昨日、自治会通常総会が終了しました。懸案であった特別会計の取り崩しも承認されほっとしています。残すは残務整理のみ、任期は2年である為に新しい年度の活動開始です。農作業の遅れもありますが、今日一日はのんびりとします。
昨日の忙しさを忘れて朝からのんびりじゃなく居座っている状態でネットサーフしてる状態です。こんなhttp://www.teichiku.co.jp/artist/higuchi/disco/cg17_lyric.htmlホームペジにたどり着きました。(テイチクミュージック関連で安心してのぞいて下さい)作者不詳の歌詞の様です。はまってしまい歌詞を記録しました。(因みに歌詞はコピーできません。)キーボードを叩きながえら母の姿と重なりおもわず涙があるれました。いずれ私もこの様な事が近い年齢になりました。はたして子供たちがどのように答えてくれるか???。
昨日は本当に忙しい一日でした。明日の自治会の準備(会計報告資料準備:会計報告3枚,特別会計取り崩しの提案書4枚の確認と印刷85部)で朝からExcelとWord相手に悪戦苦闘、863円行方不明です。セル個々に計算式を入れている為に何処で間違っているか往生しました。提案書の印刷と会計報告の再チェックをしていましたら、テトラ再構築のプッシャー船が敷石投入を始めてそれを写真撮影 投入風景と投入後の風景をUPしておきます
。あれやこれやで会計報告チャックと提案書の印刷が完了したのが、午後5時。携帯電話のアラームがせわしくなり何かと思いきや午後6時30分からの御年祭の踊りの稽古をすっかり忘れていました。あわてて夕食後でかけました。年ですね、音頭にあわせ様とすると、足が合えば手が合わず,手が合えば足が合わずの2時間でした。練習後の慰労が終わり、あわてて帰宅今度は会計監査の為の打ち合わせ、終了が午後10時になってしましました。今日は朝から会計報告の印刷をしています。今夜も踊りの稽古です。
昨晩電話あり、誰かと思いきや入社同期の**彰(私と同姓)君、昨年体調を崩したとの話を聞いていましたがすっかり回復と聞き安心しました。話をしておる折に娘婿の故郷が周防大島町土居との話、祖父母が健在で土居に住んでる話になりました。広い様で狭い、まさか徳島出身の同期入社の仲間と近い縁でつながるとは思ってもみなかった事です。大阪では、同期の仲間が花見の宴を持つとの便り、遠くて参加できないのが残念です。仲間は良いもんですな。
同窓の仲間,同期入社の仲間,職場の仲間,故郷の仲間,陸奥太鼓の仲間,小泊港祭りの仲間、大切に付き合いたいものです。
自治会総会が近づいてきました。会計(総務兼任)を仰せつかり一年、会計報告作成と総会準備に苦労しています。夜遅く迄かかり、大好きな朝の釣(5時30分頃から出漁)もできません。会計処理は時間さえあれば何とかなりますが、総会準備に抜かりがあってはとやきもきしています。
一昨日からミカンの樹の剪定を始めました。昨年生らなかった樹は剪定を多めに、生った樹は剪定を軽めにとは言っていますが、素人のする事で生り芽がどれで残すかも判りません。とにかく樹を透かす事にしています。今のミカン価格では、真剣に取り組むことすら出来ません。とにかく食べれるミカンが出来ればの軽い気持ちです。甘酸っぱい花の咲く季節ももう直ぐです。
魚が釣れません。水温が低い(魚の活性が悪い?),潮が悪い(小潮時は潮流が少ない),磯が死んでる(磯ヤケ?),実際に魚がいない(乱獲?),温暖化(魚の分布が変る?)等々原因はあるでしょうが。
釣れないから釣に行かない,釣に行かないから釣れない,卵と鶏の心境、果たして原因は。8年前は投げればメバルが上ったと聞きます。いけんまが真っ黒くなる程メバルが釣れた話を聞きます。
今日も釣に出ませんでした。4,5隻出ましたが漁獲なしや早々の帰港を目に(毎日漁獲の動向を探っています)しました。ヤズだけは良く釣れているようです。ヤズやハマチは、デンゴ,鰯,イカナゴ等餌になる小魚を捕獲しこれらが寄り付かない所為でしょうか。
