山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

奈良 桜 二景 (高田川河畔)

2015年04月26日 | 名所巡り

 高田川河畔(高田千本桜)  



2015/4/4(土)
12時前、JR王寺駅に戻り、JR和歌山線で高田駅に向かう。王寺駅から5つ目の駅だから近い。高田駅の西出口より真っ直ぐ西へ3~4百m歩けば府道132号線に沿って流れる高田川、それに架かる高田橋に出会う。もうこの付近は桜一色。昼過ぎなので、人の流れも多くなっている。

高田川は曽我川の支流で、大和高田市を南北に貫流する。高田橋の上から眺めると、川を覆い隠すように両岸から桜が覆いかぶさっている。護岸工事がされているためかやや川幅は狭くなっているが、もう少し水量多くて屋形船を浮かべ舟上から桜見物できたら最高でしょうネ。

堤防上を100mほど南へ歩けば大中公園への入口が見えてくる。この辺りの堤防下には遊歩道が設けられ、それに沿った芝生斜面が一番の桜鑑賞場所となっている。
大和高田市の公式HPに「千本桜の秘話」が載っています。
昭和23年(1948)1月、市制施行を記念して、高田川沿いの堤防に延長2キロメートルサクラ並木をつくる計画を立てた。サクラ苗木は、市内の町内会から、数本ずつの寄贈をうけ、その数は千本を少し越えたという。ところが、河川の堤防にサクラを植樹すると堤防を弱くするという理由で県が許可しなかった。そこで当時の市長が進駐軍の奈良軍政府司令官ヘンダーソン大佐に協力を求め、やっと植樹できたという。
樹齢60年を超えた見事な桜並木は、今や奈良県を、いや関西を代表する桜の名所になっています。

「高田千本桜」と呼ばれ、大中公園を中心に川の両岸南北2.5キロメートルにわたり、見事な桜並木が続きます。その中心が大中公園。三室山と違い、こちらは多くの屋台が並び賑わっている。夕闇とともに、ぼんぼりに灯が入り、ライトアップされた夜桜を見物できるそうです。そのころはすごい人の波でしょうネ。


大中公園の真ん中には大中池がある。池の中に浮舞台が張り出している。「桜華殿(おうかでん)」と呼ばれる本格的な能舞台。岸から渡り廊下で結ばれ、ヒノキ造り65平方メートルの舞台となっている。
池の中に浮かぶ姿は優雅で、能・狂言・雅楽などの芸能が行われるのなら、夕方まで待っても良いかな、と思った。しかしそれらしき様子もければ、案内も無い。満開の桜シーズンで土曜日だというのにもったいない気がします。
以前この舞台で白拍子の舞が演じられたという。白拍子といえば源義経に見初めらた静御前が有名です。雪の吉野山で義経と別れた静御前は、捕われ鎌倉へ送られたが、晩年は母・礒野禅尼の故郷ここ大和高田でその生涯を閉じたと伝えられている。公園の片隅に「静御前記念碑」があるそうだが、見つけられなかった。この舞台で、桜吹雪を浴びながら舞う白拍子の姿を見てみたいものです・・・。
水面に映る“さかさ桜”も綺麗!!。公園の半分は芝生の広場。土曜日とあって宴で盛り上がっていた。ここではバーベーキューもOKのようです。

大中公園から南へ歩きます。高田川に沿って桜のアーチはどこまでも続く。ソメイヨシノがほとんどだが、山桜,彼岸桜などもあるようです。この景色を見ると、桜吹雪の舞う中を歩いてみたくなります。


やがて大中橋へ。ここが南の入口のようですが、堤防沿いの桜並木はまだまだ南へ続いている。関西を代表する桜の名所となった「高田千本桜」、これから夕方にかけてまだまだ人出が増えてきそうです。

大中橋上から撮りました。北側は行楽できるように整備され、皆さん楽しそうに食事をされている。南側は整備されておらず、誰もいてません。川岸で花見見物できるのは大中橋までのようです。

河畔の桜並木はさらに南へ続いている。近鉄電車の踏み切りに出会うあたりで、ようやく桜並木は途絶えます。視界が開け、西方に二上山が見えてきた。「馬の背」を挟み、右の雄岳と左の雌岳の形がよくわかる。



詳しくはホームページ

奈良 桜 二景(三室山)

2015年04月20日 | 名所巡り

 2015/4/4(土) 三室山へ 


今年の桜の開花は早い。明日からの天気予報は良くないので、4日(土曜日)に出かけた。奈良県の桜の名所・三室山です。奈良県生駒郡斑鳩町神南(じんなん)4丁目にあり、JR大和路線・王寺駅と斑鳩・法隆寺の間に位置する。王寺駅から王寺の町を抜け、大和川に架かる昭和橋を渡る。大和川沿いに東へ進み、支流の竜田川に沿って北上すると桜の山が見えてくる。地図では近くに思えたが、実際に歩くと遠かった。30分はかかります。

