ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

ご先祖様・・・って

2019年04月05日 02時38分15秒 | 思う事・・・
先日、主人と私とコデブの3人で歴史物のテレビ番組を見ていて、我が家のご先祖様の話になりました。

詳しく調べた事は無いんですけど、
私はたぶん、根っからの東海人で、私の祖父母の住んでいた場所や家紋、あと苗字などを考えると、
恐らく、美濃のまむし(斉藤道三)あたりの家臣か、あるいは明智光秀関連ではないか?と思われます。

コ「あの家紋は光秀関連だから、光秀やられた時に落ち延びて来た家臣じゃね?
私「そんな昔からいるのかなあ~?でも苗字から行くと、同じ苗字が一番多いのは三重県の岐阜県寄りの辺りなんだよねえ~
コ「それか、関ヶ原の合戦辺りで逃げてきたヤツとか?」
私「コデブはどうしても武士にしたいのか~? 最初っから山奥に住む農民だったかもしれないじゃない。」
コ「でも、それにしては、昔の家が集落から離れすぎてるじゃん。集落の方に引っ越したのは、俺から見て曾曾爺さんの時で、
  その前はエラク不便な山の中に家があったよな?」
私「まあねえ~。確かに集落から離れた、更に山奥に数件の家を建てて住んでたみたいだからねえ~。」
コ「ホラ、やっぱりどっかの戦で負けて逃げてきた落ち武者グループが、山奥で隠れてコッソリ住んでたんじゃね?
  んで、農民として暮らして何代か変わった頃に集落の中に入っていったんじゃね?」
私「まあ、ウチは分家だから、私が分かるのは分家になった曾爺さんの代までのくらいの事で、
  それ以上前は本家にでも聞けば分かるかもしれないけど、でもその本家も、もう跡取りがいないからね~。
  唯一残っている小父さんは、きっとそんな昔の事知らないだろうしね。」
コ「戸籍調べても分からないかな?」
私「戸籍っていつ頃からあるのか知らないけど、もし本当に道三の頃からだったら、まず分かんないだろうね。
コ「そっかあ~」

さて、ここから主人のご先祖の方の話になっていくのですが、
実は、主人の父方の方のご先祖には、ナント、外国人がいたりします。
え~っと、主人から見て、主人の父方の曾曾曾爺さんに当たる方が”オランダ人”なんだそうです。
主人の小さい頃の記憶では、主人のお爺さんは目の色が青かったそうですよ。(クォーターになるから?)
私も結婚した当時、一度だけお会いしたことがあるんですが、そこまでしっかり見なかったし、もうご高齢で分からなかったですけどね。
主人はモチロン、主人のお父さんも普通の黒い目ですけどね。あ、少し茶色いかな?でも日本人なら普通だと思う。
主人は、もともと九州の熊本の方から来ている一族?なので、長崎もあった事だし、外人の血が入っている人がいてもおかしくないのかな?

さて、ここから、じゃあ主人の曾曾曾爺さんのオランダ人は、いつ頃九州にいたのか?とコデブと考え始めました。

コ「九州って言えば、やっぱり宣教師かな?」
私「う~んと、島原の乱っていつ頃だっけ?
コ「1630年くらいだったかな?」
私「って事は、いまから300年以上も前じゃない!ありえないわ。
コ「ああ、そっか!」
私「現代から逆に計算してったら良いのよ。単純に全員30歳で子供が出来たと仮定すると、え~と・・・
コ「おやじと、爺ちゃんと、曾爺ちゃんと、曾曾爺ちゃんで、30×4は120年。」
私「ご先祖のオランダ人さんがいつ日本に来たかは分からないけど、単純に120年以上前に日本にいた。となると、え~っと?」
コ「120年前なら、明治か?」
私「明治は1868年からだから、そのくらいだね~。」
コ「でもさ、もっと前から日本にいたかもしれないじゃん。もしかしたら幕末にもいたかもよ?
私「う~ん、ちょっとどうかなあ~?オランダ人さんが何歳だったかも分からないしねえ~。」
コ「若い頃に宣教師とかで来たら、幕末にも関わってるかもしれないじゃん!」
私「宣教師とは限らないよね?当時は外国からの偉い人?公使とか商人もたくさん来ただろうし。」
コ「そっか、九州で結婚したのかも分からないし、もしかしたら自国へ帰ってるかもしれないしー」
私「だいたい、お相手の曾曾曾婆ちゃんが、どんな人だったのかも全く知らないしねえ~。」
コ「もし宣教師じゃなくて、オランダの政府関係の人だったら、坂本竜馬とか西郷隆盛とかにも会ってるかも!
私「分かんないよ~。外国からの公使だって、お供も連れてきてるだろうしね~。」
コ「熊本まで行って戸籍調べてみたら分かるかな?」
私「明治くらいなら、あるんじゃない? あ、でも、戦争で焼けてなければ。だけど・・・」
コ「ああ、そっか。まあメンドクサイから調べないけどお~。

こんな話をしていたんだけど、私が考えると、
いくら明治の初期とはいえ、その当時、外国人と結婚する日本の女性はまずいなかっただろうと思う。
だとしたら考えられるのは~

1・宣教師が信徒の日本娘に手を出した?
2・公使がお遊びで芸者とかに手を付けて子供出来ちゃった?
  あるいは、日本にいる間だけの夫婦もどきをしていた?
3・日本の娘が外国人に乱暴されて妊娠した?
4・実は曾曾曾婆ちゃんは遊女だった?

う~ん、知識の無いアホな私には、これくらいしか思いつかないなあ~
でも今回コデブと話していて、曾曾曾爺さんのオランダ人よりも、
日本人だった、曾曾曾婆ちゃんの方に興味が行ったわあ~。
おそらく明治の初期の頃に、外国人との間に子供を作るって、かな~り周りから白い目で見られたのでは?
クオーターの曾爺さんですら目の色が違ったんだから、ハーフの曾曾爺さんは、もっと外人の色が濃かったかもしれない。
だとしたら、日本で生きていくのは大変だっただろう。

私「ねえコデブ、詳しく調べたら、もしかしたらオランダに、とお~~~~~~~~い親戚がいるかもよ?
コ「遠すぎるは!


☆ 残念ながら私にはオランダ人の血はないけど、
  ウチの子供達には、遺伝的にも、ほ~~~~んのチョッピリだけど外国人の血が入ってる事になる。
  きっとオランダに、とお~~~~~~~~い、とお~~~~~~~~~い、親戚がいるんだ。
  と思うと、ちょっと面白い

☆ 主人の記憶によると、むかし熊本市内に住んでいた曾爺さんを、熊本の小さな島から来た曾婆さんが一目惚れして、
  猛アピールした結果、熊本市内から曾婆さんの住む小さな島に婿に来てもらった。らしいー
  目の色が他の人と違う曾爺さんに恋しちゃう曾婆さん、想像したらチョット可愛い~。

☆ でも確かに曾爺さんって、当時の男の人としては、かなり背の高い人だったなあ~。