山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

鞍馬から貴船へ 1

2017年01月07日 | 寺院・旧跡を訪ねて

2016年11月18日(金)
一昨日(16/11/16)高雄の紅葉を見てきたが、京都でもう一ヶ所訪れたい所があった。鞍馬から貴船です。以降の天気予報がハッキリしないので、この日に出かけることにしました。鞍馬・貴船の紅葉は、チョッと早い気がするのですが・・・。ネットの紅葉情報では”見頃”となっているが、当てにはならない。
鞍馬へは、数十年前の若かりし頃、営業をサボって友人と時間潰しに行った記憶があるが、木の根道の印象しか残っていない。貴船は初めてです。貴船はおっさん一人で行くような所ではないのだが、好学(?)のため足を向けます。

 叡山電鉄・鞍馬駅へ  


京阪電車・出町柳駅を降り、そのまま地上に出ると叡山電鉄・出町柳駅です。ローカル風の小さな駅ですが、比叡山、大原、鞍馬、貴船など京都を代表する観光地への路線なので、リュックを背負った人が多く、いつも混んでいます。
紅葉シーズン限定(11/5~11/27)の秋のもみじ展望列車「きらら」号が運行されていた。一部分ですが、窓ガラスが天井付近まで大きく、座席が窓側向きになっており、座ったまま窓外の紅葉を満喫できる。ホームへ入ると運よく止まっていた。運転席越しに写真を撮るため、最前席に座る。7時55分発「きらら」号です。

市原駅と二ノ瀬駅間の約250m区間は「もみじのトンネル」と呼ばれ、夜(16時半以降)にはライトアップされ幻想的な風景が広がるそうです。線路の両側をモミジが覆い、赤く染まる紅葉を列車の車窓から眺めることができる。車内の灯りは消され、速度を落として運転してくれます。昼間も速度を落として、楽しませてくれました。

叡山電鉄・鞍馬線の終着駅・鞍馬駅。早朝のせいか人は少ないが、ここでも中国人が目立つ。駅横に、電車の先頭部と動輪が保存・展示されている。案内板によれば、昭和3年鞍馬線開通時の車両で、平成6年に引退するまで65年間走り続けてきたという。「この車両の一部を保存展示し、当社の歴史にその名を留めたいと思います」と結ばれている。

駅前に巨大な天狗のお面が睨んでる。鞍馬寺がある鞍馬山は天狗が住む山として、古くから都の人々に畏怖されてきた。鞍馬山の天狗は「僧正坊(そうじょうぼう)」と呼ばれ、日本各地に出没する天狗の総元締めだそうです。「鞍馬天狗」、東映映画の時代劇しか思い浮かばないが・・・。

 鞍馬寺・仁王門  


8時半、まだ静かな鞍馬寺の門前町を通り、仁王門前に着く。鞍馬駅から5分程の距離。紅葉が紅い天狗の顔とダブってくる。仁王門の両側には湛慶(たんけい、運慶の長男)作と云われる仁王尊像が睨みを利かせている。柱に掲げられた仁王門の説明書きに「寿永年間(1182-1184)に建立されたが、明治24年に炎上したので、明治44年に再建され、更に昭和35年に移築修理が加えられた。向かって左側の扉一枚は寿永の頃のものである。仁王像は湛慶作と伝えられ、明治の再建時に丹波よりお移しされたという」とある。門前の左右にあるのは、狛犬ではなく阿吽(あうん)の寅。唐招提寺の開祖、鑑真和上の高弟鑑禎が夢のお告げで鞍馬山に登ると鬼女に襲われたが、毘沙門天によって助けられた。その日が寅の月、寅の日、寅の刻だったので、鞍馬寺では寅を大切にしている。

仁王門奥に受付があり、登山費名目で300円徴収されます(公式サイトでは「愛山費」となっている)。通路中央に「浄域」の立て札が。これから俗界を離れ浄域の世界に入るのです。正面石垣下に、観音様の漣華から流れ落ちる浄水があります。汚れを落とし清浄な気持ちで山へ入りましょう。
受付所には、熊出没への注意書きが貼り出されている。これは清浄な気持ではいられないゾ・・・。

鞍馬山の模型。晋明殿内にあったものです。

 晋明殿と鬼一法眼社  



仁王門からすぐの所に晋明殿がある。1992年に建てられ、一階の正面に智慧の光を象徴する毘沙門天像を祀っている。

晋明殿の二階は、鞍馬山鋼索鉄道ケーブル山門駅となっている。昭和32年鞍馬山ケーブルが敷設され、鞍馬寺という宗教法人が運営する珍しい鉄道会社。多宝塔駅まで、距離は200m、約2分で着くという日本一短い鉄道。料金は、運賃でなく”寄進料”で片道200円。「鞍馬山ケーブルは、足の弱い方や年配の方が少しでも楽に参拝できるように敷設されたもので営利事業ではありません。 そこで運賃を戴くのではなく、鞍馬山内の堂舎維持にご協力いただいた方に、そのお礼としてケーブルを利用していただくということになっています」とおっしゃっておられます。
ケーブルを使うと坂道を登らなくてもよいが、九十九折参道には、鬼一法眼社や「鞍馬の火祭り」で有名な由岐神社など見所もある。ケーブルに乗ってしまうとそれらに寄ることができない(帰りに寄る、という方法はあるが)。お寺も「清少納言や牛若丸も歩いた道です。健康のためにも、できるだけお歩き下さい」と、ケーブルカーを利用しないことを薦めている。良心的ですネ。

