山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

六甲全山縦走(三日間) 4

2018年03月31日 | 山登り

2017年11月 三日間かけてですが六甲全山縦走に挑戦した時の記録です。今回は二日目(11月16日(木))の後半、市ケ原から記念碑台まで。

 布引ハーブ園へ  


市ケ原、桜茶屋を後にして山へ入っていく。ちょっとした坂道が続きます。20分ほど登ると、右側に布引ハーブ園に通じる階段が現れる。ハーブ園に立ち寄ってみることに。
小さな上り下りが続く尾根を5分ほど歩くとハーブ園の建物が見えてきた。
たどり着いた所はハーブ園の裏側のようです。入口を探すがなかなか見つからない。鉄柵が閉められている。鉄柵は踏み越えられるような高さだが、不法侵入のようで気が引ける。しかしよく見ると「ハイキング道出入口」とあり、柵を開いて入ってください、とあります。鉄柵は錠がされておらず、簡単に開きました。

中は遊園地のような雰囲気。レストラン、土産店、展望台などがあります。このハーブ園まで登って来るには三ノ宮の繁華街に近い新神戸近くの神戸布引ロープウェイを使用する。帰りもロープウェイで降りるしかない。この往復のロープウェイ代1400円(片道だけなら900円)が、布引ハーブ園への入園料に該当するようだ。
ロープウェイを利用せず、登山やハイキングで登り、裏から入ればタダで入園できる。ハーブ園にとってはあまり歓迎したくない訪問者なのです。入口が判りづらいのも止むを得ないか。
展望台からは神戸の中心街が間ぢかに望まれる。そして展望台のある最上部の施設から下へ、山腹の中ほどまでがハーブ園として公園となっているようだ。

 摩耶山へ(稲妻坂・天狗道)  



布引ハーブ園であまりユックリしてもいられないので、元の分岐路に急いで戻る。11時過ぎ、これから摩耶山(702m)目指して厳しい稲妻坂、天狗道の登りへ向う。
ここに周辺の案内図と、山の断面図が掲示されている。摩耶山頂上(掬星台)までかなりの覚悟が必要なようで、気持ちを引き締めます。こうした図は非常に助かり、励みになる。しかし六甲山では少なすぎます。
案内図では「神戸布引ハーブ園(有料公園)」とあるが、裏から入り出てゆけば無料公園・・・。

これから摩耶山(702m)への厳しい坂道が続きます。ここからは「稲妻坂」と呼ばれているだけあってかなりの急坂だ。

平坦な道となり,右(東)側から登ってくる登山道に合流する。新幹線の新神戸駅裏からスタートし,旧摩耶道そして学校林道と名を替え,ここまで続いている。この合流点から先が「天狗道」と呼ばれる坂道となる。

学校林道との合流地を過ぎ天狗道に入ると,始めは平坦な歩きやすい道が続く。少し下る所もあります。
神戸の中心街が真下に垣間見えます。

普通の山道から,道が削られ岩盤がむき出しになった道に変わってきました。ゴツゴツした岩場の連続です。加藤文太郎や天狗ならスイスイ登っていくのでしょうが,そうもいかないので岩に手を添え足を踏み上げ,踏ん張りながら少しずつ登っていく。体力的には確かにキツイものがある。しかし単調な急坂よりは,変化に富み刺激があるだけにユックリ登ればそれなりに楽しめるものだ。須磨アルプス以来こうした変化に満ちた岩場はなかった。
六甲山縦走路の中でも最大の難所といわれる天狗道の登りだが,私にはそれほど苦にはならなかった。

天狗道でもこうした景観が楽しめます。

急な岩場も,傾斜がゆるくなってきた。天狗道も終わりだろうか?

最後の岩場を登る。階段を登ると平坦な尾根筋の道となる。12時半、平坦部に出るとテレビ塔が建っている。NHKとFM放送の電波塔らしい。

 摩耶山(掬星台)  


摩耶山上にたどり着いたが、展望台のある掬星台までは少し歩かなければならない。舗装路を歩いていると右手に入る道が見えます。案内表示によれば,摩耶山三角点が置かれているという。脇道に入ってみます。
すぐ紅い鳥居と小さな祠が表れる。祠は天狗岩大神を祀っているそうです。天狗岩は摩耶山の僧が山中に出没する天狗を閉じ込めた岩だそうです。
この祠の裏側に摩耶山三角点が置かれ,「摩耶山頂 標高698.6m」の木札が立っている。

もとの舗装路に戻り,掬星台目指して歩く。左手は紅葉が美しい「摩耶自然観察園」で,花や野鳥が観察できる。その反対側は「麻耶山史跡公園(旧天上寺跡)」です。元々天上寺があった所ですが昭和51年(1976)の火災でほとんどの建物を焼失してしまう。その後天上寺は,北へ600mほどの現在地に再建され,旧地は神戸市によって公園として整備された。
午後1時、掬星台に到着。掬星台の広場は広く、トイレや休憩所もある。ちょっと寒いので,広い休憩所内でバーベキューしているグループもいる。

掬星台(きくせいだい)の目玉は,「六甲山の1000万ドルの夜景」展望台。夜景でなくても,昼景も十分楽しめる。現在は寒い時期なので人出は多くないですが。
広場の隅に摩耶ロープウェーの乗り場「星の駅」があります。途中で摩耶ケーブルに乗り継いで市街地まで下山できる。

眼下に、神戸の中心街、さらに阪神間の街並みが遠望できる。

 摩耶山天上寺(てんじょうじ)  



掬星台を後にして摩耶山天上寺へ向かう。天上寺まで700mとなっています。
周辺の山を眺めると,すっかり秋らしい彩りとなってきています。

全山縦走路を外れるが,天上寺を訪れてみる。
すぐお寺の白塀が見えてくる。白塀の中ほどに登り階段があり,山門が見えます。
天上寺はもともと掬星台の南方にあったが、昭和51年(1976)の火災でほとんどの建物を焼失してしまう。北へ600mほどの現在地に再建された。天上寺の旧跡は現在「麻耶山史跡公園(旧天上寺跡)」として整備されています。

階段を登れば,お堂の建つ広場です。
広場の奥は、本尊の厄除けの秘仏・十一面観音が祀られている本堂。本堂の右横は「摩耶夫人堂」。天上寺は、大化2年(646)に孝徳天皇の勅願を受けたインドの高僧・法道仙人の開基と伝わる。弘法大師空海が唐より釈迦の生母・摩耶夫人像を持ち帰り、この寺に納めたことから「摩耶山」と呼ばれるようになった。
お堂の前は枯山水風の庭。道を挟んだ向かいも同様の庭で白砂に模様が描かれている。仏教的な仙郷の世界を象徴しているそうです。庭の奥は展望所です。

