★ Zoom Up ☆ KOFU 市民レポート ★

甲府市の市民レポーターがこうふの話題をお届け!

世界遺産・石見銀山と甲州の関係

2013-01-29 11:00:00 | 文化

 大久保長安をご存じですか?  


こんにちは、市民レポーターの内藤です。

世界遺産に登録されている島根県大田市にある「石見銀山」
16世紀半ばから17世紀前半の全盛期に、
日本の銀は世界の銀産出量の約3分の1を占め、
そのかなりの部分が石見銀だったと考えられています。

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 この山梨県甲府市から遠く離れた「石見銀山」が、
 実は甲府にゆかりのある人物と深い関係にあることをご存じですか
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関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、
石見銀山の接収のために、
石見銀山を中心とする地域を幕府直轄領とし、
初代銀山奉行として大久保長安を任命しました。
長安は、石見銀山の開発を急速に進め、
家康に莫大な銀を納めたと言われています

 

現在、石見銀山の主要スポットにもなっている
大久保間歩(まぶ・銀を採掘した坑道)は、
初代奉行の大久保長安の名から名付けられた石見銀山最大級の間歩です
江戸時代から明治時代にかけて開発され、
その規模は他の間歩に比べて群を抜いています。
坑内の高さは最大で5mあり、大久保長安が槍を持ち、
馬に乗ったまま入ったという伝説があるほどです

 

この「石見銀山」の開発に大きく関わった人物
「大久保長安」の父親は、武田信玄お抱えの猿楽師
長安は、信玄に見出され、猿楽師としてではなく、家臣として取り立てられ、
武田領国における黒川金山などの鉱山開発や税務などに従事していたそうです。

また、信玄公死後は、徳川家康から老中に任命され、
勘定奉行・関東代官頭・甲斐奉行等の総代官として活躍し、
日本の三大金・銀山総奉行を兼任するなど、
徳川幕府の財政を支えた甲府ゆかりの人物です

 

甲府市城東にある徳川家康が宿陣としたことで有名な
「尊躰寺」には、大久保長安の供養塔があります
しかし、詳細な史跡を語る資料は見当たりません。


尊躰寺


長安の供養塔 

 

歴史的に重要な人物であるにも関わらず、
大久保長安の遺跡や文献・資料は、甲州ではあまり見当たりません。

それというのも・・・
甲斐奉行に任命され、甲州に赴任していた10年間で、実際に行き来したのは年1回程であり、
ほとんどは幕府での老中行政・幕政にあたっていたことや、
死後に発生した疑獄事件「大久保長安事件」により一家断絶の処置を受け、
歴史から抹消されたことが関係しているのかもしれません。

 

島根県の「石見銀山学習指導用資料」や「ふるさと学習誌」では、
大久保長安の活躍を歴史ドラマ的に紹介しており、長安のことを
「…甲斐の国(山梨県出身)の…」
「…卓越した知識と経営的才能によって、江戸時代初期のシルバーラッシュをもたらした人物…」と紹介しています。

また、八王子市教育委員会の郷土誌では、長安が当初八王子奉行であったこともあり、
長安死後の調査で、無数の金銀細工・道具などを私服化していたと、大久保長安事件を紹介しています


風説によると・・・
長安は「英雄色を好む」の喩え通り、常時20人以上の妾がいて、
この妾たちに「わしが死んだら1万両ずつ寄贈しよう」と約束していたといいます。
妾たちはこの各人1万両を長安の弔い中にもらおうではないかと、
駿府奉行所に柳眉を逆立てて訴えたそうです。
すると、徳川家康はさっそく検使を派遣し、
大久保の屋敷の土蔵から70万両という莫大な判金と
重大な密書が隠されているのを見つけたといわれています

このような話は、『大久保長安』や『史実・大久保石見守長安』、
『大久保長安の足跡・近世前期の政治的主要人物の居場所と行動』
といった文献に見られる歴史ロマンです。

 

残念なことに、これらの話は山梨県や甲府市の生涯学習用の資料には見当たらず、
史学会誌などには研究論文的文献もありません。

大久保長安に関心のある私としては、
甲府にゆかりのある大久保長安に関する資料が
もっと充実して欲しいと願わずにはいられません

 


