ヘボのアルバム (続編)

四季折々の戯言を・・・
そこから何が読めて来るか?

     『 巨匠逝く・・・⑤ 』

2019-02-09 11:14:00 | 日記


               


歳明けて引き続く営業部隊の支援作業が始まった・・・ 
赴任先の Seiko Time には大矢所長さんを始め服部グループのバリバリ戦士が大活躍をしていた。 
メインとしては ノックダウン輸出のV.I. ビジネス、全米席巻の為の時計ビジネス情報収集、そして PX 関係のりぺやー・フォロー等々に愈々 SEIKO ブランド上陸作戦の為の切り込み営業戦略だった!!!
yの任務のメインは最後者の切り込み部隊の技術支援だった。 謂わば Feedor さんのオテコだった。
アメリカ時計業界や投入すべき戦略商品ラインアップは徐々に備われつつある時期でこれにアメリカ case 調達の金時計を加え打って出ると言うはっとりSEIKO グループ念願のアメリカ構想だった。
毎日、穏やかな老紳士:Feedor さんの指示を受けながら戦略を練っていた・・・
最初の内はアメリカ調達の金ケースのテイク・ケアーが主流だった。
此処でアメリカ社会の秘伝とも言える奥の手を紹介して置こう!!!
アメリカ社会は多民族国家、色々な人種の坩堝で諸々の企業指導者も舵取りが難しいのだろう?
事時計業界では、略100%と言ってもイイ人達はユダヤ人で賄われていた。 このユダヤ人、アメリカ社会では時計業界、宝飾、金融業界等で絶大なる実権を持って居て此処からの資金が事ワシントンへも流れ込んでいると言う・・・特殊国家!!!
メインストリートの42番街の高級宝飾店は総てこのユダヤ人が牛耳っていた。。。。 金融業界ではもっと絶大だそうだ!
錚々、V.I. Master Time の親会社 Elgin の Shirgel もジューイッシュだった!!!

N.Y. マンハッタンの時計バンド屋さん、小売店等で働く多くの人達は皆ジューイッシュ!!!
マンハッタン近郊の Case メーカーへよく出掛けた・・・
金 Case 調達の技術打ち合わせだった・・・
そこには人の良さそうなジューイッシュ達が働いていた・・・ Case部品加工に疎かったy、此処へ通う内に色々な事を勉強した!!! ロストトワックス加工等イイ例で金細工の何たるかも此処で知る・・・
因みのアメリカにおける金Cse と言うと14Kが主流で日本の18Kベースとは大分違う!!! 合理性から来たものだろう?
Feedor さんの御眼鏡モデルが揃いつつあった!!!
SEIKO ブランドで用意されたモデルは、

        紳士用  : 自動巻き   Matic これにカレンダー付き
                      手巻き
        婦人用  : 5 1/2 高級手巻き

Case はと言うと並モノは日本からの SS case   これにアメリカ調達の14K Case が加わる!!!
Band : 勿論、現地調達の鰐皮、蜥蜴皮だった!!! これは超お買い得で日本では到底考えられない価格で調達出来ていた・・・


まだまだ、宣伝不足で SEIKO 等何処の骨だい?と言う程度の認知度しかなかった。
全米でも中西部:インディアナ、オハイオ等でやや知られつつあった時代で売れ方はこの地方がメインだった。
N.Y. マンハッタンでは小さな小さな高島屋で1~2本/月売れる程度でか細い営業実績だった。
高島屋の担当者は実に小五月蠅く矢鱈と絡んで来てイチャモンを付ける!!! 皆嫌っていた・・・ yが担当するようになり毎月のように時計を抱えて出掛けた。 5番街ノ42丁目辺りにあったの歩いて通った・・・それでも安定したお客さんだっった。
こんな背景もあり時計宝飾商が集まる会合があると Feedor さんのお伴をしてインディアナやオハイオ、そして御隣のフィラデルフィヤ州等へ出掛け SEIKO 時計の優秀さを PR した↓!!!超重点拠点はインディーやオハイオ等だと Feedor さんは決めていたようだ。

この時点になると V.I. ビジネスは益々活況を呈して来て担当工藤さんは大忙しだった。 時々、技術的問題点が出て来るとこれをサポートしこちらは順風満帆だった。 ロックフェラーセンターに相応しいビジネスになりつつあった。
又、沖縄や日本各地のPX 経由で持ち込まれる時計修理は増える一方で手に負えない程だった!!! それだけアメリカ軍の兵士の間では話題、注目を集める御土産商品だったんだろう!!!
凄い数の修理時計がメールで送られて来てこの開梱修理後の発送には参った!!! 情けないがロックフェラーセンタ街で遣るような作業では無かった?

Ross 等の Case メーカーからの 金Case 調達は順調で売れれさえすればモウマンタイのビジネスだったが悲しいかな金時計は1~2本/月売れれば良しの時代だるった・・・
こうして Seiko Time の基礎は段々に築かれて行く・・・
数年してから風の便りに Seiko Time の時計販売は物凄い!!! と言う話を聞いた事があった。
後任者達の努力の賜物だったんだろうが我々のようなチンタラ組が礎を築いて来た事も見逃す訳にはいかないだろう・・・

これも後々の一件になる中近東地域でも悪戦苦闘のキャンペーンがあった!!!
この時は大矢所長さんが日本に帰られていて作戦本部長をオヤリになり後々の中近東大席巻に結びついたと言う・・・ この時も陰ながら野次北珍道中の技術サポートを手伝った・・・ 
N.Y.から帰った2年後の出来事だった!!! 服部グループ世界席巻の一端作戦だった!!!

  今日は如何様なシチュエーションにあるのだろう?  
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