 アゴニー坂・杣谷峠  



天上寺から引き返すと,ホテル・ド・摩耶の建物が見えてくる。ホテル・ド・摩耶はかって国民宿舎だった。ジャグジーやイタリアンレストランを備える。立ち寄り入浴も可(525円タオル付き)大浴場12~23時
ホテルの前まで入ってみると,六甲全山縦走路の標識が建っている。六甲全山縦走路は天上寺への道ではなく,直接ホテル・ド・摩耶へ進む道なのです。

次の目標は杣谷峠(そまたに)。ホテル・ド・摩耶の前の車道を奥へ進む。六甲全山縦走路の標識も見つかる。ススキの季節,秋を感じます。

車道を,秋を感じながら歩き標識に従い山道に入る。すぐ次の指示がある。右の山道に入り,アゴニー坂へ進めとあります。六甲山はやたら英語表記が多い。”アゴニー”とは人名だろうか?

山道に入る。しばらく舗装路が続いていたのでまた登山という感覚が戻ってきた。アゴニー坂のすぐ西側に摩耶別山(標高717m)という摩耶山より少し高い山があるのだが,何の案内も目にしないのでパスして進む。
アゴニー坂は,ホテル側からは下り坂のようです。石ころ道や階段を降りると,やがて車道が見えてきた。案内図には奥摩耶ドライブウェイとなっている。車道に出て右方向へ進む。



平日のせいかドライブウェイを走る車は少ない。車道脇にはよく整備された遊歩道が設けられている。さすが六甲山だと感心する。










山上の人工湖「穂高湖」の傍を通り、午後2時半、杣谷峠(そまたに)の洒落た建物が見えてきた。これはトイレです。この峠は,神戸市内から杣谷(別名 カスケードバレー)を登ってくる登山道が六甲全山縦走路に合流する地点。



 三国池・三国岩へ  



杣谷峠を過ぎ,森閑としたドライブウェイを歩く。この道も全山縦走路の一部になっている。

神戸市立自然の家が見えてくる。予備知識では,この自然の家から山へ入っていく。どこから入っていくのだろう?,とウロウロする。たまたま自然の家から出てきた青年に尋ねると教えてくれました。

自然の家からさらに100mほど先に入り口があり,標識も建っていた。ドライブウェイと別れ山道に入っていく。目指すは記念碑台,六甲最高峰の方向です。



山道といっても,今までのような急坂はありません。標高700m位まで上がってきているので,高低差の少ない山上を縦断するだけ。

またドライブウェイに出会う。休憩所も設けられています。車道を渡った先に山へ入っていく道が見えます。傍に標識が建っている。三国池へはそこの山道を入るようだ。ただしドライブウェイを右へ進む方向は「六甲山記念碑台(車道)」と標識に書かれている。登山図で確認しても,車道を歩いても丁字ケ辻から記念碑台へ行ける。車道を歩く方が道に迷うことがないので手っ取り早いかも。ただし丁字ケ辻までは六甲全山縦走路ではありません。

ちょっとした坂道の先に三国池(標高約800m)が現れる。ここから先は行き止まりなので,少し戻り右の道へ入っていく。
三国池は明治時代に人工的に造られた池。この池で氷を造って氷室で貯蔵し、夏に町まで降ろし売ったそうです。氷を大八車で運んだ「アイスロード」という名の登山道が現在でも残っている。
次は三国池の北にある三国岩を目指す。ここから右へ左へ,判りにくい分岐路が現れるが,「六甲全山縦走路」の標識を頼りに歩く。

三国岩が現れました。巨石が四層ぐらい積み上がっている。人為的にか,自然に積み上がったものか?



 丁字ケ辻(ちょうじがつじ)  



分岐路に戻り,右の道に入っていく。平坦な山道,といっても車がかろうじて1台通れるほどの舗装路。このあたり別荘が散見されるので,別荘のための車道なのでしょう。立派な門を構え,奥をうかがうことのできない高級別荘が並ぶ。舗装路も整備されているが,通る車は見かけない。閑静な道を歩いていくと,広い車道に出る。

ここが丁字ケ辻だろうか?。周辺を見ても「丁字ケ辻」の表記が見つからないので,たまたま止まっていたパトカーに尋ねて確認する。登山図を見ると,この車道も奥摩耶ドライブウェイとなっています。ここ丁字ケ辻(標高約800m)は阪急六甲(灘区)から登ってくる表六甲ドライブウェイと山上の奥摩耶ドライブウェイの合流点。標識に従いドライブウェイを左方向に進む。

ここの周辺図

 記念碑台へ  



ドライブウェイを少し歩くと左手に六甲山YMCAが見えてくる。さらに行くと藤原商店です。今まで店らしきものが無かったので大変助かります。ビールはともかく,温かいおでんはいいね

所々で谷間から,大阪湾や阪神間の街並みが覗きます。

記念碑台まではこの奥摩耶ドライブウェイを歩くことになります。車はほとんど通らないので,歩きやすい車道を歩くこともできる。六甲山ホテルが見えてきました。
国の近代化産業遺産に指定されている六甲山ホテル旧館。なお六甲山ホテルは、2016年に阪急阪神ホテルズから大阪市の輸入車ディーラーに経営譲渡された。この年末で閉館し、数年後にリニューアルオープンするとの報道がでていました。

10分ほど歩けば,右手に六甲山郵便局が見えてくる。東灘区、灘区、北区に跨る250世帯を配達区域とする日本一小さな集配特定郵便局だそうです。
この郵便局の裏が展望テラスになっており,見晴らしがすこぶる良い。展望テラスへは,局内からでも出れるが,建物の横を周って出る。休憩所,トイレも備えている。日本一小さいが,日本一サービスに優れている郵便局です。

六甲山郵便局の展望テラスから
六甲山郵便局、灘警察六甲山上交番をやり過ごし歩くと、広い交差点が見えてきた。バス停の名前から,ここが「記念碑台」といわれる場所らしい。
さて記念碑台とは,何処だ?。グルームさんの像が建っている,という予備知識しかない。像が建っているのだから広場だと思うが,探し回るが見つからない。時刻は4時半、薄暗くなってきたので今日は諦め帰ることに。六甲ケーブルに向かいます。