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ワインラベルに観るもう一つのワイン

2012-12-03 10:25:00 | 文化

 ラベルが語る歴史風景


市民レポーターの浅野です。

今回もワインにこだわります。
ワインボトルを食卓に置いて、「今日はこのワインを飲みます、乾杯!」 
というときボトルに貼ってあるラベルを見ますよね。

ワインラベルって、なんかカッコいいって思いません
ワインラベルは紀元前の時代からありました。 
ワインは欧州が発祥なので、今でもワインラベルの中に欧州を感じますよね。  

                   

では甲府市のワイナリーのラベルはどんな風でしょうか
さっそく、甲府駅近くの有名なワイナリー(株)サドヤさんを訪ねてみました。
3代目今井さんに面会することができました。(古くから数えると何と8代目だそうです。)
サドヤさんは、ガヤガヤの市街地の中にありますが、
一歩構内に入るとヨーロッパの一角に来たような雰囲気に一変します。 


これが甲府駅近くとは思えません!

 

1.肩ラベル 昭和8年ごろ・・・・

右から左に向かって書かれています。そのような時代です。 

このラベルはボトルの肩に貼るラベルです
みるからに大正、昭和の時代のロマンを感じさせるデザインですね。
老舗ワイナリーだからこそのラベルです。

中央に「甲鐡葡萄酒」と書いてあります。
「甲鐡」はサドヤさんの登録商標になります。
その上段に、赤地に白文字で「畏れ多くも皇室ご用達」といった意味の表記があります。
これも時代背景が窺えます。

 

2.WHITE GRAPE JUICE 白葡萄液  昭和12年ごろ・・・

当時を想わせる宣伝        

昭和12年12月発行の「甲府商業高等学校同窓会・会報誌」の裏表紙にある宣伝ページです
ワインラベルには、「WHITE GRAPE JUICE 白葡萄液」と書いてあって、
宣伝文(キャッチコピー)には「貴重なる天然の葡萄糖液」「葡萄糖の注射代用となる・・・」と書いてあります。

今流にいえば、薬事法違反なんてことにもなりそう
この当時は、ワインはまだ一般的ではありませんでしたので、
鉄分や葡萄糖を補給する一種の薬用酒としての考え方が強かったそうです。
同じ酒でも、日本酒や焼酎とは随分ちがった流れですね。

                

 

3.シャトーブリヤン 1946年(昭和21年)ごろ・・・

今でも使えそうな宣伝パネル     

この絵はワインの広告パネルです。
中世風な趣と、ヨーロッパの洞窟居酒屋のような雰囲気が漂っていますね。
このワインはサドヤさんが今に伝承している「シャトーブリヤン」です
この絵と、シャトーブリヤンという商品名にはちょっとしたしゃれっ気が入っています。

この絵の男性は、シャトーブリアンさんです。
19世紀、フランスの有名な政治家です。
彼が食べている肉はヒレ肉で、ブリアンといいます。
脂肪が少なく、肉質に優れた最高級のステーキで、
シャトーブリアンさんが料理人に命じて作らせたことから、
このような肉を今でも、「シャトーブリアンステーキ」と呼ぶのだそうです。
で、彼シャトーブリアンがブリアンを食べながら、ワイン・シャトーブリヤンを飲む、という絵です
ワインラベルにあるシャトーブリヤンのデザイン文字は現在使用しているラベルと全く同じです。

 

4.皇太子殿下御台臨記念  昭和45年 冬の国体・・・

これは実物を写させていただきました。
  昭和35年産ワインですから52年前のものです。  

皇太子殿下(今上天皇)御台臨記念として配られた赤と白のワインです。
ワインは肩ラベルから昭和35年ものであることが分ります。
ワインラベルのデザインは前の写真と全く同一です。

 

4.マッターホルンのデザインラベル  昭和22年ごろから・・・

 
昭和20年代にはどんな人たちに愛されたのでしょうか?       

毎日食事の時に飲むテーブルワインで、「モンシェルバン」といいます。
昭和22年ごろから使い始めて、今でも使用中です。
マッターホルンは仏語でモンセルバンというので、
これをヒントに、登山が大好きな先代の社長さんが命名されたとのことです。

すばらしいデザインですね
毎日飲むワインということで、辛口タイプ、煮物や肉料理によく合うワインです。
ワインラベルは先人の夢を食卓に運んでくれますね。

 

5.現在の代表的なワインラベル
 
ワインはお酒だけではありません。 ラベルとも会話してみましょう! 