今年はミカン不作の年で価格の高騰が期待できる年ですが、景気の後退で消費が伸び悩み価格は微増に留まりました。それにしても集荷の少ない年です。今日伊予柑やデコポン等の雑柑を集荷して、小泊の集荷は終了します。JA山口大島では、今から『せとみ』の集荷が始まりますが残念な事に小泊は今年出荷できる農家がいません。私も11本(3年目)を植え付けましたが、出荷できる迄には植え付けから5年かかると言われています。が、20個ばかりの収獲があり食して見ましたが味は抜群です。今の私達の年齢を考えれば実り迄の期間が長過ぎ、出荷と言うより自家消費の為に植え付けをしている家が多いと思います。
今、夜中の0時30分眠れなくてネットサーフィンしています。眠ろうとすると余計眠れません。2月に一晩くらい眠れない夜が訪れます。冷蔵庫をあさり、酒のつまみと缶ビールを手元に置いてキーボードを叩いています。大金を枕元に置いて眠れない,今はありませんが明日のデイトが気になって眠れないのであれば素晴らしい事ですが。そろそろ酔いがまわってきました。お休み。
数年前の春から、有志でイカナゴ網(地引き網)を引いています。ダンベー舟(動力なしの木造の角船を呼んでいます)が時代物で虫食い(木造舟はたでると言って半年に一度くらい船底を焼いて虫を追っ払っていました)が酷く、コルタールを塗る事にしました。船底は10日前に塗り終わり、昨日船倉部のコルタール塗りを実施しましたが、前回同様に身体にコルタールの匂いが染み付き往生しています。今年は明石のイカナゴが豊漁との話を聞き期待しています。イカナゴは東から西に移動するとの事、釘煮にする小さいイカナゴは明石付近でとれ、段々大きくなって大島付近で取れるとの事です。実際に移動してるか否かは定かではありませんが、漁師仲間では言い伝えられています。小泊では5㎝以下のイカナゴは取れないのも事実です。
ホームペーjジの小泊の今日の為に毎日波止場で写真を撮っていますが、先日レンズカバーを海に落としてしまいました。たもで掬い取ろうと思いましたが、たもの金属にひっかるも網に入らず岩の間に入りジエンド、買う羽目になり柳井のデオデオ迄出かけ購入、良く出来たもので落下防止用の紐が付いて販売していました。これで安心です。
違った風景を掲載したいのですが、朝の撮影は東方向は朝日で逆光です。それと直近の写真出ある事。アップロード後は畑仕事です、遠出で時間をつぶしたくないので毎日同じ風景になる訳です。季節を感じさせる風景の時は遠出もやむおえませんが。
昨日、マシン油防除を済ませる。本当は、暮れか年頭にすべきところ風邪をこじらせていた為に延期していました。3月の場合はアタックオイルを使用します。マシン油防除は樹を洗うが毎きに消毒します。おかげで長靴の中まで消毒液が入り足の消毒(水虫?効果は疑問)迄しました。春迄まだ々続きます。春肥の施肥,草刈(秋まで続きます),剪定(ミカンの出来具合を決めると言われていますが、素人のやる事?),土上げ等々、なか々楽しむ(自分のやった事が反映されたか否かわかりません。結果がよければよいのですが)迄に達しません。昔、植木等が『サラリーマンは気楽なもんときたもんだ』(40数年努めましたが決して気楽ではありませんでした。)なんて歌が有りましたが、それ以上の報われない苦労(赤字ばかり:生産費も帰ってこない価格)があります。最近に至っては、使用した農薬,肥料リスト迄提出しないと出荷出来ません。農業(漁業も)は廃れる一方です。
今になるとハイカラ(<m(__)m>)な食べ物が主流となり、昔食べた母の食事を時々思い出しています。次に列挙しますと、
- 芋団子 芋を輪切りにした餡を芋粉で包んで蒸した団子(真っ黒な団子でした)
- ひがしやま 商品にならない小芋をむしてほし、生乾きで食べる。子供のおやつです。