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六甲全山縦走(三日間) 3

2018年03月23日 | 山登り

2017年11月 三日間かけてですが六甲全山縦走に挑戦した時の記録です。今回は二日目(11月16日(木))の前半、神戸電鉄鴨越駅から市ケ原まで。

 菊水山めざして  


二日目(11月16日)早朝,神戸電鉄鴨越駅下車。ホーム東側の細路に入る。見上げると上は駅のプラットホームです。

小さな公園を左に見て,その前の小道を奥へ入っていく。平坦な野道が,曲がりくねって続く。野道はやがて谷あいに沿った林道に出る。車一台通れるほどの車道だが、車は一台も見かけない。標識には,左に進んで菊水山まで2.3kmとあります。
舗装路を進むと「神戸市水道局鳥原ポンポ場」にでくわす。水道局の白いタンクを右手に見て舗装路を進むと,右の小道に降りるよう案内されている。小道を降りるとすぐまた舗装路が現れ,左へ進めとあります。

右に渓流を見ながら歩いていると,上に鉄橋が覆いかぶさってくる。鉄橋は,地図で確認すると「山麓バイパス鳥原大橋」となっている。川は,上流の石井ダムから流れ出る鳥原川で,鳥原貯水池に流れ込む。
高架を潜り進むと突き当たりで,標識に従い左へ折れる。








進んで行くと,金網で封鎖された道が現れる。よく見ると金網に,金網の右側の道を進め,の標識が架けられている。金網柵の右の細路を抜けると,広い舗装路となるが,すぐ左の山道へ入るように案内されている。

階段を登っていくと,左上に神戸電鉄線路のコンクリートと菊水山トンネルが見えてくる。その脇下を歩く。

公園風の広場に出る。この辺りが廃駅になった菊水山駅の場所でしょうか?。周りに人の住んでいる気配など全くないのですが。山登り用の駅?。標識に従い奥へ進む。

 菊水山(458.9m)  



ここからが菊水山への本格的な山登りの始まりで、階段から始まりました。ここまで平坦な道ばかりだったので,体力は十分あります。よし、頑張るゾ!。ゴロゴロ石の坂道、鉄板の階段が繰り返し現れる。


右側に菊水ゴルフ場の芝生が見えます。

急坂の山道,急階段,ゴロゴロ石の坂道が繰り返し現れる。最初の山登りといえ,かなりキツイ山登りとなってくる。

時々覗き見える眺望が気分をやわらげてくれます。近くに見えていた菊水ゴルフ場がかなり下に見えるようになってきました。もう一息か。

こうした鉄板の階段が繰り返される。荒れ道を踏ん張り,前方を見ると菊水山の鉄塔が見えてきました。頂上はもうすぐだ。


8時20分、ようやく菊水山(458.9m)頂上の広場にたどり着きました。2つの白い電波塔が目印です。電波塔の前に「菊水山」と刻まれた大きな山名碑が建つ。元々は「鳥山」という名だったが,昭和10年に楠木正成没後600年の記念に神戸市が楠木正成の家紋・菊水の形に松を植樹したことから「菊水山」となったという。石碑の後ろには三角点も設置されている。

鉄塔の下は展望台となっており,今まで繰り返し眺めてきた景観が再度眺められます。

遠方には高取山、横尾山、旗振山と今まで踏破(?)してきた六甲連山が遠く眺められます。

 天王吊橋へ  



菊水山頂上の広場に設置されていた案内図。六甲山の断面図は山や谷の高低差がよく分かり参考になる。先はまだまだ長~い。

天王吊橋目指して降ります。登ったら降りなければならない,また登るのに。これが六甲全山縦走の宿命です。
ここから急な岩場の下りが始まる。まるで裏六甲の街中へ飛び降りていく感じだ。この急坂は、さっきの案内図には「城ヶ越」と名つけられている。特異な地盤なのか,樹木も育っていない。
岩盤を敷き詰めたような急坂を,岩に手をそえ体をよじりながら降りていく。目の前に,次に登る山が見えているにもかかわらずだ。
手持ちの登山図には,この近辺を「危 やせ尾根ガレ」と表記されている。”ガレ”とは,こうしたむき出し岩盤のことでしょうか?。

岩場を過ぎると,今度は急な階段だ。菊水山の登りで見られた鉄板の階段も設置されている。階段を降り山道に入ると川が見えてきた。川があれば,橋が架かるはず・・・。

見えてきました天王吊橋が。吊橋ですので幅は狭い。でもしっかり造られているので揺れることはありません。
この吊橋は何の目的で設置されたのでしょうか?。地元住民のため?,農林業のため?。どうもそういう目的のものには思えない。調べてみると、車の往来が激しい有馬街道を横断しなければならない六甲山のハイカーを危険から守るために、昭和53年(1978)に長さ60mの吊橋が設置されたようです。鍋蓋山へ登るのに,下の谷底まで降りなくてすむので大変助かります。





下は国道428号線で車の往来が激しい。神戸市内から裏六甲の有馬温泉に通じており,有馬街道と呼ばれている。街道に沿うように流れている川は,上流の天王ダムから流れ出る天王谷川。













 鍋蓋山(なべぶたやま、486m)へ  



天王吊橋を渡ると、今度は登り道となる。ゴロ石が転がり,木の根がむき出しになっている。雨によって土が流され,こうなったのでしょうか。天王吊橋のおかげで傾斜はきつくないのだが,歩きにくい。今日二度目の山登りなので,体力的には少々キツクなってきている。

平坦部が見えてきた。山を抜けたんでしょうか?。平坦部に鉄塔が建っている。鉄塔越しに振り返ると,菊水山の2つの鉄塔が見えます。
平坦部は頂上ではなく,カッグリです。山越えはさらに続く。しかしゆるやかな尾根道なので楽です。

平坦な尾根筋を歩いていく。ようやく頂上にたどり着いたようです。9時20分、鍋蓋山山頂に着。頂上は小さな広場となっており、四等三角点も設置されている。山の形が鍋蓋に似ていることからの山名のようだ。
トイレまで1800mというのが,やけに気になる。


広場には休憩用のベンチも置かれており,眼下の神戸市内を眺めながら一服できます。西方を眺めれば、鉄塔のある菊水山,前回登った須磨アルプスや高取山などの連山が望まれます。







 再度山(ふたたびさん、標高約470m)へ  



次の目標は再度山(ふたたびさん)。標高470mで鍋蓋山とほとんど変わらない。沢や谷へ降りることはないので急坂もない。距離はあるが,ほとんどが尾根筋を歩くので楽です。平坦な山道を黙々と歩くだけ。
分岐道に出会う。左に折れれば,鍋蓋北道で再度公園にでる。私が目指すのは再度山の方向,標識では大竜寺・市ケ原の方向です。