左のラベルは「シャトーブリヤン」で、2002年にサドヤ農場で産出したカベルネ・ソーヴィニヨン種を使ったワインです。
長期熟成の優しさが特徴のワインだそうです。

右のラベルは「シャトーブリヤン・ミュール」です。
ミュールというのは仏語で果実が熟したという意味です。
複数年のブドウで熟成したワインを混ぜているそうです。

 

サドヤさんのご協力で、ワインラベルのお話を伺うことができました。
またワインが美味しくなりそうです 天国天国

 

『第二土曜市・マルシェ~1日限りのワインフェス~』開催!

日時:12月8日(土)午前10時~午後6時30分
会場:甲府中央商店街周辺

 


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甲府市に根付く古武道を訪ねて(第3弾)

2012-09-24 11:30:00 | 文化

 突撃インタビュー


市民レポーターの浅野です。
前2回にわたって、「杖道」をお伝えしてきました。

1回目は、「甲府市で行われている古武道」を求めて、
たまたま杖道の稽古風景に出合った時の報告でした。

2回目は、杖道を教えておられる先生(江角先生)から、
「杖道とはどういう武道か」についてインタビューしましたので、その報告でした。


 ※舞鶴城公園の中にある武徳殿でも杖道の稽古が行われています。

 

今回は3回目になるのですが、実際に杖道を稽古しておられるお二人の方から
お声をいただきましたので、ご報告します

場所は、小瀬スポーツ公園の武道館です。

 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆ インタビュー ◆◇◆◇◆◇◆◇◆


********************
  
Aさん(44歳)、山梨県の警察関係の方です。
********************

杖道を始めたのはいつごろですか?

A:本格的に始めたのは12~3年前からです。
20年ほど前に杖道に触れたことはあるのですが。

 

杖道を始めたいというきっかけは?

A:杖道は最強の武道だという理解はあったので、いつかやってみたいと思っていました。
でも、剣道や居合をやっていましたので、時間的に余裕がありませんでした

しかし杖道は杖があれば稽古できるので
一番手軽に稽古できる武道だと思ってはじめました

杖道は同じ左右の動きを稽古するので、
バランス感覚を養うには一番いいのではないかなとも思いました。

(追記:Aさんは剣道と居合道の先生とのことでした。)

 

杖道の魅力はどう感じていますか?

A:仕事が警察関係なので、護身と言う意味でとても良いと思いますし、
左右均等に身体を鍛えられるので、杖道は良いと思います

 

他の武道と違ってここが大変だというところはありますか?

A:指導が厳しいというところでしょうか!(
杖道の稽古は真剣そのものなので、他の武道より大変です
稽古形式は「形稽古」なのですが、一歩間違えば大けがになる稽古なので、
真剣みが他の武道と違っています。
その分、大変ですね。

 

ご家族の方にも杖道を習わせたいな、と思われますか?

A:思いますね
中3と中2の男の子で、今剣道をやらせていますので、
いつか杖道もやってもらいたいと思っています。
カミさんがやってくれれば一番いいのですが

 

当面の目標は?

江角先生:我々は修行として稽古をしているので、目先の目標というものはありません。

A:全く同感です。
同じことの繰り返しを誰にもまねできないぐらい真剣にやっていく、
というのが心の成長につながっていくように思いますね。
よく他の武道にあるように、優勝したいとか段位をとりたい、
という目標より自己の成長を目標においていますね

 

********************
 
次のインタビューはBさん・県庁の職員の方です。
********************

杖道を始めたのはいつごろですか?

B:4年前です。
甲府での稽古が始まったのは5年前ですから、
1年後に入門したことになります。

 

杖道を始めたきっかけは?

B:職場(県庁)にポスターが貼ってあって、それを見て来ました。

 

ポスターを見て、「ぜひやりたい」と思われましたか?

