
私の泣き声に我慢できず、泣き出していたー
亡くなった友達は、白血病でした・・・
まだ、骨髄バンクも存在していなかった頃ー
棺桶の中の彼女は、とても綺麗だったー
ぽっちゃりしていて、ニキビが沢山出来るのが彼女の悩みだったー
でも、いつのまにか顔はスッキリとして、ニキビはひとつもなかったー
そして、その枕元には、小さなオルゴールドールが1つー
私たちがお見舞いに持っていった物だったー
彼女のお母さんが話してくれた。
私たちがお見舞いから帰った後も、
彼女はそのオルゴールドールをとても大切にしていて、
毎日オルゴールを鳴らせては、
「早く学校に戻って、みんなに会いたいな。」と言っていたとー
私たちは、後悔の嵐だったー
ナゼ、もっと会いに行かなかったのか!
こんな事になると知っていたら、何十回でも会いに行ったのに!
担任の先生は彼女の詳しい病状を知っていた。
私たちは先生に「なぜ病名を教えてくれなかったんだ!」と責めたー
もう高校生だったから、先生が私達に教えられないことは充分わかっていたけど、
それでも、誰かに当たらずにはいられなかったー
先生は一言、「スマン。」と涙を浮かべながら言ったー
ここから後は、2006年4月28日の記事に書いたけれど、
この記事を書いてから約2年経った今、
ドナー登録出来なくなった事はやっぱり今でも悔しいけれど、
まだ後遺症のショックから立ち直れなかったこの時よりは、
気持ちは落ち着いているー
彼女の死を経験してから、私の心の中の片隅には常に死が置かれているー
人間いつかは必ず死ぬのだ。
だから、いま出来ることは、今しないといけない!
もし、ある日突然私に死がおとずれて、あの世で彼女と会った時に、
「ちゃんと人生送ってきたからね。」と胸を張って言える様にー
だから、いつでも何事にも真剣に一生懸命取り組む。
時にはそれがひとり空回りして、周りの人に迷惑になる事もあるけれど、
でも、一生懸命 今を生きてるー
たぶん、私の心の中の死とは、イコール ”彼女との再会”なんだと思うー
ねえ、今も天国から私を見てくれていますか?
ドナー登録は出来なくなってしまったけれど、でもそれまでに献血は沢山したよ。
献血カード、3枚も持ってるんだから。
ドナー登録の変わりに、今は「臓器提供意志表示カード」を持ち歩いてるよ。
モチロン、全部に○をつけてる。
ありがとうね。
あなたのおかげで、私は手術が決まった時も怖くなかった。
今死んでも後悔はない!と思えたー
そして今も、
今度あなたに会った時に、「kokiyu、何やってたのよ!」って叱られないように、
一生懸命、毎日頑張ってるよ。
少し暖かくなった風に吹かれながら、青い空を見上げてつぶやいてみるー
ねえ、聞こえた?
”Blowin' In The Wind”(風に吹かれて)
<param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/3UZxLhOzO9M&hl=en"></param><param name="wmode" value="transparent"></param>
涙が止まらない
http://www.youtube.com/watch?v=3UZxLhOzO9M
http://music.geocities.jp/upopvocal/blowinw.html
様々な想いがつまっていますね。
=の部分は名言ですね。
人間誰でも死ぬんだけれども
仲の良い人・知ってる人が死ぬと
不安になる。悲しいとかよりも怖くなる。
いつか自分が死ぬという事が。。。
死んだらどないなるんやろ・・・。
まあ,そういうことは考えないでおこう。
でも,全く考えない訳にもいかない。。。
生と死はつながっている。だから,出会いも別れもつながっている。でも,死や別れは新たな出会いのキッカケになる。そう思えたらいいかなあなんて思ったりダメなのか~?と思ったり。。。
だからkokiyuさんは 味わい深いのよ・・・
今生では今生で・・・
来世では来世で・・・・また会えますように
そして、自分もその死と隣り合わせにいるのだということを思い知らされる。
私の友人が、亡くなる一週間前に電話をくれた。
「このところ、疲れてしまって・・・3日間寝てるのよ。」その時、私は何を話したのだろう・・・何か出来ることはなかったのかと・・・
お葬式の日、桜が雪のように舞い散る美しい春の日だった。そのときは、自分の死について考えた記憶はなかったけれど、桜の散る頃になると必ずその思い出が蘇り、元気でいられることの有難さや死はだれにでも平等にやってくることを思い知らされる。
kokiyuさんは、素敵です。前向きに自分に正直に・・・とても言いお話、ありがとう!
いつもは1人1人にコメント返信するんだけど、
今回だけは、まとめて書きます。ごめんなさい。
なぜ私たちが担任の先生を責めたのかを書かせてね。
彼女は最初ウチの市内の病院に入院していたんだけど、
半年くらい経った頃、名古屋の大きな病院に転院したの。
あの頃の私達にとって名古屋は大都会で、
とても気軽に行ける場所ではなかった。
ある日、教室で担任が私達に言ったの。
「今度名古屋まで見舞いに行くから、
行きたいヤツは車に乗せてってやるぞ。」ってー
私たちは大喜びで先生と一緒にお見舞いに行ったよ。
でも後から考えたら、たぶん彼女はもうこの時には
末期だったんだと思うー
先生はそれを知っていて、最後に会わせてやろう。と思ったんだとー
だけど、そんな事を知らない私達は、帰ってきてからも先生に、
「今度はいつ行くの?次行く時も必ず連れてってね。」と言っていた。
そして彼女に会ったのは、その時が最後だったー
私、この時17歳だったけど、
物心ついてから自分の周りの人間が亡くなった事がなかった。
初めて身近な人が亡くなったのが、私の友達だったー
思春期真っ只中のショックはかなり強烈だった。
だから、よけいに彼女の事が忘れられないのだと思う。
今ね、私たちが通っていた高校のスグ傍に、
大きな総合病院が建設中なの。
もしあの頃、この病院があったなら、
彼女をあんな遠くの病院で
1人で逝かせなくて済んだかもしれないー
なんて、建設途中の病院を見ながら思うよ。
気が付いてなかったけど、今日はお彼岸だったんだね。
彼女の事を書く気になったのは、
あやさんのブログのコメを書いたからだけど、
このタイミングでこの記事を私が書いた事は、
偶然かな・・・