- かんころ餅 芋を薄くスライスし乾した物を、茹で半潰し下物ではなかったかと思います。かんころは澱粉の材料で売れていましたので、かんころ屑を使っていました。
- 烏賊の佃煮 乾しするめをはさみで細く切って佃煮を作る。学校の弁当の定番でした。
- 水餅 正月に造った餅を瓶の中で水付けにする。焼くと本当に柔らかい。
- ヒジキ飯 今でも作るが、当時はおかずがありません。お接待で放課後に良く廻りました。
- 茶粥 一般的には白粥ですが、お米の消費を少なくする為に良く食べたものです。奈良県,和歌山県で食べられているようです。白粥は病み上がり等に作ってもらった覚えがあります。
- 芋粥 茶粥にまして、お米の節約で芋を入れた茶粥でした。
- きび粥 茶粥にきびを入れてた事も。
- 麦飯 今では健康食品とよばれていますが、当時は米の節約の為でした。それも麦比の高いご飯でした。銀飯(米だけ)が食べれるのは、年に数回だけだった。
- 切干大根 今では販売されていますが、当時は自家製酢の物にしていました。ハリハリと言っていた様な気がします。
- イギス 法事の時は必ず作っていました。ご馳走でした。今では作る人も少なくなりました。
- じんだ 今では土手鍋と称し食べる事も出来ますが、当時は親指爪大の牡蠣(磯牡蠣)を磯で牡蠣打ちし、ねぎと味噌炊きしていました。今でも大島牡蠣で作って食べます。
- 酢牡蠣 大きな大島牡蠣や広島牡蠣ではなく、磯牡蠣で作る酢牡蠣は最高です。
- 牡蠣寿司 磯牡蠣を入れた寿司正月の定番でした。
- ちりめんの釜揚げ 現在でも解凍品は売られていますが、昔は小泊にも網舟が2軒ありましたので浜上げの釜揚げは最高です。私の家で釜揚げしていました。
- おこげご飯 法事等大人数の時は大釜でご飯を炊いていましたので必ずおこげが出来、子供のおやつ代わりだったと思います。デンキ釜では出来ません。
- ヤハンドウの酢付け 雀鯛の事ですが、焼いた物を酢付けにします。骨が硬く太くて販売品にならない魚でした。良く喉に骨がつかえて、ご飯を飲み込んだものです。
- さつま 焼小魚(商品にならない『しりくさり』『たてぎぞう』『あおぎぞう』『ひょこたん』『もは』『はぜ』等)をむしって味噌とすり合わせたものを、ご飯の上ののせ、お茶(湯)をかけた代物。小泊の漁師が鹿児島から伝えたとも聞きます。昔の小泊の漁師は遠く五島列島まで出かけていました。移りすんだ人もいいます。
- にいない 海螺の事。男にいない,女にいない,煙草にいない,鉄にいない,とんがりにいない等と言っていましたが、茹でておやつ代わりに食べていました。縫い針で取り出し食べていました。今でも時々酒のつまみにします。
- 馬鹿貝 真っ黒の貝殻でしたが、東波止内の砂浜で取れていました。今はいません。
- さるた 磯に牡蠣とは別の貝が付いていました。茹でて食べた思いでがあります。
- とうきび とうもろこしの事。今でも祭りや観光地で売っています。茹でる焼く、貴重なおやつでした。
- きな粉 麦(?)を焼いて粉にした物、砂糖をまぶしてそのまま食べる。またはお湯で溶いて食べる。今でも販売はしていますね。水餅を焼いて塗す事もありました。
- 節句餅 餡を米粉(?)で撒いて『ぼての葉』ではさみ蒸した物、端午の節句に作っていました。今でも和菓子屋で販売されていますが、今は作る人もいません。桃の節句の思いではありません。
- 大根なます 大根,人参(昆布が入っていたかは記憶なし)で作っていました。亥の子の日には、亥の子宿で振舞っていました。
- うに 母の食事とは無関係です。、羽仁の浜には紫うにがごろごろいたのを思い出します。当時はうにを食べる習慣もなくもったいない事をしたものです。今では最高級品ですが。
等々、今日はレトロな気持ちに浸っています。商品にならない物を食べる。自家製の物を食べお金を使わない。お米は作っていましたが、販売してお金にする事を優先する。ミカンでも大きな物は食わせてもらえない時代でした。