B:はじめはどういうものか試してみました。
ちょうど、お腹が出始めていたので、ちょうどいいかな、と思いました。
武道の経験はあまりないのですが、杖道の稽古の真剣さと、
相手を抑えるための力学的な説明に魅力を感じて続けることにしました

 

他の武道の経験は?

B:中学の時に柔道、弓道をやりましたが、
本格的な武道と言う意味では、杖道が初めてです

 

稽古を初めて、杖道への不安はありませんでした?

B:不安と言うより、すごいことをやっているな、という実感がありました

 

杖道の魅力はどんなところに感じますか?

B:技がいろいろある、というところに魅力を感じます
理論的な裏づけがありますから。
出来なかった技が、だんだんに出来るようになる、ということに魅力を感じます。

 

稽古で特に大変だ、と感じるところは?

B:似たような形がいろいろあって、やっているうちに頭が混乱しますよ
毎日自分で稽古していても、改めて稽古の日に確認することが多いです。

 

他の武道もやってみようという気にはなりませんか?

B:いろいろ武道はありますけど、年齢的にもいっぺんに覚えられないし、
杖道に身体がなじんできたので、出来る限り杖道を続けていきたいと思っています。

 

補助として「トレーニングルーム」のような運動をやってみようと思いませんか?

B:時間的に無理ですね。他にやっていることもあるので。

江角先生:筋トレは勧められません
武道の筋力は稽古で養わなければいけません。
不要な筋肉がついてしまうと動きが鈍くなってしまいます。
無駄な筋力が武道に役立つ訳ではありません

 

稽古を続ける上で、特に気をつけている点は?

B:体調管理ですね
毎週土曜日に稽古をしていますが、相手がある稽古なので、
自分の不調は相手に影響を与える可能性もあるので、その点は気をつけています。
あとは、稽古中気力が続くように、ちゃんと睡眠をとって来るように気をつけています。

 

ご家族の方にも杖道を習わせたいな、と思われますか?

B:大学生の息子がいますが、いろいろスポーツをやっていますので、
武道系にも関心をもってくれれば良いなと思います。
学校の先生になろうという息子もいますので、関心を持ってもらいたいと思っています。

 

当面の目標は?

B:制定型12本の技のうち、今11本まできたので、
あと1本をしっかりと稽古したいのが目標です

 

12本の次はどうなるのですか?

江角先生:本人の技に対する理解、修得状況、修行に対する姿勢を観て考えます。

 

◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆

 

今回は、お二人の杖道門人の方にお話を伺いました。

はじめのAさんは武道に深い経験と実力をお持ちの方で、
あとのBさんは武道が初めてに近い方です。

いずれの方も、杖道に出会えて良かったという気持ちが伝わってきましたし、
終生の求める道として立ち会っていこうという静かな熱意も感じることができました

 

 


 ※今回の取材で大変お世話になった甲府杖道会の小林さんです。

 

 
 ※武道は、礼に始まり、礼に終わります。

                

以上で、甲府市で稽古が行われている杖道を3回にわたって紹介しました。

「甲府市に根付く古武道」というテーマでお送りしましたが、
甲府市に「根付く」ためにはもう少し時間が必要なようです

 

伝統文化を次世代に継承するには、
頭ではなく体に刷り込まなければなりませんのでとても大変なことです

伝統文化に取り組み、今の生活に活かし、且つ将来に繋げようと、
地道な活動をしている人たちがここにいる、という一例として杖道をご紹介しました

 

江角先生、小林様、稽古中の皆様にいろいろご協力をいただきました。
御礼申し上げます。

 


 


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甲府市に根付く古武道を訪ねて(第2弾)

2012-08-29 09:40:00 | 文化

小瀬スポーツ公園・武道館で古武道を探る


市民レポーターの浅野です。
前月に引き続き、「杖道」を紹介します。
前月は、杖道の稽古風景に触れて、どんな印象を持ったかをレポートしました。

今月は・・・
「杖道とはどんな武道か」
について
お話を江角先生にお聞きしましたので、報告します。

江角先生は、東京都剣道連盟杖道部会の常任理事で、
神道夢想流杖術を修業しておられます。
古武士のような厳然とした中にも、
話を伺うときは和やかでフレンドリーな雰囲気も併せ持った先生で、
古武道の先生に相応しい印象をうけました。 

