母の知人のお孫さんが先日東京から小泊へミカン狩りに来島したことはUP済ですが、「ナマコ」,「ハゲの刺身」,「ハゲの鍋」を一寸サービスしました。「ハゲの刺身」,「ハゲの鍋」は食べるだろうと思っていましたが、「ナマコ」を食べるのに驚きました。都会育ちはあまり食べない様な気(以前会社の部下2人[尼崎と奈良出身]と出張し勧めましたが食べませんでした)がします。ナマコがある事を告げると大好物と大喜び、酒こそ飲まないものの、隣で飲む私も楽しくなりました。
昨日3人でミカンの梱包しました。都合31箱(伝票記入だけでも大変,全て先方書き)荷造り後は軽トラで搬送店へ2回(我が家から15m,伝票を貼ってる為に2段積みが出来ません)若い応援団(水泳のインストラクターに就職が決まった様です:東京育ちの女性ですが肩幅,前鋸筋が半端じゃない)がいましたので助かりました。
昨日投稿のミカンもぎの応援団1人欠員も,徳山から2人(30㎏引き取り),島根から2人(単に我が家のミカンが欲しい人:100㎏買ってくれました)、収穫量は例年の3分の1ですが8割方終了です。明日は荷造りが待っています。ちなみに約25箱の梱包。もちろん無料ではあげませんが格安料金で。残りは小生一人で3日(3時間/日)で終わりそうです。各屋とも収獲は半減、でもミカンの収入(単価)はあまり増えません。
母の親しかった人(神戸在住)が今日小泊に来ます。毎年12月(ミカンの梱包と送付の為、今年は私の体調を心配してミカンの収穫も)になるとやってきます。今年は一寸違って東京在住のお孫さんとその友達の3人でくる様です。お孫さんも大学を来春卒業、就職も決まって初めての小泊それも我が家のミカンもぎがしたい様です。大島の魚でおもてなしがしたいのですが半年以上漁に出てないのが残念です。父親も一度小泊に来た事はある様ですが。小生退職前で会った事はありません。
明日は島根からも我が家のミカンが欲しいと言って2名の応援(と言ってもミカンが目的)です
明日は島根からも我が家のミカンが欲しいと言って2名の応援(と言ってもミカンが目的)です
母が逝って現在一人住まい、毎日の食事のレシピに悩みます。と言っても男の料理レパートリーは知れてます。鍋,丼物,焼き魚,煮魚,豆腐,カレーライス等々に限定、一番困るのが野菜料理と揚げ物(から揚げ,天ぷら,サラダ,野菜の煮物等)。野菜不足は判っていてもなかなか。カップラーメン等はなるべく食べない様にしてますが。
防波堤の嵩上げ工事もだいぶ進みました。年内完了予定もこの時期になっては完了しそうにありません。帰省のおりにはびっくりすると思います。
北海道は爆弾低気圧の影響で大荒れの模様、遠く離れた山口県の小泊でも風が強いです。午前中は晴れでしたが、遠くにある雲で粉雪が一時舞いました。
昨日、妻に贈る為に酢橙を収穫(既に出荷時期は過ぎています)しました。今日農協のセンターに行きましたら「切りナマコ」が初販売、早速購入しました。ナマコは酢橙で食べるのがいちばん。夕食には酒が進みそうです。一寸高かったけど。
9月の台風対策として、繰り出しロープとは別に「とも」に錨を打ち「おもて」をロープで舫って放置していましたが、昨日やっと錨を上げ舫いロープを外しました。と言う事は釣りに出てないと言う事です。
今朝のホームページで紹介した、一冊の本を購入しました。安下庄のみずのわ出版が出していますが、周防大島文化交流センターでもしやと思い買い物途中で寄って見ました。掲示物もあり内容が確認できます。小泊の写真が5枚(峠からの全景,東部造船所,御大師堂,隧道,堤防の造られたコンクリート道路等)ありました。当時(昭和2,30年代)は車も自転車もなく、和田(18枚),内入(5枚),和佐(12枚),神浦(5枚)までが移動範囲、森から下田は帰省時にバスの中から眺めるのみ、小伊保田以東と、大積から船越の南回りは一度も通った事なし。片添ヶ浜に2度遠足白木山に一度上った経験(森,平野を都合3度歩いた事になりますが)があるくらいですが懐かしい写真が掲載されています。と言う訳で一冊購入(¥2,700)しました。下がその表紙です。(和田の通い船)
そうそう、高校入試で一度安下庄(まさに試しで)に行った事、就職祝いの腕時計の購入で久賀の中司時計店に行った事、中学マラソン応援で椋野、選手として日前から長浜迄走った事(2.7㎞の短距離でしたが、後で13秒で区間賞を逃したと聞きました)を思い出しましたが、殆ど風景の記憶がありません。定年で帰郷後、昔の古いバス道路を通った事がありますが、昔の面影はありません。今後発行(来年11月)される「久賀編」「大島編」で懐かしい写真が見られるかもしれません。
そうそう、高校入試で一度安下庄(まさに試しで)に行った事、就職祝いの腕時計の購入で久賀の中司時計店に行った事、中学マラソン応援で椋野、選手として日前から長浜迄走った事(2.7㎞の短距離でしたが、後で13秒で区間賞を逃したと聞きました)を思い出しましたが、殆ど風景の記憶がありません。定年で帰郷後、昔の古いバス道路を通った事がありますが、昔の面影はありません。今後発行(来年11月)される「久賀編」「大島編」で懐かしい写真が見られるかもしれません。
今日、小泊のミカン荷受け場(以前は集荷場と称していました:3年前から使用取りやめ)の解体見積もりが実施されました。来年1月迄堤防嵩上げ工事がなされますので、解体はその後になります。我が家では2階からの見通しが良くなりますが土地は小泊自治会の所有です。農協からの地代約7万円がなくなります。自治会運営が苦しくなります。また自治会費の値上げになると思います。故郷納税も良いですが小泊出身者の方々の自治会への寄付があるとありがたいのですが。
次男坊の37(±1)年前の写真です。母の遺品にありました。多分2,3歳頃(大阪に行けば正確な事が判りますが)と思われます。大阪の我が家の庭で撮影した物です。繊細な長男に比べておっとりタイプです。