山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

奈良・室生寺の秋と春 2

2016年09月28日 | 寺院・旧跡を訪ねて

 太鼓橋  


室生川に架かる紅い太鼓橋が見えてきました。この室生川は、流れ流れての果て、大河・淀川の一滴となり大阪湾に注いでいる。澄みきった清流も、時を経て曲がりくねった山間にもまれ、一寸底も見えない泥川へと成長(?)していく。
この辺りは”蛍”スポットとして有名で、室生川沿いに走る県道28号線は"蛍街道”とも呼ばれているとか。淀川沿いに蛍がいてる場所ってあるんだろうか?。
車一台かろうじて通れる門前町の通りを歩いていると、左側に朱塗りの反り橋が見える。これが室生川に架かる「太鼓橋」で、室生寺境内へ通じる入口にあたる。
太鼓橋は昭和34年(1959)の伊勢湾台風によって流されてしまい、現在の橋はその後再建されたもの。そのせいか新しく頑丈に見えます。

太鼓橋の手前右側の建物が、明治四年創業の老舗旅館「橋本屋」(左側にも「橋本屋」の看板が?)。宿泊だけではなく、山菜料理の食事をいただける。五木寛之や写真家・土門拳が宿泊したことで有名。特に土門拳はここを常宿として四季の室生寺を撮り続けたという。
春の太鼓橋(2016/4/26日)。新緑を背景に紅い橋がひときわ冴えます。

 表門から受付へ、そして石楠花の小径  


太鼓橋を渡りきった正面に室生寺の「表門」が構える。門の脇に「女人高野 室生寺」と刻まれた石柱が建っている。真言密教の本山・高野山は女人禁制となっていたが、同じ真言宗だが室生寺は女性の入山・参詣が許された。そのため「女人禁制の高野山」に対して「女人高野」と呼ばれるようになった。
室生寺はもともと創建の理由から、法相宗の奈良・興福寺の影響下にあった。ところが江戸時代になり徳川綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)の助力によって興福寺から分離独立し、真言宗の寺院となった。「女人高野」も桂昌院の考え方によるものでしょうか?。
石柱の上部に家紋が彫られている。これは桂昌院の実家本庄家の家紋「九目結紋(ここのつめゆいもん)」だそうです。
「表門」は木柵で閉ざされ通行できない。「表門」の前で右折し100mほど歩くと参拝受付所があります。そこが境内への入口になる。

ここで拝観料を払い、パンフレットをいただき中へ入ります。
拝観時間
  4月1日~11月30日 8:30~17:00
  12月1日~3月31日 9:00~16:00
拝観料 大人600円・子供400円
  【団体(30名以上)】 大人500円 子供300円

拝観受付所を入り右へ曲がると、仁王門、鎧坂から金堂、五重塔へと続く室生寺の主参詣道です。左へも入れます。こちらは寺の本坊・庫裏にあたる表書院・奥書院、一番奥にイベントや写経・説法などが行われる慶雲殿があります。
この慶雲殿方面はお参りする場所でもなく、また紅葉の楽しめる所もありません。通常はスッポかす領域です。しかし驚いたことに、拝観受付所から慶雲殿へいたる小路の両側に石楠花(しゃくなげ)の樹木が群生しているのです。室生寺は「石楠花の寺」としても有名で、この石楠花の群生を見た時ぜひ最盛期に訪れたいと思った。そして翌春(2016/4/26日)再訪したわけです。最盛期なのか、過ぎているのか分りませんが、石楠花が百花乱舞していた。淡い紅色の石楠花は「女人高野」にふさわしい花だと思います。

「毎年4月中頃ともなると、境内の石楠花が濃い紅色のつぼみを開きはじめます。花の色は、濃く鮮やかな紅色から薄桃色になり、白に近い色になってやがて散ります。海抜400メートルに位置する室生寺の湿気と適度な寒さが、高山植物の石楠花に適し、毎年見事な花を咲かせてくれます。」(室生寺公式サイト
室生寺の石楠花は、野生の花を100年ほど前に移植したもので、現在その株数は寺全体で三千株とも五千株ともいわれている。