インタビューは気温36度を記録した真夏の猛暑の日でした。

小瀬武道館は、緑深いスポーツ公園の一角にあって、武道の鍛錬には絶好の環境にあります。
この武道館の2階にある道場で、杖道のお弟子さん達が熱心な稽古に汗を流していました。

この並木道の奥に武道館があります
直線する緑道には強い気が流れると言います。
恵まれた環境ですね

 

インタビューは、江角先生、甲府杖道会の小林様、稽古中の甲府杖道会の方々です。 

 

 

 

 

 

 

 

 



江角先生です。
先生の掛け声でお弟子さん達に緊張感が走ります。

 

  ◆◇◆◇◆◇◆ インタビュー ◆◇◆◇◆◇◆

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杖道とはどんな武道ですか。
剣道とどのように違うのですか。
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江角先生

杖を使う武道です。
普通に杖道という場合には、全日本剣道連盟が定めた現代武道のことをいいます。
使用する杖は、長さが4尺2寸1分(約128cm)径が8分(約24cm)の樫の木でできています。

日常的な稽古はこの杖と木刀を使い、
防具がないため形稽古が主体で、精神修養を目的としています

剣道にも形稽古はありますが、
一般には防具を着用し実際に打ち合うことが可能なため試合形式も成り立ちます。
しかし、やはり精神修養を目的とすることに変わりはないと思います。

剣道も昔は木刀や刃引による形稽古が主体でしたが、
幕末には現在の様な竹刀と防具による稽古形態が確立し、
実際に打ち合うことが可能となり、普及しました

しかし、杖道は防具も発達しなかったため、
昔ながらの杖と木刀による寸止めの見切りによる形稽古です。
ですから杖道に入門した初心者でも技や技法、精神的な面などで、
古来から伝承されたものに直接触れることになると思います。
その辺が剣道と杖道とは大きく違うことがわかりますね

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後の質問で出てくるのですが、「形稽古」は技の向上、精神面での向上、
といったすべての面での質的向上を形稽古の中に凝縮して行うということで、
正に「修行」といった趣があります。
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杖道は袴姿で稽古をします。
樫の木で出来た杖を使用するのに 防具を着用しません
危険な稽古ですから、集中力が養われるのです。 

 

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杖道の生い立ち、流派の流れを教えて下さい。

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江角先生

夢想権之助という人を知っていますか
吉川英治の「宮本武蔵」にも登場します。
今から400年ほど昔の人です。

この人が武蔵の二刀の技に敗れたため、
その技を破るために編み出したのが杖術の始まりと言われています。

この技を「神道夢想流杖術」と称し、代々福岡の黒田藩に伝わってきました。
昔の武道家は今と違って、剣、長刀、槍等、あらゆる武術を修業しておりましたから、
それらの長所を取り入れ編み出されたのが「神道夢想流杖術」です。

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宮本武蔵が出てくるとは思いませんでしたが、
武蔵が関ヶ原の合戦に参戦したのは19歳であったと言われています。
その後、武蔵は身に付けた兵法を円明流・二天一流と称して一派を成すわけですが、
ほとんど同時代的に夢想権之助が神道夢想流を創始するということになりますね。
この戦国時代から江戸時代にかけて、武術の流派がいろいろ創始されて
各藩が保護育成し、藩の御用武術として秘匿しています。
これらの各流派は明治時代の始まりまで続くことになります。
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杖道が現代武道として再構築された経緯について教えて下さい。
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江角先生

昭和の初めのころ、当時の警視総監が神道夢想流杖術の実用性に関心を持ち、
昭和8年に創設された「特別警備隊」(警視庁機動隊の前身)に
「警杖術」として採用されました

同時期に民間には現代武道の「杖道」として普及されることになります。
警視庁には福岡の白石範次郎先生の命により清水隆次先生が来られて
神道夢想流を教授され、民間への普及にも尽力されました 

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明治維新後、古流武術の各流派は衰退しましたが、
明治10年の西南戦争に於ける警視庁抜刀隊の活躍により剣術が見直され、
警視庁には剣術世話係が設けられました(現在の助教制度)。
その後、各流儀から採用された形を「警視流」と称しています。
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現在、杖道が全国に普及している状況について教えて下さい。

