蒲田耕二の発言

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ブラック・ユーモア?

2017-04-10 | 社会
筒井康隆が40年ぐらい前に発表した小説に『大いなる助走』というのがある。文壇と文学賞を徹底的に風刺したブラック・ユーモアの傑作だ。

前半、文芸同人に参加している金持ちの中年女性が出てくる。彼女は友人に対する見栄だけで参加していて文才などは元よりないから、作品を合評会でこっぴどく扱き下ろされる。

初めは平静を装っているが、同人たちの遠慮のない悪口にキレてしまい、逆上して差別用語満載の悪罵を吐き散らす。「カカカカカカ下層階級の。百姓の。……(作品の価値を)あなた方は生まれつき分かりません死ぬまで分かりませんエエエエエエエエ分かりませんとも」(手許に本がないので、記憶で書いてます)

これだけじゃピンと来ないかも知れないが、前後の文脈を合わせて読むとハラが痛くなるほどおかしい。初めて読んだ当時、電車の中など人前で不意に思い出し、こみ上げてくる笑いを抑えるのにオレは苦労したものだ。

これに対して、慰安婦像に関する「侮辱的」ブログ。あれは、笑って読める文章かね。

といっても、何もネトウヨ諸氏のいう反日親韓スタンスで筒井をバッシングしようってんじゃないよ。

正直なところ、対馬の盗難仏像返還停止以来、オレは韓国が嫌いになった。最近の韓国は、あまりに筋の通らないことが多い。大使館と領事館前の慰安婦像設置だって、嫌がらせ以外に建設的な意味があるとは思えない。

だから、筒井のブログがどれだけ韓国民の神経を逆なでしたか、元慰安婦の心を傷つけたか、なんてリベラルの常套句は使わない。

しかし「あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう」−−これって筒井が得意とする風刺といえるか。むしろ一昨年、シャルリー・エブドがムハンマドを侮辱した事件を連想させないか。

風刺は、弱者が強者に対抗する手段の一つだ。弱者が使うからこそ、広く共感を集めることが出来る。強者が対等以下の存在を風刺すれば、それは弱い者いじめでしかない。

フランス国内で少数派の移民は、強者ではない。韓国の元慰安婦は、日本に対する強者ではない。

筒井のブログを読んでオレが感じたのは、ユーモアではなく寒々とした精神の荒廃だった。川島永嗣の腕を4本にしたり、福島原発事故後に3本足の力士のマンガを描いたりしたフランス人を思い出した。

かつて筒井康隆は、オレの最も好きな作家の一人だった。新刊が出るたびに、飛びつくようにして読んだ。しかしどんな才能も、老化には勝てない。読むに耐える小説を書いていたのは2003年の『ヘル』ぐらいまでだ。『聖痕』なんてホント、箸にも棒にもかからない駄作だったもんなあ。

あのブログは「炎上狙いもあった」などと言ってるが、それは後付けの理由だろう。実のところ、筒井はトシのせいで自分が何を書いているのかさえ、よく分かってなかったと思うよ。
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