 仁王門  


拝観受付所から右へ進むと、朱塗りの柱に白壁の仁王門が待ち構えている。
門の両脇には仁王像が睨みをきかす。左手が口を閉ざした青色の吽形(うんぎょう)像、右手が口を開けた赤色の阿形(あぎょう)像です。この仁王門は元禄時代に焼失した後、長い間姿を消していたが、昭和40年(1965)11月に再建された。仁王像の色彩の鮮やかさもそのせいでしょう。

なお、仁王門手前左側に休憩所とお手洗いが設けられている。私が見てきた多くの社寺の中では、1,2位を争う清潔で広く快適なトイレでした。仁王門を潜った先にはお手洗いはありません。ここのトイレを体験することをお勧めします。
仁王門をくぐると、ここから先が真の室生寺の世界です。仁王門周辺もカエデの紅葉が美しい。左側に小さな池が見え、「?字池」の木札が立っている。”?”は梵字で「バン」と読むらしく、「ばんじ池」となる。「バン」は真言密教の教主・大日如来を表しているそうです。



 鎧坂(よろいざか)  


錦秋の鎧坂。バンジ池の先に石段が現れる。これが五重塔と並び、室生寺を代表する撮影スポットの「鎧坂(よろいざか)」。
自然石を積み上げた石段の様子が、重ね編んだ鎧に似ていることから名付けられた。大和三名段の一つです(あとの二つは談山神社と佛隆寺)。春は青葉と石楠花、秋はカエデの紅葉が室生寺を訪れる人々を迎い入れてくれる。室生寺の序章に相応しい舞台装置となっています。その幅広い石段を一歩一歩踏みしめながら登っていくと、正面に金堂がセリ舞台で上がってくるように、柿葺の屋根から少しずつ見えてきます。
青葉に覆われた春の鎧坂も魅力的(2016/4/26日)。室生寺は、室生山の山麓から中腹にかけて堂塔が散在する山岳寺院です。境内の堂宇は山の斜面に沿い上へ上へと建てられている。それを結ぶのが階段です。そのため階段が多い。一番上の奥の院まで、合計700段もの階段が続くそうです。奥の院への390段の急な石段は、さすがに女性や高齢者にはキツイかもしれないが、それ以外の階段は優しく造られている。この鎧坂には高齢者用に手すりが?、上り下りを分けるためカナ。なお、仁王門手前の社務所で杖を貸してくれます。

 金堂(国宝、平安時代前期)  


鎧坂を登りきると、単層寄棟造りの国宝・金堂が迎えてくれる。本瓦葺と違い、椹(さわら)や杉の皮を使った柿葺き(こけらぶき)の屋根が、森閑とした山腹に佇む堂宇に落ち着きと品格を与えている。この中に国宝仏像二体、重文仏像四体があるとは信じられません。
正面から見える五間は礼堂(らいどう)と呼ばれ、江戸時代の寛文12年(1672)に増築されたもの。礼堂の前には高欄付きの回縁がめぐらされている。礼堂と回廊は山腹の斜面に張り出して増設したため、床下を床柱で支える「懸造(かけづくり)」で建てられている。金堂内に入るには、左手の石段を上り左横の入口から入ることになる。礼堂の奥が、平安時代前期に建てられた正堂(しょうどう、内陣)。平安時代初期の仏堂で、現在まで残っているものとして貴重な建物となっている。この中に国宝などの仏像が安置されています。
金堂内陣の仏像達(室生寺公式サイトのトップページから)。
堂内須弥壇上に、向かって左から十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(重文)、本尊釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)の五体が横一列に並び、これらの像の手前には十二神将立像(重文)が立つ。狭い堂内に、窮屈そうに密着して五尊像が立っておられる。
Wikipediaに「須弥壇上には前述のように5体の仏像を横一列に安置するが、須弥壇部分の柱間が3間であることから、当初の安置仏像は3体であったと推定される。造立年代は釈迦如来像と十一面観音像が9世紀、他の3体が10世紀頃とみられる。」と書かれている。もともと釈迦如来、地蔵菩薩、十一面観音菩薩の三体だったのが、興福寺の影響下で藤原氏の氏寺・春日社の本地仏の五尊像に変更され、文殊菩薩と薬師如来が追加されたのではないかとされる。
普段はお堂の中へ入れないが、春と秋の特別拝観期間中は、お堂の中に入って礼堂から間近に拝観できます。丁度、春は石楠花、秋は紅葉の時期に当たり、運が良ければ若い僧侶の解説も聴けます。