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江角先生

杖道は、全日本剣道連盟の杖道部会として組織的な活動をしています。
現在、杖道として稽古をしている形は、
全日本剣道連盟が神道夢想流杖術を基に普及用に制定した
「全日本剣道連盟制定杖道」(制定形)のことで、
杖道を学ぶ者は全員この「制定形」を学びます

この「制定形」がある程度身に着くと、
許された者のみが古武道としての神道夢想流杖術を学ぶことになります

一般の小・中学生にとって、
試合形式ではなく理合から入る「形稽古」は面白味がなく、
なかなかこの世代の入会が難しいのが現状です。
今後の課題でしょう。

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合気道も「形稽古」の武道といわれます。
形稽古は形の習得を通して、
乱取り稽古で収得する技より深いところまで到達するので
技の神髄に触れることが出来るといわれたり、
真剣試合と同じレベルまで質的な向上が可能だといわれます。
しかしその辺が理解できるようになるには、ある年限以上でないと難しいでしょう。
形稽古は修行といわれる所以ですね。
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「形稽古」の一コマ
競技やスポーツとは異なる気迫に満ちています

 

 

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杖道の武道としての技術的な特徴はなんですか。
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江角先生

「突けば槍 払えば長刀 持たば太刀 
 杖はかくにも外れざりけり」
と古歌では表現されます。  

杖は、槍、長刀、太刀の要素を兼ね備えた
千変万化する多種多様な技を持っている、ということです。

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杖は前述したように、宮本武蔵の二刀の技を破るために
創始された武術ですから、千変万化する技は当然だと思います。
一般に得物を手にした場合、持つ位置は固定しますが、
杖道では持ち方や手幅は状況により様々であり、
他武道に比し変化に富んでいると思われます
ただ杖道の技術面の特徴は、
実際に稽古に励んでいる人でないと理解は難しいと思います
**************************

 

 

相手の剣先が迫ります。
落ち着いて対峙する胆力を養います。    

                  

 

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杖道の武道としての精神面での特徴はなんですか。
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江角先生

精神面では
疵つけず 人をこらしめ 戒しむる」という、
人を殺めぬ高度な不殺の理念です。

*****************************
う~~ん 高度すぎる
古武道の理念として良く言われるのは、
「戦わずして勝つ」とか
「和合の技」「活人剣」などと言われます。
やはり深遠な精神論は、体感するものであって、
考えたり理解したりするものではないのですね。
*****************************

 

 

*****************************
甲府杖道会の生い立ちや、現状を教えて下さい。
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江角先生

今から5年前に甲府杖道会は発足しました。
それまでは山梨県内各所から、
杖道を学びたい人達が東京(国立市)の私の指導場に通っていたのですが、
その人たちを中心に、5年前に甲府杖道会を設立することになりました

今の会員は15名ほどで、一番若い会員は中学生です

会員を増やす努力は行っておりますし、
某局のTV放送でも紹介されたのですが、
新規会員の加入にはつながっていません

「形稽古」の難しさが影響しているのかもしれません。
形稽古を通して、技術面と精神面の深奥を体得していくのですから、
とっつき難いのは事実です。
より普及させるという意味では、課題になるかもしれません。

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「形稽古」は古武道の魅力の源泉だと思います。
勝ち負けを決する競技性はありませんが、修行のような要素が多分にあって、
形稽古を通じて人間性を高めるといった効果が期待できそうだ、
となれば、武道未経験者にとっても限りない魅力を感じますね。

確かに、小中学生に「修行」とか「人間性を高める」といっても
共感を得るのは難しいと思います。
新たな稽古プログラムの開発が期待されます。
流派の更なる発展と、正しい伝承をするには、
若い人達の入門が重要になりますね。
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甲府杖道会の活動は甲府市にどのような貢献が可能でしょうか。
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小林様

甲府市あるいは山梨県は、江戸時代が天領であったためとも思われますが、
現存する古武道の少ない地域です。

剣道はじめ各種武道は修行者人口が減少している中、
現代武道としては新興である杖道は、古武道色が強いためか増加傾向にあります
元々山梨県は武田信玄公の流れを汲んだ尚武の土地柄でもありますので、
杖道を通じ武道の普及に貢献できればよいと思います。 

