ああ~、もう梅雨はダメですねえ~。目が全然言う事を聞きません。
昨日コチラに来てくれた方、更新出来なくて申し訳ありませんでした。
それでは今日のお話しですー
今日は、私の中学生活の中で、一番強烈なイメージが残っている友達の話しー
彼女は中学2年の時、東京から来た転校生でした。
こんな田舎町の中学校に、東京から来る子って珍しい・・・
でも、誕生日も近くて、同じ名前だった事もあって、
私達はすぐに仲良くなりました。
彼女は音楽が趣味でした。
今ではそれほど珍しくも無いけれど、当時の田舎ではトンでもなく珍しかった
シンセサイザーを個人で持っていました。
だから、彼女はウチの中学に来ると、スグ音楽部に入部したんです。
でも、当時のウチの中学の音楽部は、音楽部とは名ばかりの合唱部でしたー
そこに突然現れた彼女。
音楽部の改革を始めました。
それまで音楽準備室に眠っていた楽器を引っ張り出し、
楽器の演奏が出来る子を集め、小さなバンド?らしき物を作りました。
バンドと言っても、吹奏楽部すらないウチの中学にある楽器といったら、
木琴・鉄琴・ピアノ・太鼓・トライアングル・リコーダーなどなど
とてもバンドと呼べるような物ではありませんでしたが・・・
主に演奏した曲は洋楽やクラッシック関係が多かったと思います。
当時水泳部だった私は、水泳部がヒマになる秋から冬にかけてだけ参加。
(つまり私は、春・夏は水泳部。秋・冬は音楽部に行ってました。)
最も、楽譜も読めず、楽器の演奏なんてほとんど出来ない私は、
もっぱらパーカッション担当でしたが、それでも楽しかったー
楽器や物がないながらに、みんなでアイデアを出し合って演奏したよね。
「青い影」の演奏に、どうしても波の音を入れたくて、
ダンボールに ”じゅず玉”を入れて作った波の音ー
あの時使ったダンボールは、ウチのコタツの板を入れてたダンボールで、
みんなに言わなかったけど、私は後から母親にエラク叱られたんだよね。
「コタツを片付ける箱がなくなった!」ってね。
だから今でもウチの実家のコタツの板には箱がないままです。
音楽部の顧問の先生は、合唱をやらせたくて仕方がありませんでしたー
でもゆうことを聞かない生徒達ー
だからお互い譲歩して、音楽部の発表をする時は、
演奏する曲の半分は楽器で演奏、後の半分は合唱でした。
中学卒業と同時に、彼女は東京に戻りました。
たった2年間だけの付き合いでしたが、
田舎の中学生には充分刺激的な日々でした。
あれから25年以上ー
彼女は現在、プロの作曲家・ピアニストです。
海外でも認められ、舞台やミュージカル、TVでもいろんな番組に曲を提供していたり、
CDも発売してますし、音楽講師としてNHKの番組にも出演してました。
もちろん、ライブ活動もしています。
きっと皆さんも、
知らないまでも一度はどこかで彼女の曲を耳にしていると思いますよ。
ネットでも検索すると沢山出てきます。
彼女の公式WEBサイトもあるので、ここでも紹介しようと思ったけれど、
彼女のプロフィールには、こんな田舎で過ごした事など書かれているはずもなく、
せっかくのイメージを壊しても申し訳ないので、やめときますね。
今から思うと、私達には刺激的で楽しかった2年間も、
彼女にとっては、とんだ回り道だったのではないか?と思います。
父親の仕事の関係上、仕方なかったとはいえ、
こんな田舎町に来ずに、あのまま東京にいたら、
きっともっと有益な日々が過ごせていたのではないか?とー
まあ、もう昔の話しー
昨日久しぶりに彼女のHPを覗いたら、
1年半ほど前に子供を出産したそうです。
ママになった彼女は、きっとまた、ステキな曲を思いつくことでしょうー
今頃だけど、出産おめでとう。
遠くの田舎町から、いまでも応援してるよー
あなたと同じ名前の、はるか昔の友人よりー
日記@BlogRanking
↑今では全く違う世界に住んでる友人へー
ポチッとね。
人気Blogランキング
↑あのときの交換日記は、ウチの実家の物置の一番奥にしまわれたままー
ポチッとな。