金堂の右方向を見れば、紅い拝殿とその奥に小さな本殿が覗く。これが天神社で、龍神を祀った龍穴神社の神宮寺だったともいわれている。毎年10月15日の室生龍穴神社の祭礼では,先ずこの社前で拝礼や奉納の儀式があってからお渡りが龍穴神社に向かう。この天神社と室生龍穴神社は深い関係にあるようです。

拝殿の左に見える苔むした岩には軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)の像が彫られている。軍荼利明王は、外敵から人間を守り、さまざまな災いを取り除いてくれる仏さんで、庚申祭の本尊。通常は腕が8本だが、ここの軍荼利明王は10本となっている。享保12年(1841)に彫られたもの。

 弥勒堂(みろくどう、重文)  



金堂左手には、弥勒堂(みろくどう)が東向きに佇む。単層入母屋造、三間四方のこの堂は、鎌倉時代の建築だが江戸初期に大幅に改造されている。屋根はヒノキやサワラの木を薄く割って重ねた柿葺き(こけらぶき)。周囲には縁をめぐらせている。もとは伝法院と呼ばれ、興福寺の僧・修円が興福寺伝法院を移したとも伝えられている。柿葺きの素朴な佇まいは、山寺らしい気品を漂わせています。
内陣には、国宝「釈迦如来坐像」と重文「弥勒菩薩立像」とが祀られている。どちらも平安時代初期の作。
春の弥勒堂(2016/4/26日)
秋の金堂(左)と弥勒堂(2015/11/28、土)
春の金堂(左)と弥勒堂(2016/4/26、火)


詳しくはホームページ


奈良・室生寺の秋と春 1

2016年09月20日 | 寺院・旧跡を訪ねて

昨年秋(2015/11/28、土)、お堂や仏像ではなく紅葉目当てに奈良県宇陀市の室生寺を訪れました。地図を見れば、近鉄・室生口大野駅から室生寺まで「東海自然歩道」が通っている。ウォーキングを兼ね、バスでなく自然歩道を歩いて行きました。結果からいえば、東海自然歩道でなく車道を歩くべきでした。東海自然歩道は杉木立と雑木林で囲まれ景観ゼロ、そしてゴロ石とぬかるみで疲れ果てた。帰りのバスで見ると、室生川に沿った車道には整備された遊歩道が設けられ、各所に紅葉の楽しめる場所が見受けられました。
紅葉も綺麗だったが、参道脇に群生している石楠花(しゃくなげ)が気になった。そこで今度は石楠花目当てに今年の春(2016/4/26、火)に再訪しました。この時は往復ともバスを利用。

★主に秋の写真を使っていますが、春の写真には(春:2016/4/26)と明記しています。

 大野寺と弥勒磨崖仏  


(写真は近鉄大阪線・室生口大野駅前の広場、2015/11/28日)
大阪・近鉄上本町駅7時51発急行に乗り、9時に大野駅に着く。室生口大野駅は急行が停車するので、大阪から乗り換え無しに来れる。改札口を出た脇に、小さな案内所があります。係員が常駐されているようなので、不明なことを訊ねたり、資料・地図などを入手できます。
少し下った駅前広場には室生寺行きのバスが待っててくれています。バスを利用すれば15分程ですが、快晴の秋日和なので東海自然歩道を歩くことに。大野の町を抜け、左奥の山中に入って行く。

