◆講師の一ノ瀬敬一さん◆
こんにちは。市民レポーターの 杉浦玲子 (すぎうら れいこ)です。
今回は10月19日㈬に南西公民館で行われた歴史講座のご報告です♪
こちらの歴史講座は、信玄公没後450年カウントダウン関連イベントとして開催。
講師は山梨県立考古博物館学芸員の 一ノ瀬敬一(いちのせ けいいち)さん。
「考古学からたどる甲斐源氏の軌跡」というテーマで、参加者20名(定員)に講義されました。
武田氏のルーツとされる甲斐源氏。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、源頼朝から警戒される存在として、甲斐源氏の棟梁・武田信義が登場していました。
そもそも「甲斐源氏」とは?
「源義光(新羅三郎)を祖とする、甲斐に所領や由緒を有した源氏の総称」と、講師の一ノ瀬さんは説明。清和天皇からの系図を見ると、源頼朝の曽祖父・八幡太郎が兄で、武田信義の曽祖父・源義光が弟だったことがわかります。
八幡太郎が陸奥守となり、源義光は兄への支援をしながら、陸奥国南部から常陸国(那珂郡武田郷)にかけて所領を獲得。しかし、源義光は常陸国で源義国と争い、息子の源義清も平清幹の嫡男と対立し敗北。父子で甲斐へ移動することに。当初は市川荘(市川三郷町)へ、その後、逸見荘(大泉村)へ移動。義清の子ども世代は甲斐全体に進出していきました。
鎌倉幕府での甲斐源氏は、治承・寿永の乱では頼朝方として活躍しましたが、基盤の強さから頼朝に警戒され、切り崩されていきます。
その後の甲斐源氏は、数多くの子孫が各地に展開し、全国的なネットワークを形成。武田氏・加賀美氏・
南部氏・安田氏など、様々な氏族が分立していきました。そして信玄公へと繋がっていくのですね。
一ノ瀬さんのお話によると、「甲斐源氏の由緒が数多く残る山梨では、まだまだ価値の明かされていない遺跡が様々な形で存在している」そうです。
「考古学的成果が今後さらに大きな意味合いをもつことになります。身のまわりのことを調べると、おもしろい世界が広がるので、みなさんもぜひ調べてみてください。」とよびかけていました。
★本と歩こう(41)★
武田信玄公生誕500年記念
『武田信玄初陣』
山田昌夫著
株式会社エコー出版
2021年発行
※出版社の著作権に基づいて書影を使用しています
今回は、武田信玄記念事業関連の本を選びました。
天文5(1536)年、信濃佐久の平賀源心(海ノ口城)を討ち取った16歳の武田晴信(信玄)。
その初陣の伝承について研究を記した本書には、甲斐源氏の史跡も多数紹介されています。
本書を片手に、信玄公や甲斐源氏ゆかりの地を散策してみてはいかがでしょうか?
―取材へのご協力、ありがとうございました―