5年前に亡くなった叔父貴の嫁さんが亡くなりました。私より一歳若い義叔母です。本家筋に当たる私が行かない訳にはいかず、埼玉まで片道8時間、通夜,告別式とお付き合いし、なかなかいけない叔父貴の墓(茨城の神栖)参りと強行軍、疲れました。ブログを覘いて直ぐに寝ます。おやすみ、適当なカテゴリもなくニュースにしときました。
今日は昼からイカナゴ網の網上げと納会の為に最後の網引きを実施、大漁でした。今度は秋のデンゴ(故郷で言う小鯵)網迄一休み。倉庫に入れるには鼠に網を齧られるのを防ぐ為一尾の小魚も網に絡まってない事と、匂いが消えている事が大切です。今日は終日晴模様ですので安心。我々のイカナゴ網は半分遊びの要素が含まれるので愚痴る事もありませんが、農業や漁業に従事していると、このような下準備なり跡始末なりが、製品単価に織り込まれる事が少なくなりました。消費者としては安い方が良いでしょうが。
知っていましたか。???? 環境省が提唱する全国一斉消灯キャンペーンが今日18日午後8時から2時間実施されるそうです。山口県では、ライトアップしている観光名所,工場,企業,大型商業施設等65ヶ所が登録、全国で4万ヶ所以上になる様です。夏至直前の日曜日に、地球環境を考えながらスローな夜を過ごしてもらおうと2003年から始まったそうです。(6月18日の中国新聞より)家庭でも協力をと呼びかけている様ですが、皆さん強力(あえて誤字)できますか。ましてや今日は午後9時からクロアチア戦ですよね。
1977年ニューヨークの29時間に及ぶ大停電、翌年の出生率がぐんとUPした見たいですよ。今、小子化対策が叫ばれていますが、環境省とタイアップしてみたらいかがでしょうかね、スローな夜と長ーい夜の相乗効果を狙って。
そうそう、いい忘れていました。人工衛星の夜の写真では日本列島の形がはっきり見えるそうです。
追記:夜の日本列島で検索すると見れました。
係留中の船の下に、蛸壷と蛸アミ籠を1つづつ沈めています。昨日船への給油時に、引き上げたところ、壷に8日の蛸(?)と籠に小蛸がそれぞれ1っぱい入っていました。小蛸は既に腹の中で8日の蛸(?)は今夜当たりか。田舎にいると、理由をつけて祝杯ばかり身体と財布が持ちません。そうそう、籠には『そい』の子(田舎では石かもうと言う)100g級が3尾おまけがありました。因みに蛸壷には生牡蠣や瀬戸貝(磯についています),籠には小鯵(バンバン釣れます)をしめて入れます。
昨夜のW杯,日本対オーストラリア戦のテレビ観戦で目覚めず釣りにいけませんでした。釣りと言えば昨日4時半から釣りを始めましたがどの船も散々の釣果、5時頃に船が持ち上がる様な体感があり帰港後ニュースで地震があった事を知りました。経験者に聞くと地震の後は魚が釣れないとの事納得。それにしても船で地震を経験したのは初めて、震源が陸地でよかった。夕方またまた浜で鰯をゲット晩酌の肴に化けました。何時も写真撮影と思っているけど、その場になると鰯の掴み取りに夢中になり後の祭り。
ブログ名は、単純に海で大漁を楽しみ、山で豊作を楽しむをもじって付けましたが、海彦は釣りにたけ山彦は農業にたけていたとの事、私とはかけ離れた存在の様です。ある日二人はお互いの道具を交換して、山彦は海で大切な釣り針を失なって・・・竿を落とす等どじな点だけが似ています。反省
今朝も午前4時から飛ばしでメバル釣り(3回目)に出かけました。藻に掛けた針7本、獲物はメバル11尾,小さくてリリースのメバル数尾,ホゴ6尾,小鯵15,6尾まあまあの釣果でしょうか。早速メバルの煮付けとホゴの味噌汁で昼食、夕食もおそらく。メバルも大きければ刺身が美味いのですが、今日は冷凍の枝豆で我慢。
今までのメバルつりは、船から土佐カブラ針6本前後でオモリを付け磯を探る(竿or手)釣りでしたが、飛ばし漁を始めて2日目です。飛ばしには2つの方法があって、その1は竿と針仕掛けは同じですが、オモリの変わりにタマゴ大の沈む飛ばし浮きを使用します。船から藻場を目がけて投げ磯を探るが如くゆっくり引きます。比較的浅場で使用します。その2は手釣りで、道糸に直接大きいオモリをつけ、オモリの若干上(これ以上は教えてもらえません)から同様のカブラ仕掛けをつけ先端に浮き気味の飛ばし浮きをつけます。船で低速流しをしながら磯を探ります。この方法はカブラ針をいくらでも増やせ本職は30本前後の針数のようで、船も船外機では速度調整が難しい様です。その1の釣法で二日目にしてやっと数尾のメバルをゲットしました。一日目は零でした。午前3~5時の漁で辺りは真っ暗、人まねも出来ず聞きかじりでの釣り、結果は思わしくありませんが、乾杯です。プロも漁果は芳しくない様です。
昨日は部落総出の河川掃除でした。山頂まで2~400mと山が浅く、河川といっても1.5m幅以下ですが5本有り、大雨の時の鉄砲水に備えての毎年の行事です。だんだんと力仕事の出来る人が少なくなり、5,60歳代の青年団が活躍します。と言ってもスコップを使える人が少なくなって大変です。引き続いて有志が共同駐車場と農村公園の草刈が待ち構えています。農村公園も20年前はゲートボールに興じる老人がいましたが、今は荒れるに任せている状態です。ブランコ,すべり台,鉄棒等の遊戯施設もありますが、遊ぶ子供も少なくなりました。有志の楽しみは作業終了後のビールですが、草刈の終わった公園で帰省中の子供が早速遊んでいる風景が見られ最高のツマミになりました。