8月2日は「魏飯夷堂」でランチを頂き市バスを乗り継ぎ相国寺へと来ました。
勅使門の前の放生池には様々な種類の蓮の花が咲いています。
(午後なので閉じている花が多いですが、、)
また、この放生池付近は応仁の乱の最大の激戦地で池には多くの死体が浮いていたそうです。
この平和な光景からは想像がつかないですね。
かって存在した仏殿の基壇や礎石が残っています。
1605年に再建された「法堂(はっとう)」です。
天井には狩野光信筆の"鳴き龍"が描かれています。
相国寺の伽藍内部の拝観は年2回の春と秋に行われていて今年の「秋の特別拝観」は9月18日から予定されています。
方丈、法堂は毎回公開されますが、開山堂と浴室は交互に公開されます。
春の公開は開山堂だったので秋の公開は浴室になると思われます。
相国寺の開基は室町幕府三代将軍義満で創建時には境内東南の地には高さ36丈(約109m)もの高さを誇る七重大塔がそびえていたと言われます。
東寺の五重塔が高さ約55mですから如何に大塔であったのかが想像できます。
(あべのハルカスが完成した時に下から見上げたような感動と驚きがあった事だと思います。)
残念ながら礎石などの痕跡は残っていないですが「塔之段」の地名が残って事から塔の推定地とされています。
承天閣美術館へのアプローチです。
いつも綺麗に掃き清められ、また、庭園も素晴らしいものがあります。
前期に訪れた展覧会の後期が今月1日から始まっています。
相国寺は境外塔頭に鹿苑寺金閣と慈照寺銀閣、真如寺があり、鹿苑寺と慈照寺には伊藤若冲の初期の作品が多数残されています。
鹿苑寺大書院障壁画(重文)です。
時の相国寺の住持大典禅師がまだ無名だった若冲を抜擢し描かせた障壁画です。
若冲初期の代表作「釈迦三尊像」です。
若冲渾身の作で相国寺に奉納され、今も相国寺の大事な法要の際には方丈にかけられます。(法要には複製が使われています。)
こちらも若冲の代表作「動植綵絵」30幅の一部です。(展示は無いです。)
先程の「釈迦三尊像」と共に相国寺に奉納された絵画です。
明治に入り相国寺の運営も苦しくなり、やむなくこの絵を皇室に献上し、頂いたお金で旧境内地を買戻したり堂宇の再建に役立てられました。
結果、若冲の絵画が相国寺を救済する事になります。
今まで皇室の宝物は文化財指定されていませんでしたが、今年の審議会でこの「動植綵絵」が国宝指定される事が決まりました。
同時代に活躍した円山応挙の作品も展示され中身の濃い展覧会となっています。
若冲が世に出るきっかけとなった彼のお墓は相国寺境内にひっそりとあり、今も相国寺を見守っているかのようです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます