山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

鞍馬から貴船へ   (岩倉編)

2017年02月06日 | 寺院・旧跡を訪ねて

2016年11月18日(金)叡山電車で鞍馬へ、義経ゆかりの場所を巡って紅葉の貴船神社へ。時間があったので、帰りに岩倉駅に途中下車し、紅葉で名高い実相院と史蹟・岩倉具視幽棲旧宅に寄りました。

 叡山電鉄・貴船口駅へ  


本宮の方に向かって来た道を引き返します。13時半過ぎ、まだまだ時間はたっぷりあるのでのんびり景色を楽しみながら歩く。
本宮の横を通り過ぎ、鞍馬山へ登る西門を横目に見ながら少し行くとバス停が見えてきた。叡山電鉄・貴船口駅まで、あるいは出町柳駅まで路線バスを利用してもよいのだが、まだ2時前で時間は十分ある。この景色、この天候なので貴船口駅まで歩くことにした。大体、1時間くらいでしょうか。

この道は「貴船道」と呼ぶそうです。車は時々通るくらいで多くなく、気を使うこともない。平日のせいでしょうか、あるいは谷間の狭い土地なので駐車場が少ないためでしょうか。

やがて紅い橋が見えてきた。「梅ノ宮橋」とある。近くの小高くなった所に「梅宮社」という小さな社が建っている、というより置かれているといった様子。梅宮社は貴船神社の末社で、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀っている。中宮の御祭神・磐長姫命の妹ですが、姉よりあまりにも美しかったためか貴船神社から冷遇されているように見えます。こんな辺鄙な場所に建てられた、吹けば飛ぶような小さな社です。

「貴船道」は「恋の道」とも呼ぶそうだ。「恋の道」から貴船川にせり出すように大きな岩があり、「蛍岩(蛍の名所)」の案内板が立つ。平安の昔、宮廷の女流歌人・和泉式部が貴船神社に詣でた時に通った道で、川沿いに飛ぶ蛍を見て、せつない心情を歌に託している。
 「物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂たまかとぞみる」
現在も6月中頃に蛍が乱舞するのが見られるそうです。おじさん一人「恋の道」を行く・・・。

紅葉の美しい叡山電鉄・貴船口駅に着きました。

帰りも「もみじのトンネル」区間を撮ってみました。速度を落として運転してくれるので、車内からでも撮れる。ライトアップされる夜間も見てみたいが。

 岩倉・実相院(じっそういん)  



予定より早く鞍馬・貴船を訪ね終え、時間があったので「岩倉実相院」に立ち寄ってみることに。岩倉は叡山電鉄鞍馬線の丁度中ほどになり、岩倉にある「岩倉実相院」は京都の紅葉を紹介する場合必ずでてくる人気の紅葉スポット。
実相院目指して川沿いを歩く。京都市内とは思えないほど、のどかな里風景が広がる。向かいの山は比叡山。柿木が秋を感じさせてくれます。

駅から30分ほどかかり、やっと実相院の門が見えてきた。門前の駐車所には数台の観光バスが停まっている。やはり紅葉の名所だけある。門前に実相院の案内板が建てられているので、要約すれば。
実相院は、鎌倉時代の寛喜元年(1229年)、静基(じょうき)僧正により創建されたとされる。当初は現在の京都市北区紫野にあったが、その後、京都御所の近くに移り、さらに応仁の乱の戦火を逃れるため現在地に移転。その後、兵乱により焼失、衰微していたが、江戸時代初期に足利義昭の孫・義尊(ぎそん)が入寺し再興する。母が後陽成天皇の後宮となった関係で皇室と将軍徳川家光より援助を受けて実相院を再建。その後、天皇家の皇子や皇族が相次いで門主として入られ、門跡寺院として皇室から支援を受け、「岩倉門跡」「岩倉御殿」とも呼ばれていた。
明治に入ると、門跡は廃止され、上知により寺領の多くを失なったという。現在、実相院は元天台宗寺門派の単立寺院。本尊は不動明王(鎌倉時代作の木造立像)

拝観時間 9:00-17:00
拝観料 大人500円、小中学生250円

実相院の見所は、紅葉に彩られた庭園です。その庭園に囲まれているのが客殿(本堂)で、縁側でぐるりと一周できる。まず、客殿(本堂)の東が枯山水式庭園。遠くに比叡の山並みを借景とし、白砂と石、植栽が配された石庭です。2013年-2014年小川勝章氏監修のもと大改修が行われた。説明では「日本国を表現した石組みと苔。こころのお庭」と、わかるかな?(ワカリマセン)

縁側を通って北側に回る。”見頃”時期にまだ早いのかどうかわからないが、まだ緑葉も見られる。紅一色よりも、こうしたグラデーションの紅葉のほうが爽やかさを感じ、好きだな。
突っかい棒が痛々しい。この客殿(本堂)も、1721年に大宮御所の「承秋門院の旧宮殿」からもらったもの。それまで第113代東山天皇の中宮・承秋門院(じょうしゅうもんいん)幸子女王(1680-1720)さまが住んでおられたが、亡くなられたので下賜されたそうです。現存する数少ない女院御所。かなり古いですね。

さらに西側に周ると、客殿(本堂)と歴代の門跡が居住されていた書院に挟まれて、紅葉の綺麗な庭園が現れる。
裏山を借景とした池泉回遊式庭園で、小さいがコンパクトによくまとまっている。青苔、植栽、池、それを被うカラフルな紅葉が調和し美しい。中の池は、その形からか「ひょうたん池」と呼ばれている。日本では数少なくなったモリアオガエルが生息しているそうですが、見かけなかった。この時期、観光客が多く引っ込んでいるのでしょう。

庭園にもまして実相院を有名にしているのが「床もみじ」。
実相院の玄関を上がったすぐの所に「滝の間」がある。客殿(本堂)の一部かな?。ここは板の間で、襖の一部が開放され外の庭園が見える(仕掛けになっている)。黒っぽい床板はピカピカに磨き上げられ、鏡のように庭の紅葉を映し出している。「床もみじ」と呼ばれています。春夏の新緑の時期には「床みどり」となり、冬は「雪化床(ゆきげしょう)」だそうです。「床もみじ」は晴天の時が、「床みどり」は曇空の時が美しく見えるそうです。

1枚撮った後で、撮影禁止なのを知りました・・・(*^^)v。後で写真をよく見ると、右側柱に「撮影禁止」のステッカーが、上の欄間には監視カメラが光っています。時々、”写真撮影はできませんよ!”ってマイクが呼びかけていたのは、このカメラで見てたんだ。この日は、緑も残っており、「床みどり」と「床もみじ」の両方を鑑賞できたようです。

何故、撮影禁止にするんだろう?。フラッシュたかなければ物理的な影響は無いはず。多分、この場所に集中し混雑するからでしょう。京都を代表する紅葉スポット、東福寺の通天橋も今年から撮影禁止になった。幸い、私は前年訪れ、撮りまくったが。確かに、通天橋の上の混雑振りは異常で、お寺が危険を感じるのはわかる。しかし、写真に残し思い出にする、多くの人が望んでいることです。何か別のやり方はないものでしょうか。写真撮れないなら、もう訪れる気がしない。

 岩倉具視幽棲旧宅(いわくらともみゆうせいきゅうたく)  



15時45分、実相院を出て岩倉駅に向かう。帰りは、来た道順を変え横道に入る。実相院から三百メートルほど所で紅葉の綺麗な邸を見かけた。「史蹟 岩倉具視幽棲旧宅」の石柱が建っている。通用門が開いているので寄ってみることに。

岩倉具視(いわくらともみ、1825-1883)は公武合体派として和宮降嫁を推進したが、倒幕急進派の弾劾を受け失脚する。そして文久2年(1862)9月~慶応3年(1867)まで5年間、岩倉の地に隠棲していた。その後復権し明治新政府では要職をつとめた。受付で頂いたパンフには「明治維新の五傑 岩倉具視 再生の地」と書かれている。

開館時間:9:00~17:00(入場は16:30まで)
入場料:一般 300円、中学・高校生および高等専門学校生 200円、小学生 100円
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌平日休館)、年末年始(12月29日~1月3日)

写真の右奥が入口で、左が主屋の「燐雲軒」。正面に見える紅葉とアカマツに覆われた慰霊碑は、岩倉具視の遺髪を埋葬した塚だそうです。遺髪碑の左(北)側には、具視の子息の具定、具経の碑も建っている。

受付で頂いたパンフによると、岩倉村に隠棲(実相院とか?)した2年後の元治元年(1864)に「大工藤吉の居宅であった現在の付属屋部分を、岩倉具視が購入し、主屋と繋屋を増築して住居とした」とあります。当初は、現在の敷地の半分ほどだったが、少しずつ拡張整備されていった。庭園には、造園家・小川治兵衛の手が加わっているそうです。
昭和7年(1932)に国の史跡に指定される。財団法人岩倉公旧蹟保存会が長年この史跡を守ってきたが、平成25年(2013)に京都市に寄付する。現在、京都市は指定管理者(植彌加藤造園株式会社)にゆだね、一般公開している。

主屋の「燐雲軒(りんうんけん)」は茅葺きの落ち着いた建物。建物の左側(西側)が入口と玄関で、6畳の二室からなり、両側(南北)には縁側が設けられている。質素ながら、どこか気品がある。失脚し隠棲していた邸といえ、並の人物でなかったことをうかがわせる。ここに坂本竜馬や大久保利通が訪れ、相談を重ねていたそうです。

庭園と向き合っている南側の縁側には、座布団が置かれていました。傍に説明書らしきものがあるので、岩倉具視や坂本竜馬などが座った座布団を展示しているのかな、と思ったら見学者用のものでした。

主屋「燐雲軒」(左)と附属屋(右)との間の中庭。
右の附属屋には炊事場、台所、居室がある。正面の廊下は「繋屋」と称され、板戸の奥に浴室と便所が設けられています。

中庭から主屋「燐雲軒」の内部を撮る。障子戸の間は開放され、外の庭園が鑑賞できます。左右の障子戸も内部が大きくくり貫かれ(ガラスがはめられ?)、庭園が見える仕掛けになっている。畳、障子戸そして庭園の紅葉と青葉、美しい空間を作り出している。岩倉具視が住んでいた頃はこうでなく、その後の補修で造作されたものでしょうが、一風の絵になっています。実相院の「床もみじ」よりはるかに勝る。まだ知名度が低いのか、誰もいてません。いつの日か、この「畳もみじ」に見学者が殺到し、撮影禁止にならんことを・・・・。

さあ、大阪へ帰ろう。叡山電鉄・岩倉駅と比叡山






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