時々垣間見える神戸市街や裏六甲の景観が退屈さを慰めてくれます。

尾根をかなり歩くと次の分岐道に出会う。六甲全山縦走路は真っ直ぐ進むのだが,左に折れれば再度公園です。紅葉の時期なのでちょっと寄り道してみる。

300mほど歩けば池が見えてくる。再度公園の中央にある修法ケ原池です。近づくにつれ紅色の鮮やかさが増してきます。再度公園の紅葉。11月中旬ですが,山の上だからか紅葉は鮮やかに色づいていました。

 大龍寺  



再度公園から元の分岐道に戻る。坂道を降りてゆくと,すぐ二つの道に分かれる。標識によれば右の道は,猩々池を経て諏訪山公園から神戸市内へ降りていく登山道となっている。かって弘法大師が登った道なので「大師道」と名付けられ、大龍寺への参詣道として利用された古道。
左に見える広場は大龍寺の門前広場で,六甲全山縦走路はこの広場を横切ってゆく。



広場に入ると,大龍寺境内へ入る階段が見えます。階段を登り大龍寺境内へ入ってみました。
境内はそれほど広くありません。階段を登った右正面に本堂がある。大龍寺は、768年和気清麻呂によって創建された。和気清麻呂が刺客に襲われた時、龍が現れて救ったといういい伝えから「大龍寺」と名付けられた。

標高470mの再度山は大龍寺の裏にある。後で判ったのだが、再度山への登り口は境内の奥にあるようです。かって弘法大師が遣唐使として唐へ渡る前にここ大龍寺参詣し,帰国後にも立ち寄った。大龍寺のある山へ二度登ったことから,この山を「再度山(ふたたびさん)」と名付けられたという。

六甲全山縦走路は広場を横切った奥にあります。左側へ下っていく道です。傍に標識が建っているが,文字がかすれ役立たない。右の道を登っていくと「善助茶屋跡」があるというので,立ち寄ってみることに。

200mほど入ると小さな広場で、石碑が建っている。「毎日登山発祥の地 善助茶屋跡」と刻まれていた。
昭和53年建立の石碑の背面に「毎日登山」のいわれが記されている。
「毎日登山は此の地から生れた。明治三十八年(1905)頃在神外人が北野から範多坂(注:ハンター坂)を登ってここ善助茶屋にサインブックを置いて署名する習わしをつけた。元町栄町及海岸通りの商社の人達がこれに倣って登りだしたのが神戸市民の毎日登山の始まりである。大正初期から昭和十年頃までが最盛期でこの善助茶屋に百冊に余る大小登山会の署名簿が置かれ早朝には賑わいを見せていた。戦時中一時衰退したが又復活し現在では目指す山筋は別れているが毎日登山者の数は晴雨にかかわらず五千名を下らない。ただこのゆかり深い善助茶屋は戦後次第に訪れる人がなくなりいたずらに風雨にさらされ老朽し果てついに取り壊しのやむなきに至った。今その跡地に「毎日登山発祥の地」の碑を建て末永く神戸の誇毎日登山の隆盛を祈念するものである」

元の広場に戻り、全山縦走路を下って行きます。舗装された,幅広の道となっている。10分位下ると二層の紅い山門が建っている。山門を潜った奥に道が見えるので,それが参道かも。
門には「西国愛染明王霊場第五番札所」「近畿三十六不動尊第九番霊場」「摂津弘法大師八十八ケ所八十二番納経所」などの札が掲げられている。
大龍寺山門の前には広い車道が通っている。再度山ドライブウェイですが平日のせいかほとんど車は走っていない。ここにバス停がある。三宮駅前行きとあるので,何らかの事情でリタイアする場合はここで。ただし,夏季だけの運行で土日祝日のみ,それも本数が少ない。次のリタイア場所は布引ロープウェイとなります。

六甲全山縦走路はどこだろう?。車道を横断した先のガードレール脇に標識を見つける。そこの脇道に入っていくようだ。この脇道に入り、市ケ原を目指します。

 市ケ原へ  





次の目的地は市ケ原。再度山ドライブウェイの車道を渡り、東側の谷へ入っていく。車一台通れるほどの道幅があり、ガードレール付きの舗装路となっている。市ケ原キャンプ場へ行く車の進入路なのでしょうか。
11月中旬、六甲山も色づいてきています。舗装路とはいえ傾斜はゆるく、足への負担はない。紅葉、青葉を楽しみながら気持ちよく下っていけます。道を覆いつくす落ち葉を踏みしめながら歩く。この辺りは「再度東谷」と呼ばれている谷間のようです。
途中に高雄山へ向う標識があり、市ケ原まであと200mと表示されている。

細道となり、すぐ河原が見えてきた。市ケ原に着いたようだ。
渓谷にあるこの河原は、神戸市内に近いこともあってキャンプ、バーベキュー、川遊びなどで人気の場所。土日祭日には家族連れで賑わうそうです。すぐ下は神戸の中心街、新幹線新神戸駅や三の宮。ここ市ケ原は標高250mほどなので、山登りというよりハイキング気分で遊歩道を通って1時間ほどで登ってこれます。この自然、この透きとおった川水は都会では目にすることができない。

板橋を渡り、向かいの河原へ。河原の奥の茂みに階段が見える。縦走路はこの階段を登っていく。
階段を登ると「桜茶屋」の建物があるが、今日は平日なので閉まっている。茶屋の前はベンチが置かれ、休憩所になっている。
桜茶屋の前を左に進むのが六甲全山縦走路。右へ進むと、曙茶屋、紅葉茶屋を経て新幹線新神戸駅や三の宮のある神戸の中心街へ降りてゆける。

桜茶屋の先にレンガ造りの綺麗なトイレが設置されている。ここから摩耶山上までトイレは有りません。市ケ原でキャンプ、バーベキューをして、ここで食器を洗う人がいるんですね。


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六甲全山縦走(三日間) 2

2018年03月15日 | 山登り

2017年11月 三日間かけてですが六甲全山縦走に挑戦した時の記録です。今回は1日目(11月5日)の後半です。

 須磨アルプス「馬の背」  



須磨アルプスがより大きく目の前に迫ってきました。ロッククライミングほどではないが、険しい岩場を登りスリリングなことから「須磨アルプス」と呼ばれている。神戸市内に近く、日帰りで岩場登りを体験できるということで人気のエリアとなっている。登山者が少し増えてきたようです。ここへ登る他の登山ルートでもあるのでしょうか。




