◆新米ママたちに捧げるエッセイ◆
市民ブロガーのジョンけけです。
甲府の新米ママたちに捧げるエッセイ書きました。
※エッセイについて詳しくはこちらをご覧ください。
…の前に、こうふでうふふ。
“は”から始まるいいもの、みっけ。うふふのふ。
~木漏れ日と呼ぶにはまぶし過ぎる~!~
朝、牛乳屋さんの配るびんがぶつかりあって、
キン、
と、かわいた音を奏でます
お日さまが満作の葉っぱに話しかけました。
「おはよう、まんさくさん。いい朝ですね」
ところが満作はどこやらごきげんななめなようすでした。
「おはよ、お日さま…ねぇ、ぼく、おかしいでしょ」
「いいえ、どこも。どうかしたのですか?」
お日さまは満作をのぞきこみました。
「いつもどおり、スマートな枝ぶり、それについているハンサムなまんさくさんですよ」
けれども満作は信じません。
「おかしいって言ってよ。だって、ぼく、花でもないのに、こんなに黄色くなっちゃったんだよ。おかしいよ、ぜったい!」
「まぁまぁ、おちついてください。
ねぇ、まんさくさん…まんさくさんの心にある、大好きなものってなんですか?」
お日さまに言われて、満作は目をとじて考えました。
「う~んと…庭のあっちで毎日笑ってたヒマワリさん、と、
それから、ぼくがまだ枝の中で眠ってたとき、そのすぐ上で子守唄のハーモニーを聞かせてくれてた小さなお花さんたち、かな」
お日さまはにっこり笑って言いました。
「その枝にさく花たちも、ヒマワリも、どちらも黄色です。
あなたは今、あなたの心の色にそまったのですよ」
満作は自分のからだの色をもう一度見直しました。
「あ!…ホントだ。じゃあ、そこのサクラの葉っぱは?」
「サクラさんは、たしか、夕焼けの空が大好きだと言っていました」
「それで赤か。じゃあ、その向こうの松は?」
お日さまは声を小さくしました。
「ないしょですよ…マツさんは、すききらいがないんですよ。何を見ても“フツー”。
だから、何色にもならないのです」
「へぇ。だから緑色のまんまなんだね。なんだかうらやましいような気もするなぁ…」
満作はためいきを一つつきました。
お日さまは満作に言いました。
「私は、まんさくさんやサクラさんたちがうらやましいですよ。
だって、この季節をまるごと自分たちの色に染めてしまうんですから」
「そうかもしれないんだけど、やっぱり、ぼく、緑色も好きだったし…。
また、緑色に、もどれるんだよね?」
「それは、“はい”でもあるし、“いいえ”でもあります」
お日さまは、ちょっとくちごもりました。
「つまり、今年のあなたはもどれませんが、来年のあなたはまた緑色です」
「どういうこと?」
「これから先、もっと、寒くなると、あなたは枝にサヨナラをしなければなりません。
けれど、死んでしまうわけじゃないんです。
しばらく土のベッドで休んで、私の日差しがすこしずつ強くなりはじめるころ、
また、スマートな枝ぶりの木のどこかから、あなたはハンサムな顔を出すのですよ…緑色の」
そう言って、お日さまはほほ笑みました。
満作はちょっと泣きそうになりましたが、声をふりしぼって言いました。
「ねぇ、お日さま。ぼくのこと、ずっと見ていてくれる?」
「見ていますとも。
たとえあなたがやめてと言っても、
たとえあなたがかくれてしまっても、
ずっと見ていますよ。ずっと」
お日さまの返事を聞いて、満作の顔がみるみるぱぁっと晴れました。
「ありがとう、お日さま…うん、いい朝だね!」
満作の葉っぱの上には、大きなダイヤモンドが輝いておりました
今回のうふふな“は”の付くもの、それは…
『ハンサムな紅葉満作とゴージャスな朝日…ダイヤモンド満作って呼んでね』
なのでした。うふふのふ。
※満作・・・落葉高木
ということで、新米ママと赤ちゃんのエッセイ、“は”の巻 その壱、始めます。
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“随筆”育母百科・アフリカゾウのさかさまつげ~
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◆はじめはあるけどおわりはない=始めはあるけど終わりはない。
ズバリ、子育て。あるいは母親としての人生。
スタート地点は大概産婦人科付近だったとはっきりわかるのだが、ゴールなど見えない
ゴールの方向もその道程も皆目見当がつかない。子どもの成人式も結婚式もゴールではない。
母親自身の人生が幕を下ろした時点のような気もするが、おそらくはあの世でも子の心配はし続けるであろう。
女という生き物は、母親となったなら、その身体は死んだように見えたとしても魂はずっとどこかで生き続ける、
そんな、生物学だけでは語りつくせない超生物になるのだ。
メビウスの輪とはまた意味合いの異なる終わりの無さを有する。
お陰で育てられた子どもは、年齢という社会的な尺度に当てはめれば高齢者という立場になろうが、
生涯子どもという未完成なポジションを心の奥の秘密の小部屋に隠しておくことができ、
越えられそうもない壁にぶち当たったときなどは、そこいらへんで絶えず待機してくれているであろう母の前で泣き言を言う“子ども”に戻れるのだ。
つまり、母親というものは子どものために終わりがあってはいけない存在なのである
母親は一日にして成らず。
でも、心配いりません。
ちゃんと育っていけますから。
子どもがちゃんと“お母さん”を育ててくれますから。
(つづく)
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