バスで行く場合、駅前で乗るよりは、歩いて5分ほどの大野寺と弥勒磨崖仏に寄って、そこのバス停を利用するのが良い。ここの弥勒磨崖仏は必見です。帰りに寄るなら別ですが。
ここのバス停は公園風になっており、トイレや休憩所が整い、室生川とその対岸の弥勒磨崖仏を鑑賞できようになっている。
バス停から室生川越しの対岸を見れば、緑の樹木の間に白っぽい岩壁がはっきり見える。これが弥勒大磨崖仏(みろくだいまがいぶつ)です。このあたりは室生山火山群で火山岩による巨石が数多く、切り立った大岩壁が見られる。大岩壁で知られる名勝・香落渓も近い。
弥勒大磨崖仏は、高さ30mをこす岩壁を削り磨き上げ、そこに13.8mの光背を彫り窪め、内部を平滑になるように磨き、11.5mの弥勒仏の立像を線刻したものです。「大野寺石仏」の名称で国の史跡指定を受けている。
鎌倉時代初期の承元元年(1207年)に彫り始め、承元三年に完成し後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたという。製作者は諸説あるが、「宋から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ/いのゆきすえ)の一派と考えられている」(wikipedia)。彫像にあたっては、笠置寺の本尊として笠置山の山中に彫られていた弥勒像の下図を元に模刻したそうです。元になった笠置山の弥勒像は、後鳥羽上皇を追った北条軍によって火にかけられ焼失してしまい、現在目にすることはできない。

「石仏は岩盤からの地下水の滲出等で剥落の危険があったため、1993年から1999年にかけて保存修理工事を実施。岩表面の苔類の除去や地下水の流路を変える工事などが行われた」(Wikipediaより)。この修理のため、以前よりは線刻がはっきり見えるようになったという。そうはいっても白い岩壁への線刻なので、双眼鏡で見るでもしない限り、仏像の姿を明瞭に把握しにくい。西面しているので、西日の当たる夕方がはっきりと線刻が見えるそうでが、私が訪れたのは朝の9時でした・・・。

車道と室生川を挟み、弥勒磨崖仏と対面するように位置しているのが大野寺(おおのじ、おおのでら)。古くから室生寺の末寺で、室生寺への西からの入口に建つので「室生寺の西門」と呼ばれていた。

寺の大野寺縁起によれば「白鳳九年(681年)に役の小角が開き、天長元年(824年)弘法大師室生寺開創のとき、西の大門と定め一宇を建て、本尊弥勒菩薩を安置して慈尊院弥勒寺と称しました。その後地名を名付けて大野
寺と称すと伝えます」。役行者と弘法大師に関係付けるのはよくある話しですが・・・。真言宗室生寺派の寺院で、山号は楊柳山。
大野寺は枝垂桜の名所として知られている。広くはない境内ですが、樹齢300年を超える枝垂れ小糸桜が2本、他にも樹齢100年の紅しだれ桜30本が、春には咲き誇るそうです。本尊の木造弥勒菩薩立像(秘仏)ですが、本当の本尊は対岸の弥勒石仏かも。弥勒大磨崖仏が一番よく見える境内の場所に遥拝所が設けられ、道と川を挟んだ向こう岸の弥勒大磨崖仏を拝むようになっています。

 東海自然歩道  



室生口大野から東海自然歩道で室生寺までは約6km。大野寺を9時20分に出て山中へ向かう。横を流れるのは室生川で、大野寺近くで室生ダムからの流水と合流し宇陀川となる。名張市周辺で名張川と名を変え、梅林で名高い名勝・月ヶ瀬を越え木津川と合流し、さらに南山城の山崎あたりで淀川へ流れ込み大阪湾へ注ぎ込む。

宇陀川の渓流を眺めながら車道脇のよく整備された歩道を歩く。国道165号線の高架橋を潜り進むと、紅い欄干に「むろうじおおはし」と書かれた大きな橋を渡る。下は室生ダムから放流される川です。
「むろうじおおはし」を渡り10分ほどあるくと、また紅い橋「いちのわたりはし」が現れます。その先に「東海自然歩道 室生寺まで約4.4km」の標識が建てられている。ここが室生寺へ通じる東海自然歩道の入口のようです。大野寺から徒歩20分位でしょうか。
帰りのバスの中で気づいたのだが、ゴロ石とぬかるみで歩きにくい東海自然歩道よりはバス道を歩いたほうが良かったんじゃないかと。バス道の脇には幅広く整備された遊歩道が設けられていた。室生川の渓流が寄り添い、所々紅葉の美しい箇所もある。車も少なく、東海自然歩道より距離も短い。紅葉シーズンに限っては東海自然歩道に入らないで、そのままバス道を歩くほうが良いと思う。