最後の階段です。かなり急な階段なのでテスリに手を添え、バランスとりながら降りていく。
この岩場は、すぐ横が断崖という危険な箇所はありません。ただザラザラし滑りやすく、また足を大きく上げ踏ん張らなければならない。
ここは登山靴がお勧めでしょうが、私はウォーキングシューズ、いやただの運動靴です。登山靴は持っているのでが、以前に懲りた経験があるので、これくらいの山では登山靴を使いません。岩場は距離が短いので運動靴でも十分です。

花崗岩の急斜面の岩場を登る。ロープも鎖も、もちろん階段などありません。決められたコースもなく、自分の目で確かめ、登りやすい箇所を選び這いつくばってよじ登る。傾斜はきついが短い距離なので、親御さんが後ろでしっかりカバーしてやれば子供さんでも登れます。親御さんがスッテンコロリすれば別ですが・・・。
六甲全山縦走大会では多数の人が集まるので30分~1時間の順番待ちになるようです。

後ろを振り返れば、先ほど降りた急階段が正面に見える。写真で見れば大変危険そうに見えるが、通っているときはそれほど怖いと感じませんでした。

少し横から撮ってみました。細く切り立つ断崖絶壁の難所といった様子ですが、上を通っている時は断崖の様子が見えないので怖さは感じなかった。しかしこうして写真で見ると恐怖感が湧いてくる。万が一、地震でも生じたら・・・と思うとゾッ~とします。

岩場を登りきると、”無事でご苦労様”と「名勝 馬ノ背」の標識が迎えてくれます。この露岩地帯は「神戸槍」あるいは「馬ノ背」と呼ばれている。山の尾根沿いで窪んでおり、両側が谷となって落ち込んでいる様子が、馬の背中みたいなのでそう呼ばれています。

「名勝 馬ノ背」の標識からは平坦な道となる。といっても道幅は非常に狭く人ひとり通れるほどで、両側は断崖となっている。さっきの岩場より、この道のほうが怖さを感じます。強風や激しい雨の時は、断念し引き返すしかないですネ。誤って滑落すれば、怪我だけではすまされないでしょう。過去に滑落死の例があるようです。

細道を渡りきり、振り返ったところ。一見、子供連れでは危険そうですが、余裕ある時間と気象条件さえ良ければ家族連れでも十分楽しめる須磨アルプス「馬の背」だと思います。むしろ子供にとっては良い体験、思い出になるでしょう。ただし、気象条件が急変した時、断念する勇気があるかどうか。

 東山(253m)  


尾根筋なので平坦な道が続く。ほぼ一本道で迷うことはないが、要所には標識が設けられている。向う方向は、妙法寺駅・高取山です。
最後に階段を登ると東山(253m)の山頂です。時刻は11時40分、横尾山から50分位かかったことになる。距離は短いのですが、須磨アルプスを時間かけながらユックリ楽しんだので、その分時間がかかりました。
山頂を示すそっけないプレートが小枝に結ばれているが、これって信用してよいものだろうか?。標高243mとあるが、手元の資料では253mになっている。

向こうに、次の目的地・高取山が見える。手前に見えるのが横尾、妙法寺の街並み。「東山」の名前には次のような云われがあるそうです。高取山と横尾山の天狗が綱引きをし、その際横尾山の天狗が足を踏ん張った際に出来たのが東山という。当初は「天狗山」と呼ばれていたが、横尾山の東にあることから「東山」となったとか。

神戸市内の中心部が大きく見えるようになってきた。

 横尾・妙法寺の町を抜ける  



次の山・高取山に登るには、いったん横尾・妙法寺の町へ降り、そこを抜けなければなりません。横尾・妙法寺の街中を抜けるのは、六甲全山縦走路にとって難所の一つです。

山を降りると、何処で道を間違ったのか全山縦走路をはずれ、横尾団地に入り込んでしまった。人に尋ねながら全山縦走路を見つける。
手持ちの地図では、途中で車道から脇道へ入るようになっている。何か目印はないか、周辺を注意深く見渡すと、ありました。住宅団地の横の公園の鉄柵に、「←六甲全山縦走路」の小さなプレートが3個も取り付けられていた。1個でよいから、もっと大きなプレートを、と愚痴も言いたくなります。

横尾の町を抜け階段を登ると広い車道が見える。地図を見ると、この辺りは地下鉄・西神山手線が、そして阪神高速神戸山手線が通っている複雑な場所だ。広い車道は阪神高速神戸山手線らしい。六甲全山縦走路も複雑に迂回せざるをえないようです。山歩きの雰囲気などぶっ壊しです。
階段を降り、地下道を潜る。

地下道を潜ると妙法寺町です。
すぐ左側に妙法寺の赤い幟が見えてくる。奈良時代の天平10年(738)、行基によって創建されたという。本尊は毘沙門天で、摂津国八十八箇所の第86番札所。町名、地下鉄の駅名などになっている。

電柱の「六甲全縦」を頼りに歩く。これからは、電柱や石垣、柵などに取り付けられた「六甲全縦」のこの小さなプレートが全ての運命を握る。分岐道では見逃さないよう注意深く周辺を見回します。

小橋を渡り、交差点を横断し、坂道を登る。幾つか三叉路に出会うが、電柱や垣根などに掲げられた「六甲全縦」を頼りに歩きます。入り組んだ住宅地を抜けるのは、なかなか難儀なものです。
住宅地を抜けると小さな公園に出る。ここにはしっかりとした標識が設置されていた。指示に従い右方向へ進む。
公園を過ぎると、本格的な高取山の登山道に入る。

 高取山へ  


次に目指す高取山は標高328mで、今までで一番高い山です。下りた分、登らなければならない。登山道に入ったらほぼ一本道なので、あの「六甲全縦」の小さなプレートは必要ありません。
しだいに坂道の傾斜がきつくなってくる。丸太の階段あり、急坂ありで、かなりハードです。今まで少々楽な縦走路だったので、その分堪えます。
こうした岩盤がむき出した箇所もある。落ち葉を踏みしめ悪路を黙々と登る。こうした所は運動靴より登山靴が優る。ストックがあればなお良し。