-『ユッコ姉の別荘』は、現在 ”人間育て・・・” のお話し-
昨日コチラに来てくれた方、更新出来なくて申し訳ありませんでした。
それでは今日のお話しですー
今日は、私の中学生活の中で、一番強烈なイメージが残っている友達の話しー
彼女は中学2年の時、東京から来た転校生でした。
こんな田舎町の中学校に、東京から来る子って珍しい・・・
でも、誕生日も近くて、同じ名前だった事もあって、
私達はすぐに仲良くなりました。
彼女は音楽が趣味でした。
今ではそれほど珍しくも無いけれど、当時の田舎ではトンでもなく珍しかった
シンセサイザーを個人で持っていました。
だから、彼女はウチの中学に来ると、スグ音楽部に入部したんです。
でも、当時のウチの中学の音楽部は、音楽部とは名ばかりの合唱部でしたー
そこに突然現れた彼女。
音楽部の改革を始めました。
それまで音楽準備室に眠っていた楽器を引っ張り出し、
楽器の演奏が出来る子を集め、小さなバンド?らしき物を作りました。
バンドと言っても、吹奏楽部すらないウチの中学にある楽器といったら、
木琴・鉄琴・ピアノ・太鼓・トライアングル・リコーダーなどなど
とてもバンドと呼べるような物ではありませんでしたが・・・
主に演奏した曲は洋楽やクラッシック関係が多かったと思います。
当時水泳部だった私は、水泳部がヒマになる秋から冬にかけてだけ参加。
(つまり私は、春・夏は水泳部。秋・冬は音楽部に行ってました。)
最も、楽譜も読めず、楽器の演奏なんてほとんど出来ない私は、
もっぱらパーカッション担当でしたが、それでも楽しかったー
楽器や物がないながらに、みんなでアイデアを出し合って演奏したよね。
「青い影」の演奏に、どうしても波の音を入れたくて、
ダンボールに ”じゅず玉”を入れて作った波の音ー
あの時使ったダンボールは、ウチのコタツの板を入れてたダンボールで、
みんなに言わなかったけど、私は後から母親にエラク叱られたんだよね。
「コタツを片付ける箱がなくなった!」ってね。
だから今でもウチの実家のコタツの板には箱がないままです。
音楽部の顧問の先生は、合唱をやらせたくて仕方がありませんでしたー
でもゆうことを聞かない生徒達ー
だからお互い譲歩して、音楽部の発表をする時は、
演奏する曲の半分は楽器で演奏、後の半分は合唱でした。
中学卒業と同時に、彼女は東京に戻りました。
たった2年間だけの付き合いでしたが、
田舎の中学生には充分刺激的な日々でした。
あれから25年以上ー
彼女は現在、プロの作曲家・ピアニストです。
海外でも認められ、舞台やミュージカル、TVでもいろんな番組に曲を提供していたり、
CDも発売してますし、音楽講師としてNHKの番組にも出演してました。
もちろん、ライブ活動もしています。
きっと皆さんも、
知らないまでも一度はどこかで彼女の曲を耳にしていると思いますよ。
ネットでも検索すると沢山出てきます。
彼女の公式WEBサイトもあるので、ここでも紹介しようと思ったけれど、
彼女のプロフィールには、こんな田舎で過ごした事など書かれているはずもなく、
せっかくのイメージを壊しても申し訳ないので、やめときますね。
今から思うと、私達には刺激的で楽しかった2年間も、
彼女にとっては、とんだ回り道だったのではないか?と思います。
父親の仕事の関係上、仕方なかったとはいえ、
こんな田舎町に来ずに、あのまま東京にいたら、
きっともっと有益な日々が過ごせていたのではないか?とー
まあ、もう昔の話しー
昨日久しぶりに彼女のHPを覗いたら、
1年半ほど前に子供を出産したそうです。
ママになった彼女は、きっとまた、ステキな曲を思いつくことでしょうー
今頃だけど、出産おめでとう。
遠くの田舎町から、いまでも応援してるよー
あなたと同じ名前の、はるか昔の友人よりー
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↑今では全く違う世界に住んでる友人へー
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