健康のため歩きます。すぐ右手に小橋と紅い社が見えてくる。牛若丸に兵法を授けたと云われる武芸の達人・鬼一法眼(きいちほうげん)を祀っている「鬼一法眼社」です。
鬼一法眼は伝記「義経記」に登場する人物。京の一条堀川に住んでいた陰陽師で、文武両道にもすぐれ、中国から伝わった天下の兵法書「六韜三略」(りくとうさんりゃく)を秘蔵していた。17歳の義経は噂を聞き、見せて欲しいと頼んだが断られてしまう。そこで一計をめぐらし、法眼の娘と親しくなり、鬼一の館に出入りする。そして密かに盗み読みし暗記してしまう。こうして義経の武芸者としての基が築かれていった。
鬼一法眼は創作か?、実在したか?。その後、人形浄瑠璃や歌舞伎の演目「鬼一法眼三略巻」の題材となって庶民を楽しませてくれている。

右手崖上の祠には、鞍馬寺の本尊の一尊である護法魔王尊が祀られている。その前が「魔王の滝」と呼ばれ、修行の場だったようです。

 由岐神社(ゆきじんじゃ)  



「鞍馬の火祭り」で有名な由岐神社が見えてきた。入口の門と思いきや、そうではなかった。これは本殿前の拝殿です。案内板に「重要文化財の拝殿は、慶長12年(1607)、豊臣秀頼によって再建されたもので、中央に通路(石階段)をとって二室に分けた割拝殿という珍しい桃山建築で、前方は鞍馬山の斜面に沿って建てられた舞台造(懸造)となっている」と書かれている。割拝殿(わりはいでん)は幾つか見てきたが、舞台造(懸造)で通路が階段というのは初見です。

割拝殿を潜り、御神木の大杉の横の階段を登ると由岐神社の本殿です。
祭神は、大己貴命と少彦名命。由緒書きに「天変地異が続く都を鎮めるため、天慶3年(940)、御所内に祀られていた祭神をこの地に勧請したのが当社の始めとされ」とある。京都の北方を鎮護する神社として創建された。世の平穏を祈願して、矢を入れて背に負う「靫(ゆき)」を祀っていたことが、現在の神社名の由来となったという。
その祭神勧請の際に、村人がかがり火を焚き、鴨川の葦で作った松明をもって迎えたという。それにちなんで毎年10月22日に行われるのが例祭「鞍馬の火祭」です。松明が燃えさかる火の祭典として知られ、京都三大奇祭の一つとなっている。

 九十九折(つづらおり)参道  


仁王門から緩やかな坂が続いている。標高は、仁王門が250m、本殿金堂が410m。高低差160m、約1キロの坂道を登ってゆきます。折れ曲がっているところから「九十九折参道」と呼ばれている。由岐神社辺りから、本格的な九十九折の坂道となる。

由岐神社を出てすぐの左手の階段上に義経公供養塔がある。この辺りには、かつて多くの僧院が建っていたようだ。その一つに東光坊阿闍梨(とうこうぼうあじゃり)の僧坊跡があります。遮那王と名乗った幼少の牛若丸(源義経)は、7歳から約10年間ここに預けられ住み、昼は学問、夜は奥の院まで通い武芸に励んでいたという。牛若丸伝説はこの僧坊で暮らしていた時のお話です。その後義経は、16歳の時鞍馬寺を出て、関東から奥州平泉に下ります。
僧坊跡に、義経公を偲んで昭和15年(1940)に義経公供養塔が建立されました。

右側の赤い社は「川上地蔵堂(かわかみじぞうどう)」。ここの地蔵尊は義経公の守り本尊であったと伝えられ、牛若丸が日々修行に行くとき、この地蔵堂に参拝していたと伝わる。

小さな広場があり、新興宗教らしきモニュメントに出会う。「愛と光と力の像「いのち」」の説明書きがあり、読んでみると「この像は、鞍馬山の本尊である尊天(宇宙生命・宇宙エネルギー・宇宙の真理)を具象化したものです。像の下部に広がる大海原は一切を平等に潤す慈愛の心であり、光輝く金属の環は曇りなき真智の光明、そして中央に屹立する山は、全てを摂取する大地の力強い活力を表現しています。この愛と光と力こそは、宇宙生命・尊天のお働きそのものであり、先端の三角形はその象徴です」とある。なんと鞍馬寺が創作したモニュメントでした。白砂利が敷かれているのは枯山水庭園を意識しているのでしょうか?。「浄域」鞍馬山には不似合いに感じるのだが・・・。

「いのちの像」から双福苑をすぎ、しばらく緩やかな坂道を登って行きます。九十九折参道の中ほどに中門が構えている。中門は、もともと仁王門の脇にあったもので、勅使門または四脚門と呼ばれ、朝廷の使いである勅使の通る門でしたが、この場所に移築されました。

門をくぐり、更につづら折りの坂を登って行く。この中門からは敷石の道になり、本殿金堂まで石造りの階段が多くなる。
この九十九折(つづらおり)の道は清少納言が『枕草子』で「近うて遠きもの、鞍馬のつづらおりといふ道」と書き残しています。変化にとみ、日陰で心地よく、緩やかな坂道なので「近うて遠きもの」という感じはしませんでした。清少納言の時代は、これほど整備されていなかったのでしょう。
次の折れ曲がり位置に、奥に直進する道がある。この道は「新参道」と呼ばれ、鞍馬寺ケーブルの終点・多宝塔駅からの平坦な道です。ここが合流点です。

最後の急階段が待っている。これを登ると本殿金堂前にでる。階段中ほどに転法輪堂(洗心亭)がある。転法輪堂は昭和44年(1969)の建立で、内陣に丈六の阿弥陀如来像が安置されている。併設されている洗心亭は、参拝者のための無料休憩所とギャラリー。簡単な軽食も用意されているそうです。





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