展望はあまりきかないが、時々こうして樹林の間から裏六甲が望める。

ゴツゴツした悪路を越えると、平坦な山道となり、しばらく行くと荒熊神社の案内に出くわす。荒熊神社は縦走路から少し外れるのだが、「縦走路へ合流」できるとあるので、階段を登る。階段を登ると、真っ赤なトタン壁の建物が建ち、側面に「眼下一望」とあります。何度も見てきた景観なので、あまり感動しなくなった。



 高取山(たかとりやま、328m)・高取神社  



高取神社に設置されていた高取山案内図。視覚的に現在地が確認できるので、こうした案内図は本当に助かる。ところが六甲山には案内図が少ない。六甲全山縦走路をここまで歩いてきて、初めての案内図です。

石鳥居が現れ、高取神社の案内が見えてきた。左に折れると眺望の良い高取神社らしい。六甲全山縦走路は右の道を進めとある。荒熊神社同様に、高取神社境内から六甲全山縦走路へ合流できるようになっていはずだ。縦走路とは外れるが、左の階段を登り高取神社へ向う。

この階段を登れば、高取山山頂や高取神社があるようです。かなりキツイ階段ですが、途中で後ろを振り返れば絶景が眺められます。

階段を登った先の最上部は広場となっており、広場の右端の柵内に「高取山頂之碑」という石柱が建っている。標高328.8mです。


広場から下りると、東へ参道が通っている。ここから眺める神戸市街や大阪方面の景観がビューポイントとされている。見慣れたといえ、さすがにこの眺望には足が止まる。三ノ宮周辺の高層ビルがはっきり見えます。

高取神社の本殿を左手に見て歩くと、長い階段がある。この階段を降りると六甲全山縦走路と合流です。

階段を降りた先に月見茶屋があり、さらに坂道を下っていくと安井茶屋がある。この安井茶屋を潜り抜けた先に注目。緑の植込みの手前に標識「←六甲全山縦走」が建っている。これを見逃すと大変なことになります。




 最大の難所:丸山の住宅抜け  

安井茶屋先にある標識に従い左に入ると広場です。奥の建物はトイレ。この広場にはベンチも置かれているので一休みするのもよい。トイレの横に、降り口の案内標識「←六甲全山縦走路」が見える。ここから丸山町の住宅街へ降りて行く。


丸山の住宅街まで、階段あり、急坂ありでただひたすら足元を見て降りるだけ。ほぼ一本道なので迷うことはない。気分を和らげてくれる景観など望めません。
長い階段を降り、砂防堤が見えてくればそろそろ山道は終りです。
住宅街に降りてきた。ここからは街を抜けるまでズッーと舗装路が続く。街中はアップダウンの坂が多いので登山靴では足に負担がかかる。こういう所では運動靴が良いのです。これから街を抜けるまで、「六甲全縦」のこの小さなプレートが私の命運を握っている。

これからが六甲全山縦走路で最大の難所”丸山抜け”です。加藤文太郎の時代は野山だったでしょうが、現在は山を削り、野を拓き、道を通し住宅が建ち込む。この”丸山抜け”はホームページで詳しく説明していますので、このブログでは割愛します。

ようやく神戸電鉄鴨越(ひよどりごえ)駅にたどり着く。時間は午後3時半ですが,次の下山できる所はハープ園のある布引ロープウェイとなる。しかしそこまで菊水山,鍋蓋山を超え,かなりの山道を登らなければならない。体力的,時間的に無理だと判断して,ここ鴨越駅で断念し帰ることにした。新開地経由で大阪へ。


詳しくはホームページ
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六甲全山縦走(三日間) 1

2018年03月09日 | 山登り

2017年11月 三日間かけてですが六甲全山縦走に挑戦した時の記録です。

 六甲全山縦走路とは  



六甲山には、神戸市に近いだけあって沢山の登山ルートがあります。その中で「六甲全山縦走路」は、六甲山の西端(神戸市西部)から東端(宝塚市)までを踏破する最も代表的な登山ルート。関西での山歩きの象徴にもなっています。
山歩きといっても、通常の登山とはやや趣が異なっています。六甲山は神戸の裏山で、早くから開発され尽くされた山。要所には茶屋が設けられ、観光施設、別荘、ホテル、ゴルフ場が点在します。そして眼下を望めば、神戸の街並みが広がり、瀬戸内海、淡路島、明石海峡大橋、さらには阪神間の市街や大阪方面まで展望できる。反対側には裏六甲の街並みが広がっている。展望を楽しみながら歩くハイキングといった感じさえあります。しかし平坦だけではありません。低山とはいえ300m~500mの山を幾つも登り降りし、ドライブウェイを歩かされ、時には平地の街中を歩かされる。ゴロ石の急坂、急階段もあり、たいへん変化に富んでいる。
神戸市西部の山陽電鉄塩屋駅からスタートし、六甲連山を登り降りし、海抜931mの六甲最高峰を越え、宝塚市へ降りていく約56キロの登山コース(逆のコースもあり)です。
この六甲全山縦走路を有名にしたのが大正末期から昭和初期にかけての登山家、和田岬にある神港造船所のエンジニア・加藤文太郎という人。「地下足袋の加藤」とも呼ばれていた。新田次郎の小説「孤高の人」のモデルでもある。小説では、奥様の要望で本名で登場します。若者と老人の会話から始まる冒頭に「加藤は生まれながらの登山家であった。彼は日本海に面した美方郡浜坂町に生まれ、15歳のときこの神戸に来て、昭和11年の正月、31歳で死ぬまで、この神戸にいた。彼はすばらしく足の速い男だった。彼は20歳のとき、6時に和田岬の寮を出て塩屋から山に入り、横尾山、高取山、菊水山、再度山、摩耶山、六甲山、石の宝殿、太平山、岩原山、岩倉山、宝塚とおよそ50キロメートルの縦走路を踏破し、その夜の11時に和田岬まで歩いて帰った。全行程およそ百キロメートルを17時間かけて歩き通したのだ」と書かれています。ほぼ史実だと思う。単独行だけだった登山家・加藤文太郎は、結婚し初子が生まれた正月、友にせがまれ初めて複数人による冬の北アルプスに挑んだ。そして二度と初子の顔を見ることのできぬ帰らぬ人となってしまったのです。

