ヘボのアルバム (続編)

四季折々の戯言を・・・
そこから何が読めて来るか?

     『 三九郎:どんと焼き・・・ 』

2015-01-12 22:35:50 | 日記

                 


寒び~日が続く・・・
信州中信地方の今時は内陸性気候の為極寒が続く・・・
そして、正月明けのこの頃子供達の祭り:三九郎(どんと焼き、ドンドン焼きとも言う・・・)がやって来る。
書きそびれたがその「三九郎」が昨日だった!!!

朝、早々、近所の子供達が「お家繁盛するように蔵の1や3つも建るように…」と歌いながら家々を回り御賽銭を貰い歩く・・・
この村では誰が考えたか?男のシンボルと女のシンボルを対で2つ持ち歩き、時々、ゴッツンコさせながら叩き合い玄関先に現れる。
そして、「お家繁盛するように・・・・・」と子供達は歌いながら御賽銭を強請り受ける・・・
我が家では子供達が小さい頃から婆が担当して来たので御賽銭を用意するのは婆の仕事で熨斗袋に包み、毎年、用意して来た。
yは、どちらかと言うと副産物で子供達が祝い事を謡っている間中婆の横で小さくなってカメラを抱えシャッターを狙ってきた。

子供達が家々を回り終えると公民館に集まり町会役員が用意した御結びや豚汁を食べながら御賽銭で購入した学用品をPTA役員から貰い受ける。
昨今ではかなりの金額が集まるので子供達はホクホク!!!!!  
これが終わると近くの田圃に前日作り上げた三九郎櫓の周りに集まり三九郎の歌を歌いながらぐるぐると三九郎櫓の周りを回る。
そして、暫くすると三九郎櫓に火が付けられ、ボ~ボ~~~と燃え出す・・・





火勢は強く周縁に集まった200~300人近い参加者を驚かす!!!
ここには消防団員が付き火勢をコントロール、三九郎が上手く燃え上がるようにする・・・そして頃合いを見て繭玉:お丸が上手く焼けるように炭火を広げてくれる。
この瞬間、参加者は一斉に繭玉:お丸を火に翳し焼く・・・
中々上手く焼けず焼け焦げたり半焼き状態の繭玉を人々は「美味い!美味い!!!」と言いながら頬ばる!!!
この焼き繭玉を食べると無病息災に効くと言われ、多くの参加者は頬ばる・・・

こういう行事が、この地方独特の文化を継承して来た・・・ 

老い耄れ爺の古里諏訪地方は、こういう行事を「ドンドン焼き」と言っていた・・・
内容は全く同じだが、子供達が各戸を回ると言う風習は無い! が、道祖神や「ドンドン焼き」の櫓の周りでは、厄年の人々がミカン箱や菓子包みを抱え放り投げ振舞うと言う遣り方だった・・・
そして翌日、炭火を俵に入れこれを御大臣様に飼って貰いこのお金で学用品を買う!と言う仕来りだった。
戦時中から終戦直後だったが、高等科の大きい先輩達が、近くの田圃に20~30mもあるドンドン焼きの櫓を立て、こレを焼くと言う年が何年か続いた・・・
この時は、村中で祝い村民総てがドンドン焼き櫓に集まり繭玉:お丸を焼いて食べる!と言う一大行事だった。
今でも忘れないが、隣村のドンドン焼き櫓にお互い潜り込み火を点ける!!!と言う、戦争ゴッコ紛いの一大行事だった。
戦争ゴッコだったので、火を点けられると恥曝しと言う事もあり、先輩達は真剣そのものだった!!!
だから、チビっ子なりきに、皆、夫々木刀を作り、持って隣村の敵の備える!と言う備えをしていた・・・
高等科の森山さんと言う威勢のイイ先輩は池袋の櫓に火を付けて来た!!!といい、興奮しながらそのデカシ振りを披露していた事を今でも覚えている!!!
この森山さんは、予科練に行き、命を落とした・・・と聞いている。
何時だったかチビっ子を集め上官に丸タン棒で尻を殴られ続け、赤黒く黒ずんだ!!!と言う話を聞いた覚えが今でも鮮明に脳裏に残っている。

三九郎:ドンドン焼きが来ると森山さんの事を思い出してしまう!!! イイ大先輩だった!!!
郷里のお墓は森山家のお墓の隣にある・・・

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