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青少年に杖道が普及すれば、青少年の精神形成に大いに貢献すると思います。
今、世の中を騒がせている「いじめ問題」はなくなるでしょう。
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羽黒地域の自然・歴史遺産

2012-08-22 11:25:00 | 文化
 「羽黒お天狗さん」と山麓の「意地悪ばあさんの石いも伝説」  

こんにちは、市民レポーターの内藤です。
今回、みなさんにお伝えしたいのは羽黒地域の自然・歴史遺産についてです。

まずは、お天狗山(羽黒山)の自然環境と歴史ドラマについてご紹介します!!
天狗山は標高約490mで湯村山と似通った外形をしています。

 このお天狗山のふもとにある羽黒大宮神社の境内には大岩塊が7点あり、
    その岩は御岳昇仙峡や千代田湖付近に分布するものと同じ、
    白砂の源岩・花崗岩の軽石です

 

この地域は、隣町の湯村温泉郷と同じ地質環境をもっています
地殻深部から上昇したマグマが冷えて、水晶等を晶出し、花崗岩が形成され、
その後、火山岩・安山岩が噴出し、この地域の温泉源となっています

神社境内に接続する道筋の火山地形は、
湯村温泉郷と同じ安山岩で構成されているのに、
この神社境内のみに花崗岩(みかげ石)の大岩塊が点在しているのは、とても不思議です

 

この天狗山山頂にある積石塚古墳は関東一の規模だと言われており、
「聖なる山」として毎年3月21日には地域住民による盛大な祭典が挙行されています

 

 

頂上の石塚付近には三本の鉄劍がたてられており、
その両側には石碑が設置されています

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  鉄劍には「荒木大神石柱・敬神霊神・駒ヶ嶽大神」と刻まれています。
  石碑には「天命霊神・考力霊神・荒木信者」と刻まれています。
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 金峰山・御岳昇仙峡から千代田湖にかけての深成岩・みかげ石岩体を突き破って噴出した安山岩が、
 温泉をともなって単火山として噴出し、現在の自然景観と歴史ドラマを形成した羽黒北山筋地区。
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次に、この地域に残る、意地悪婆さんの石イモ伝説と「みのるが池」の童話的ドラマをご紹介します

今から500年前の室町時代末期に、
羽黒町竜源寺の天外格道・住職がお天狗山山頂の噴きざらし観音像を、
背負って降ろし、寺の境内に隣接した草庵に安置したといわれています。

この草庵は広さ20坪ほどの「みのるが池」の辺りにあったそうです。

この池は現在では埋め立てられ、小さな泉となり、静水を流しています。
地域の人たちは現在この池を「弘法様の池」と呼んでいます

 

なぜ、地域の人たちがこの池を「弘法様の池」と呼んでいるのか
「みのるが池」にはこんな伝説があります・・・

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   ある時この池で老婆がイモを洗っていました。
   そこにお腹を減らして通りがかった弘法大師が、イモを1つ所望したそうです。
   ところが老婆は「・・・これはイモではなく石だよ・・・」と拒んだというのです。
   すると、とたんにイモは石に変わってしまった・・・
   ≫≫甲府市HP内 『おはなし小槌』 弘法大師と石芋のページ
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弘法大師(空海)は仏教を広めるために、諸国を漫遊していました
また、湯村温泉・弘法湯の開発者とも言われています。

老婆の洗っていた石イモ原種は現在でも池の畔に生えています
この植物学的特性は「ヤマイモ、サトイモ、ジャガイモ」のどれかは不明です。

しかし、長野県青木村沓掛温泉にも「伝説的弘法イモ」と言われるイモが自生しており、
「みのるが池」と同じ里芋の原種ではないかという人もいます

沓掛温泉にも羽黒の「みのるが池」と同じ伝説的話題が残っていることには驚かされます

 

 

「みのるが池」湖畔に群生しているサト芋の葉の形態からは、
明らかに現世種・里芋であると理解することができます

しかし、残念ながら、池の周りには歴史的案内板はありません。
今後の地域の文化財保存活動を期待したいですね

みなさんも生涯学習の1つとして身近な歴史などを探索してみてはいかがでしょうか

 


 


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