神戸市と市民団体の主催で、「六甲全山縦走大会」が毎年11月の第二日曜日と23日の休日(勤労感謝の日)に開催されている。スタート場所は、塩屋ではなく近くの須磨浦公園となっている。多くの人が集まるので、集合場所の問題かと思われます。早朝5時にスタートし、時間制限の夜10時40分までに宝塚に到着することを目指す。
この六甲全山縦走大会のコースに挑戦してみることにしました。挑戦といっても、一日でという訳にはいきません。眺望を楽しみ写真を撮りながら、たっぷり時間を掛けての踏破です。そのため三日間かけてとした。天候を見ながら、1日目(11月5日、日曜日)は山陽電鉄塩屋駅から神戸電鉄鴨越駅まで、2日目(11月16日、木曜日)は、鴨越駅から六甲ケーブルまで、3日目(11月24日、金曜日)は六甲ケーブルから宝塚までを歩きました。
一番の難所は、高取山を降りて丸山町の住宅街抜け。二番目の難所は、最後の宝塚へ降りていくアスファルトの坂道。あの舗装路は二度と歩きたくない。山歩きとは関係ない場所が難所なのです。山歩きそのものは、大変眺望がすばらしく、ハイキング気分で歩けました。

 山陽電鉄・塩屋駅から  


11月5日(日)、まず山陽電鉄・塩屋駅からスタートし、旗振山から鉄拐山を目指します。なお、神戸市と市民団体の主催の「六甲全山縦走大会」のスタート地点は須磨浦公園駅となっている。塩屋駅周辺には多人数が集まる場所が無いからです。本来の六甲全山縦走の基点は塩屋です。
駅の向こうに見えるのが旗振山でしょうか?。山側の出口を出ると、そこはもう迷路のようだ。早朝の7時15分、早出の勤め人に出会うが、登山道の入口を知っている人などいてません。自力で見つけるしかない。

塩屋の街中を抜け、六甲全山縦走路の登山道に入るまでが判りにくい。案内標識もありません。駅の出口から左へ(西側)左へと歩き、川に出合う。そして川に沿って北上します。「毘沙門」の石柱を頼りに歩く。持参の登山地図に毘沙門天が載っているからです。街中の坂道を登っていきます。この辺り、郊外の新興住宅地で、山を削った斜面に家屋が建てられている。

ここが問題の分岐点だった。この写真のとおり、左の坂道、真ん中の道、右に曲がる道と、3道に分かれている。どれが正解でしょう?。標識も見えなかった(この時点では)。思案したうえ、真ん中の道を選びました。奥へ奥へと進んで行ったが、どうも怪しくなってきた。心配になって分岐点まで引き返すと、坂道を降りてきたハイカーおばさんと出会う。訊ねると、この坂道だとおっしゃる。後で考えると、山登りだから坂道を選ぶべきだった。20分ほどここでロスしました。
坂道だと分かった後で周りを見回すと、何と々「旗振山登山道」の標識がぶら下がっているじゃないですか。”もっと判りやすい場所に置けよ・・・”とつい叫んでしまった。ここで教訓を得ました。六甲全山縦走路では、道が分からなくなった時は、周辺をよく見回す、ということです。これが後で役立ちました。
坂道を少し登ると、電柱脇に木製標識が傾いている。なぜ坂道の手前に置かないのか・・・。

やっと住宅街を抜け、山へ入って行く。山へ入ればほぼ一本道なので、迷うこともない。「六甲縦走路西基点」が大きく目立つ。もう少し早い地点で案内してほしいものです。
この先に山王神社と社会福祉法人「神戸少年の家」がある。神戸少年の家のグラウンド奥に源平合戦供養塔があるので寄り道してみる。この辺り、一の谷の合戦場に近く、多くの犠牲者がでたようです。
「神戸少年の家」から旗振山を目指して山へ入っていく。まだまだ平坦な道が続き、山登りしている感じはありません。地元の方と思われるジョギング姿の人とよく出会う。旗振山といっても250m位の山で、道の勾配も緩やかで、朝の運動にはちょうど良いのでしょう。旗振山まで0.9Kmの標識が立つ。山に入って初めての「六甲全山縦走路」の標識に出会う。全山縦走路を完歩するのが目的なので、この標識に出会うと、間違ったコースに入り込んでいないのだと、安心します。

 須磨浦山上遊園・旗振山(はたふりやま、252.6m)  



しばらく歩くと、紅葉に染まった施設が」見えてきました。地図で確認すると、須磨浦山上遊園の手前にある「ドレミファ噴水パレス」らしい。ここで初めて紅葉の秋を感じました。

ここからの眺めが素晴らしい。明石大橋、その先にボンヤリと淡路島の島影が眺められます。プールで泳ぎながら明石大橋を眺める、なんて楽しい所だと思っていたら、これは水遊びのプールではありませんでした。噴水プールだった。噴水や明石大橋を眺望しながらバーベキューを楽しめるようです。
すぐ上に須磨浦山上遊園がある。噴水パレスも須磨浦山上遊園の一部なのです。シートなどが被せられているので、この時期は閉園中なのでしょうか。それとも早朝のせいでしょうか?。ウォーキングで登ってきた数人のおじさんが景観を楽しんでいるだけでした。
山陽電車の運営で、山陽須磨浦公園駅に直結する須磨浦ロープウェイを利用してこれる。毎年行われている六甲全山縦走大会では、須磨浦公園をスタートし、この辺りまで石の階段を登ってくるそうです。


8時30分、旗振山の山頂に到着。「標高253米」の標識が建ち、「国境、←摂津の国|播磨の国→」とも書かれている。説明板には「旗振山は17世紀末江戸中期元禄時代から電信が普及される大正初期まで、畳一枚大の大きな旗を振って大阪堂島の米相場を加古川・岡山に伝達していた中継場所である事から「旗振山」と呼ばれています」とあります。

山頂だけあって、ここからの展望も素晴らしい。明石海峡大橋と淡路島が、東側には須磨浦海水浴場が広がり、その奥に神戸市内がかすんで見えます。


この山頂には旗振茶屋がある。昭和6(1931)創業で、六甲山で最も西よりにある茶屋。しかし平成7年(1995)の阪神淡路大震災で倒壊後、平成9年(1997)に再建されたそうです。主に土日祝日に朝7時から営業している。




 鉄拐山(てつかいざん、234m)  


旗振山の山頂の横に、六甲全山縦走路の案内がある。その下を通って、次の目的地・鉄拐山を目指します。
旗振山から鉄拐山まで700mと短く、また平坦な道が続く。全山縦走路の中では最も歩きやすい箇所かもしれない。そのうえ時々、樹林の間から裏六甲の街並みが見えて癒してくれます。
尾根筋が続きます。全山縦走路の標識が見えてきました。三叉路のようで、右に降りると「一の谷町」とあります。「一ノ谷・逆落とし」の案内板が建つ。右側の崖のような急坂を、寿永3年(1184)2月源義経を先頭とする騎馬軍団が駆け下り奇襲し、源氏に勝利をもたらしたという古戦場です。