東海自然歩道へ入ると杉が林立し薄暗い。この辺りはまだ平坦で、道幅も広くハイキング気分で歩けます。数人のハイカーを見かけた。
一本道で紛らわしい分かれ道はないが、入口から20分くらいの所に分岐する箇所がある。真っ直ぐ行かず、右側の狭いほうの道に入って行く。標識が建てられているので間違うことはないと思うが。「室生寺 4.0km」とあります。



道幅は少し狭くなってくるが、杉木立の間を傍の小川のせせらぎを聴きながら気分よく歩ける。まだ平坦な道が続く。









やがて道幅はさらに狭まり、坂道となってくる。山道らしくなってきました。そして散乱するゴロ石を踏みながら歩かなければならない。コブシから人頭大位までの苔むしたゴロ石が転がっている。足場は最悪です。山中に浸み込んだ雨水が流れ出しているのか、地面はぬかるんでいる。ぬかるみを避けようとゴロ石の上を踏むと、苔でツルッと滑る。何度か転びそうになった。ぬかるみと落ち葉で足を滑らせ、ゴロ石につまずく、水たまりもある・・・、散々な自然歩道でした。かって女人達もこんな道を歩いたのでしょうか。10時20分、「室生寺 3.1km」の標識が。

酷い「東海自然歩道」と思いながら耐えていると、「室生寺 1.8km」の標識が現れた。10時55分です。ここが門森峠のようで、ここからは室生の里まで下り坂です。ようやく悪路から解放されたようです。ここまで見晴らしも効かず、紅葉など一度も見かけなかった。

 室生山上公園「芸術の森」と室生の里  


下りはゴロ石もなく、落ち葉を踏みしめながらスイスイ降れる。杉林に囲まれた東海自然歩道を抜けると、やがて木立の間から建物が、そして広場が見えてきた。こんな山奥なのでゴルフ場かな?、と思った。しかしこれはれっきとした公園なのです。その名は「室生山上公園 芸術の森」。古刹・室生寺近くの山中に”芸術の森”、なんとも違和感を感じます。入口にあったパンフレットには「公共事業とアートの融合を目指し」とある。”公共事業とアート”、これまた???な組み合わせです。
調べてみました。元々、この一帯は棚田などの田畑だったが地すべりの危険があった。直ぐ下は室生寺のある室生の里です。そこで奈良県や宇陀市が協議し、地すべり防止を兼ねた公園とすることになった。そこで設計を任されたのが、周囲の環境や景観と同化した屋外作品で知られるイスラエルの彫刻家・ダニ・カラヴァン(Dani Karavan, 1930年~)です。既に日本でも「札幌芸術の森」「霧島アートの森」などを手がけていました。こうして「公共事業とアートの融合」が始まり、2006年3月に完成した。

ダニ・カラヴァンは、岡本太郎風の抽象的・シュール系の芸術家です。パンフを見れば、ここ室生山上公園には「ピラミッドの島」「天文の塔」「螺旋の水路」「波形の土盛」など、なんとも抽象的なオブジェが広い公園敷地に散らばっているだけです。この山中まで足を伸ばし、観覧料400円支払い抽象的なオブジェの意味を感得しようとする人がどれだけいるでしょうか?。外から眺めただけですが、土曜日の昼前なのに誰一人見かけなかった。

室生山上公園から室生寺のある里へ降りていきます。室生の里へ続く降り道も「東海自然歩道」のようで、道標が立てられている。
民宿があったり、軒先で野菜を売っているおばちゃんがいる。車道の整備された現在、この東海自然歩道は室生寺への道ではなくなっている。誰も人影を見かけません。野菜売りのオバチャンも、私を逃さまいと必死です。「帰りに寄るから」と逃れました。

室生川と、川沿いの飲食店、料理旅館や土産物屋などが建ち並ぶ門前町が見えてきました。11時半、腹ごしらえのためよもぎ餅を頬ばりながら室生寺へ。
バス停は写真の左下方向。室生寺入口まではチョッと歩かなければならない。


詳しくはホームページ