古里小泊のブログ

古里周防大島町小泊から発信。写真付きで日記や趣味を書く 写真はクリックで大きく表示gooブログ

いや~参った参った

2008-11-29 08:18:34 | 漁業

 夏の間、持ち舟のハッチの中からあしなが蜂が飛び立つのを見て、その都度海水をハッチ内にぶち掛けていました。11月になって回転計が動作しなくなり、魚探が不良となり乾燥修理をし治ったかに見えましたが、直ぐに悪くなります。11月半ばに航海灯と常夜灯まで点灯しなくなり、ミカンの収獲や出荷で釣を休んで25日から修理を始めたところ、航海灯と常夜灯のスイッチが錆びて不良,交換(久賀迄車で走る)しても駄目,最後にビニールテープで巻かれた配線をばらした処、配線の繋ぎが殆んど腐食、柳井のホームセンターやらイエローハットに日参、昨日やっと修理完了。結局魚探が不良でも無くスイッチでもなく配線の繋ぎの腐食が原因でした。ガソリン高騰の折、無駄な出費と時間が重なりました。結局夏の間に潮水をハッチの中にぶち掛けたのが原因のようです。よかったのは、あしなが蜂の巣を見つけ撤去できた事(話してみると他の船でも良くある事らしい、どうも潮風が必要の様です。)、スイッチが更新できた事、魚探を更新しなくてよかった事、安心して釣が出来る事(漁に出た時のバッテリー上がりが怖い)です。会社勤務で培った技能で電気回路の修理はお手の物です。ただ修理部品と工具の入手が難しいですね。明日から安心して釣が出来ます。


早生蜜柑収獲終わる

2008-11-23 08:07:20 | 農業

 昨日遅く早生蜜柑の収獲を終えました。青い蜜柑の収獲程精のない事はありません。例年にない収獲です。色着けの防除も有りますが、農薬はあまり使いたくなく実施しませんでした。状況次第では実施も考えなければならない事が6年目にして判りました。


亥の子

2008-11-19 10:02:41 | 祭り

 今日は、亥の子の日(多分亥の日)です。昔は男の子(当時は子供会等ありません)のみで仕切りました。大人の口出し無用で、中学3年(だったと思います)の男の中から総大将(東と西で)を決め亥の子宿とします。子供達で亥の子の寄付集めにを回りますがお金の場合と蜜柑(当時は高価のものでした)の場合があります。集まったお金で材料を購入して御幣を作ります。又亥の子に参加した子分(年下の男の子)に分配(亥の子土産)するお菓子や寄付に頂いた蜜柑等を袋詰めにします。亥の子の出陣の為に酒一升を購入(当時は子供でも手に入れる事が出来ました)し、亥の子宿で一年間保管した亥の子の整備をして準備完了です。

もう一つ忘れていました。志肝(肝試し:漢字はこれで良いか否かわかりません)会の為に場所(恐ろしい場所:定番として野辺焼きの場所)を選定して持ち帰りの旗を立てる事です。

当日の日暮れからは、東西の亥の子宿に子供たちが続々集まります。唯一親の出番は、亥の子宿での『ぜんざい』と『大根なます』の振る舞いの準備が始まります。まず出陣の前に清めの酒を亥の子石に酒をかけて清めた後、亥の子宿で亥の子突きが始まり、初亥の子(男の子の誕生した家)を回って、浜に繰り出し東西から境界迄亥の子をつきながら進みひと回り見栄突きが終わってから、東西の亥の子の親綱を結びます。東西の綱引きの始まりです。私も亥の子宿を持ったことがあります。その当時はやっていませんでしたが、その昔は綱引きで勝った方が負けた方の亥の子を宿に持ち帰り。翌日負けた方の挨拶で亥の子を返すような事があったやに聞いています。勝てば官軍負ければ賊軍、大将の時の勝ち負けの記憶がありません。綱引きが終われば、宿に帰って各学年毎(幼児と1,2年生は無かった様に記憶していますが)に肝試し場所に行きます。肝試し免除の幼児と低学年生は亥の子土産を貰って帰宅、肝試しの子供は旗を持ち帰って亥の子土産がもらえます。肝試しの定番と言えば、『野辺焼き場』『ドンドロ松』『一本松』『ごろの奥』『大崩』『羽仁奥』、私が小学校五年(?)の時はルース台風の時で小泊に停泊した機帆船が沈没し10数名の方が無くなった事があります。当時の消防機庫に安置された後の肝試し場所で、小泊のど真ん中ですが恐ろしかった記憶があります。