三室山の歴史は、遠く飛鳥時代、聖徳太子が斑鳩宮造営にあたり、太子の出生地の飛鳥神名備の産土神をこの地に勧請されたのが由来とされ、その神々は現在山の中腹にある神岳神社に祀られている。そこから神南備山(かんなび)、三諸山(みもろ)と呼ばれ、現在の地名である「神南(かんなび)」の由来となっている。
三室山を含め竜田川の川畔上下1.4キロが「県立竜田公園」となっており、春には桜、秋には紅葉の名所となっています。

三室山の正面を過ぎた辺りに岩瀬橋がある。国道25号線に架かる橋で、車の往来も激しい。三室山の全景をビューするにはこの橋上が一番の場所です。
三室山は標高82メートルで高くない。山というより丘といったほうが相応しいかも。全山桜一色・・・といいたいが、今見えているこちら側の山半分だけです。西(裏)側は住宅地(公園もあるのかナ?)。

三室山を含む周辺には、ソメイヨシノを中心に約300本の桜が植えられ、ピンク一色に染まった景観を見せてくれている。この周辺にはコンビニ、食事などの店はありません。露天などもも見かけないので、スッキリしている。その分、食べ物、飲料など持込しないと困ることに。

岩瀬橋を渡り左に曲がると三室山への入口(登山口)になる階段が見える。入口の石垣には、和歌が詠まれたパネルが埋め込まれています。
「嵐吹く 三室の山の もみじ葉は 竜田の川の錦なりけり」
   (能因法師、百人一首 69番、1049年(永承4年)後冷泉天皇の宮中の歌会詠み)

「千早ふる 神代も聞かず 竜田川 からくれないに水くくるとは (在原業平)」

稀代の色男として知られ百人一首で有名な在原業平(825-880)も、この麓の道を天理の櫟本から河内の高安(現在の大阪市八尾市)まで河内姫のもとへ通ったとされている。いつからかこの道は、「業平道(なりひらみち)」の名で呼ばれるようになったとか。

どちらも竜田川の紅葉をたたえた歌のようです。竜田川といえば昔から紅葉の名所として百人一首にも詠まれ、現在でも周辺の竜田公園は秋は紅葉の名所とされる。しかし桜を詠った歌はきかない。ここの桜はいつの時代に植えられたのでしょう?。

ところで、万葉集や百人一首に詠まれている「三室山・竜田川」はここ斑鳩町のものではなく、近くの三郷町のものを指す、という説もあります。地図を見れば三郷町にも三室山(1372m)がそびえている。江戸時代からどちらが元祖かの議論があったという。三郷町のほうが有力なようだが、法隆寺に近く早くから観光地化された斑鳩町のほうが有名になってしまったようだ。

三室山の南側中腹に神岳神社(かみおか)が鎮座している。小さな神社で、祭神は大己貴神、須佐之男神。聖徳太子が斑鳩宮を建てるとき、三輪山の神を三室山に祀り、太子の勅願所として祭祀されていたが、いつしか祭神は須佐之男命に替わったという。拝殿と一間社春日造・銅板葺屋根の本殿は新しいが、狭い境内は荒れている。

神岳神社から山上まではすぐです。山上には一服し、桜景色や大和の風景を一望できる休憩所が設置されている。
休憩所の横に高さ1m90cmの能因法師の五輪塔が建っている。もとは神南の集落にあったとされるが、三室山が公園として整備された際に山頂に移された。

能因法師(のういんほうし。988~1050)は摂津国古曾部(こそべ。今の大阪府高槻市)で生まれ、本名は橘永(ながやす)。大学で詩歌を学び文章生となったが26歳の若さで出家し、甲斐、陸奥、伊予など諸国をふらりと旅して歌を詠む漂泊の歌人となります。三室山麓の神南集落の三室堂に住んだことがあり、三室山にもしばしば遊びに来ていたとか。漂泊の旅で一生を送った中古三十六歌仙の一人。のちの西行法師・松尾芭蕉などにも大きな影響を与えたとされています。


山の上からの眺めも良い。北方には桜木立の間から生駒山が望まれ、その麓が平群の里です。東は法隆寺のある矢田丘陵方向を眺めれる。桜花の隙間から大和の町並み、山々が遠望できる。
桜吹雪も舞うが、これって写真撮るのが難しい。諦めた。


詳しくはホームページ