かなり急な階段を登ると、陽光に照らされた頂上らしき平坦部が見えてきた。

鉄拐山(てつかいざん、234m)頂上です。9時なので、塩屋駅からここまで2時間ほどかけている。寄り道し、写真撮りながらなので、こんなもんでしょう。

神戸市内も、少しずつ大きく見えるようになってきました。

 おらが茶屋へ  



次は「おらが茶屋」を目指します。裏六甲を眺めながら長い階段を下りる。階段を降りると、尾根筋の平坦な道となります。途中、「至 高倉台を経て横尾山」と書かれた六甲山縦走路の標識が建つ。



標識「おらが茶屋 200m」を過ぎると休憩所が見えてきた。「市民山の会 おらが山登山会署名所」の看板がかかっている。ここからの眺めも良い。お菓子食べながら、しばらく休憩。11月初旬の山の上だが、歩きとおした体には寒く感じない。薄でのジャンパーで丁度良いくらいです。
休憩所から200mほど先に、おらが茶屋の白い建物が見えている。平成2年(1990)に建てられ、主に土日祝日に限り朝6時から営業しているそうです。今日は日曜日なので営業している。
1階にトイレがあり、トイレ横の階段で2階の喫茶店(おらが茶屋)に、さらに3階屋上の展望台へ登る。特に扉や柵のようなものは見当たらないので、何時でも自由に出入りできるようだ。喫茶店(おらが茶屋)だけが平日営業していないだけのようです。トイレがあるのが大変助かります。

3階展望台から、高倉台団地、さらに栂尾山、横尾山を眺める。いったん町へ降り、そこからまた山へ登っていくことになる。六甲全山縦走は、登って降りてまた登る、これの繰り返しなのです。
おらが茶屋と栂尾山との間、白い建物の高層住宅が立ち並ぶ所には、かって高倉山がそびえていた。高さ291mで、おらが茶屋や栂尾山の270mよりも高い山だった。神戸港を埋め立て人工島「ポートアイランド」造成のため、昭和41年(1966)から高倉山は削り取られ、跡形も無くなっている。140mほど山は削られ、現在は標高150mのニュータウンとなっている。自然を破壊したその報いは、その後神戸を・・・とは思いたくもないが。

ここからは360度パノラマ展望ができる。やって来た方向を振り返れば、旗振山、鉄拐山が望め、はるか遠くに感じられます。さらにその向こうには明石海峡大橋、淡路島の島影が。

 高倉台団地を抜け栂尾山へ(とがお山、274m)へ  


おらが茶屋の近くに下に降りる階段が見える。コンクリート製の階段で、両側には頑丈な鉄製テスリが設けられている。この長ーく急な階段で、真下に見える高倉台団地まで一気に降りるのです。六甲全山縦走路の山の一つ高倉山を削り潰したその代償に、この階段を設けたものと思われます。降りきると標識が建っているので、それに従って進む。車道をまたぐ歩道橋を渡り、高層住宅街の中心に入っていく。
高層住宅の中央を貫くメイン通りに入る。右側に食品スーパー「ピーコックストア」があります。パン類、弁当、おにぎり、惣菜など豊富な品揃えで、しかもお安い。ここで準備できるのは大変助かる。現在9時50分で、すでに営業していたので、朝9時(9時半?)開店と思われます。
メイン通りを突き進むと、正面にまた歩道橋が現れる。紅葉に染まる公園を過ぎるとまた歩道橋です。橋下は広い車道で交通量も多い。神戸市内と裏六甲を結んでいる幹線道路のようです。橋の先に見えるのが、次の目的地・栂尾山でしょうか?
橋を渡りきると突き当たりで、左に曲がれと標識が指し示している。左折し、幹線道路を左に見ながら細い脇道を歩く。細道を歩いていると、突然右側に細長い階段が現れ、登り口に「六甲全山縦走路→」の標識が。
おらが茶屋から高倉台へ降りるのに長い階段が設置されていたのと同様に、高倉台から栂尾山へ登るための階段を設置したのです。これも高倉山を削り取った代償です。こうして六甲全山縦走路は一応確保されている。

空中に突き進んでいくような階段。かなり急勾配で強風でも吹けば怖いでしょう。四百段もあるそうですが、途中の数箇所に踊り場が設けられ、休憩用の木製腰掛が置かれています。これは助かる。絶景を見ながらのどを潤す、いいですネ。

後ろを振り返ればこの絶景なので、辛い階段も耐えられます。高倉台団地、鉄拐山、旗振山そして明石大橋から淡路島まで見通せる。
階段を登りきると、平坦な尾根筋の道となりホットします。しかしすぐ急な山道となり、階段で疲れた体には堪える。すぐに木組みの展望台が見えてきました。ここが栂尾山(とがおやま、274m)の山頂です。10時15分到着。展望台の登り階段の横に、標識「栂尾山頂」が建っている。

もう見慣れてしまった景観ですが、やっぱり見とれます。六甲山の山登りは、これがあるから魅了されるのでしょう。

 横尾山(よこおやま、312m)  


次の目的地横尾山は高さ312mで、栂尾山より40mほど高い。しかし下ってゆきます。目の前に目指す山が見えているのに下っていく、これほど辛いことはありません。六甲全山縦走路はこれの繰り返しです。
この辺りから、風化浸食によりザラザラし滑りやすい道となってくる。須磨アルプスに近づいていることを示します。尾根道になるとホットしますが、登って降ってが繰り返される。我慢するしかありません。この辺り景観も楽しめず、わずかに裏六甲が望めるだけです。

11時前、見えてきました頂上が。ホットする一瞬です。横尾山は関西100名山の一つで、標高312.1m。二等三角点の山です。ザラザラした赤土は、見所の「馬の背」が近いことを示しています。
景観はそれほど望めません。神戸市内が見下ろせるくらいか。
横尾山から次の東山を目指しますが、その間に人気の須磨アルプスがある。六甲全山縦走路で一番楽しみにしている所です。
道が少しずつ険しくなってきました。花崗岩が風化によって削りとられ、草木も育たず、山肌がむき出しになっている。削られた小石や砂が道に散乱し、滑りやすい。これからは足元注意のエリアだ。危険そうな箇所にはクサリも張られている。

眼下に見えてきました、山肌剥き出しの須磨アルプスの一部が。その先に東山、さらに神戸市内が望まれます。


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