綺麗になった砂浜

2008-11-18 08:33:33 | 奉仕

081118  半年かかりました。家の前の砂浜に瓦礫や石が多く子供の遊び場(遊泳も)にもならない状態(残念な事に写真を撮影していませんでした)でしたがこんなに綺麗になりました。狭い範囲ですがこつこつすれば良くなるなと思いました。写真奥の石積みは集めた石です、その奥はまだ未踏破で石がごろごろしています。。細かい瓦礫は写真には写っていませんが、石組みの波止の隙間に入れました。残念な事に、まだ一人では動かしがたい石が2個残っています。石が無くなると砂浜が波に洗われ滑らかな砂地が出来ました。砂浜の黒いものは、とんがり帽子の様な螺(にし:小泊では『にぃない』と言います。学名は判りません)子供の頃はおやつがなく、茹でて食した螺ですが今は誰も振り返りもしません。


早生蜜柑収獲始める

2008-11-12 08:59:25 | 農業

 やっと色づきが始まり早生蜜柑の収獲を昨日始めました。と言っても遠くから見れば完着と思い近づくと5,6着色で収獲できないものが多く最後の出荷日に間に合うか(1,2回は無出荷)心配です。色づきが無いといっても味は良く贈答(家族,親戚&知人)には格別の支障はありません。

1週間釣に出れません。ダンベーの魚が残り少なくなりました。


待ち望んだ寒波到来

2008-11-09 08:19:49 | 農業

 昨夜の夕食は皮ハギの鍋でした。寒くなると漁は出ずらくなりますが、特産の蜜柑の為には必要です。気温が下がらないと蜜柑の色付きが遅くなります。昨日からその寒さが到来した様です。朝も入側(当て字かも知れませんが小泊は昔から背後の山を『にゅうべら』と呼んでいます。べらとは**の方向、小泊で言う内入側の山でしょうか)の樹がざわざわと啼いています。小泊の海も波が高く漁に出る人もいません。内入側は多分おおしけでしょう。


猪が里山に下りる

2008-11-05 08:34:49 | 自然

 昨日、中生・普通温州蜜柑の『蜜柑バエ』園地検査がありました。例年ですと1~2園地で発生を確認する(発生園地の蜜柑は出荷出来ません)のですが、幸いに発生は確認できませんでした。発生すると親蠅が蜜柑に卵を産みつけ数ミリの幼虫が果実の中で確認できます。もともと沖縄地方特有の害虫でしたが、温暖化の影響でしょうか十数年前から北上し九州や山口県で確認する様になりました、愛媛県の事については耳にしていません。昨年は2件の消費地での確認があり、農協職員がフォローに苦労した様です。と言っても抜き取り検査ですから(全数検査すると販売する蜜柑がなくなります)防ぎ様がありませんが。栽培を止めた放任園地の樹木が巣窟(出荷園地は防除をします)となりますので伐採が必要になります。放任する農家では伐採の余力(労力,資金)も無いのが現状です。

 話は変りますが園地検査の折、猪が例年に無く里山に下って来ているのが確認できました。蜜柑の樹への被害はありませんが、ミミズを食べるのでしょうか湿気り気味の園地に多く現れています。芋,竹の子等が好物のようで、人家近くの芋畑にもその内出現するのではと危惧しています。

 トラックバックの意味が良く判りませんが、一時危険なHPがリンクされました。UP時にはトラックバックを受け付けない様心がけています。


来年5月25年祭

2008-11-02 10:36:46 | 祭り

 早生蜜柑が色づきしません。と言った事でブログの更新をしています。来年(平成21年)5月に和田筏八幡宮の25年祭が行われます。和田,内入は守護神は筏八幡宮のみ、小泊は小泊天満宮と筏八幡宮の双方が守護神(どう言い表していいかわかりません)となっています。石碑や幟など奉納が和田,内入では盛んに行われているようですが小泊では少ないようです。これは私だけの考えですが、奉納するとしたら筏八幡宮より小泊天満宮に奉納する事を選択する方を選びます。と言った考えでしょうか。

 和田,内入は『しゃぎり(山車の事です)』を出すそうです。小泊は25年前は出しましたが今回は????。小泊の青年団(と言っても66歳)に警察官退職者がいて車(自動車)に山車を積めないか(小泊峠を人力で越えるのは大変)警察署へ打診した所可能との返事、しゃぎりのくりだしが検討されています。小泊は芸人が揃っています。賑やかな『しゃぎり』を出して見たいと思っています。11月中には結論が出るでしょう。都会で働いている方もこの時は帰省して参加して欲しいものです。


魚釣り

2008-11-01 09:12:49 | 漁業

 早生蜜柑の色づきが遅れています。寒気が下らないと色づきは遅い様です。ここ一ヶ月皮ハギ釣(実は引っ掛け)ばかりで食傷気味(刺身,煮魚,汁のみ)です。ボケ防止もあって、88歳の母が食事を用意し私は魚の下ろし以外は一切手を出さない様にしています。安心の為に油料理(フライ,天麩羅等,唐揚げ等)は一切させない、又昔人間の為にムニエルといったハイカラな料理はしません。久しぶりに青魚(主に鯵ですが)が食べたくて早朝から出かけました。

見事に坊主でした。昔流に言うとダンベーに生かしていますので今日も皮ハギです。