ヘボのアルバム (続編)

四季折々の戯言を・・・
そこから何が読めて来るか?

     『 巨匠逝く・・・① 』

2019-02-05 10:19:26 | 日記

             


セイコー・エプソン産みの親とも言える中村恒也さんが亡くなられた。。。。
先に新聞報道され葬儀は家族葬で・・・、お別れ会は別途と言う報道だった。
そのお別れ会が昨日諏訪市で行われた。
故中村代表には入社時から随分と御厄介になり人生見習いのお手本とも言える存在だった!!! 故にお別れ会にはどうしても!と考えていた。 が、昨年の腹切り手術、そして正月からのインフル等で今一体調が優れない。 体重がガッサリ落ちこの復調が望めず脚の衰えが露呈してしまった!!!
土壇場までどうしようか迷ったが大事なお別れ会に粗相があっては成らず已む已む欠席を決めた。 礼を失する事は重々承知の決断だった!
新聞報道によると500人にも上る出席者で会社関係者を始め行政官庁からも遠く酒田から市長、そして諏訪市長さん方が列席され盛大に行われたと言う・・・

思えば、yがセイコーエプソンと関わり合いを持つようになったのは昭和33年の事である。
山梨大3年生で夏休み工学部の生徒諸君は実習目的等で企業に出向く習わしがあった。
こう言う実習に関しては助手:田端先生が一手に引き受けて指南していた・・・ そして、3年生だから近場の第二精工舎諏訪工場に行ってはどうか?と勧めてくれた。
まだ低学年だった頃は三協精密でのアルバト的な実習もした事がある。 3号のベンチレースをスケッチこれを設計し辻さんと言うオッカナイ先輩に随分と扱かれた!!! この体験は、後々、超貴重だった!!!記憶は新しい・・・
この時、長年住んでいても諏訪に第二精工舎が在るなんて知らなかった!!! 精工舎は知っていたが第二精工舎となると??????
なんだい!!!第二?  こんな感じだった!
第二精工舎は何の事はない大和工業と言う町工場の一角に隣接していてどっちが親会社だか判らない経営形態をしていた・・・
兎に角、此処で実習アルバイトをすることになる・・・
味噌蔵工場のような館の一角に技術部門がデンと構えこの会社群の統制を計っているようだった・・・
確か技術課長と称する方の前でにデンと座らされ東北大學出の桜井さんと言う方のオテコをした。
関連会社である高木工業と言う会社に出向き腕時計の心臓部であるアンクルテンプの作業内容をストップウォッチを使い作業分析、これをベルトコンベアーに載せる作業分析させるという仕事だった。
当時は、こう言う他愛もない簡単な作業をシコシコと遣っているような会社だった。
脳味噌を使うような作業でも無かったので瞬時に済ますと仕事が早過ぎると桜井さんから何回となく叱られた!!! 仕事を早くして叱られる? 
いやはや何とも言えない光景だった!!!
本社第二精工舎に帰ると、時々、超恰好の良い紳士の所に技術部門の諸氏達が日参し何やら指示を受けていた・・・
そ~~~ッと席を共にする従業員に聞いてみるとこの会社でNo3とも言える中村技術課長さんだと言う・・・ 兎に角一番恰好良い幹部だった。 
その隣にNo2ノ松木製造部長が陣取っていた・・・兎に角お偉いさんは数える位しかいない!!!コジンマリとした会社だった。
実習を終える日に中村技術課長さんと立ち話をし「また、縁があったらお出でよ!!!!」と・・・   この会社を後にした・・・

山梨大学4年生の6月、愈々、就職活動が始まる。
就職の御指南先生:谷口教授の研究室前には日本大手各社からの入社案内の知らせが毎日のように張り出されていた。。。
その中に第二精工舎もあった!!! 何せ初任給がTopクラスの会社だった! 日本航空の次くらいの高額だったように記憶している・・・
日本航空:@18000円/月、第二精工舎:16800円/月、・・・・日立、東芝、三菱、NEC等電機各社は12500円/月といった具合だった。 
トヨタ、日産等はまだまだヒヨッコで余り人気のある企業群ではなかった。
梨大機械科からは毎年Top1~2が日立に行くと言う慣習があった。yの席次はその次くらいで新三菱にしようか東芝にしょうか迷っていた時期だった。
仲間とはどうする?等と来る日も来る日も話しながら卒論の実験をしていた・・・
小さな地方大学の良さか?就職担当の教授が親と話す習わしが在り母親が梨大に赴いた・・・その時、谷口教授は「近場に服部グループの第二精工舎があるんだから!!!」と母親に第二精工舎行きを奨めてくれたらしい!!!
yは東芝を狙っていたがこれが総てだった!!!!!
谷口先生は時計学界の重鎮で服部グループの経営陣との付き合いも深く服部時計店、第二精工舎の経営内容を良く御存じで「兎に角御金:現金のある会社だ!!!」と何時も絶賛しておられた。 yを推薦してくれたのもこうした背景があったのかも知れない?
仲間達は日本を代表する錚々たる大会社に行く・・・ なのに、俺はチッポケナ腕時計会社:第二精工舎諏訪工場か? 
こんな事で悩んだ日が何日かあった。
我々の時代は当に日本企業がグングンと伸び盛りの大成長期だったので大学生は引く手数多!、売り手市場で、大学教授と企業との駆け引きの時代だった。
入社面接は第二精工舎亀戸の本社で行われ服部謙太郎専務(代表)と富樫常務、広瀬総務部長が当った・・・
3人共大らかな方々で諏訪や御柱等の世間話で面接が終わった!!! Top幹部との顔合わせみたいなモノだった。 
暫くして内定通知書が届いた。
それから毎月のように「だいにせいこうしゃ」という社内報が送られて来た!
これには腕時計技術のシリーズものが載っていてyの大好きな勉強お手本となった!!!!! 今でも忘れない!!! このシリーズもののお陰で入社後会社生活が優位に展開されて行ったのである・・・

谷口教授、そしてyの恩師、非線形振動理論の大家:前沢教授先生方にはかなり可愛がって貰った!!! 先生方にも企業との繋がりがあったのかも知れない? 
これはかなり後になり就職後先生方が、時々、会社を訪れる機会が在るようになり判った!!!!!  後日触れよう!!!



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