京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

岩倉具視幽棲旧宅

2019年09月09日 09時23分01秒 | 日記
9月7日は、「明治の建築 絶品ツアー」で洛北岩倉の地にある"岩倉具視幽棲旧宅"と糺の森の一角にある"旧三井家下鴨別邸"と最後に岡崎にある"無鄰菴"をめぐる充実した企画に参加しました。

案内、解説をして頂くのが矢ヶ崎善太郎先生です。先生はこの春から大阪電気通信大学に移られ教鞭をとっておられます。言わずと知れた数寄屋建築、茶室など建築のプロフェッショナルの先生です。

前置きはさておき、岩倉具視幽棲旧宅は明治維新を主導した公家岩倉具視が皇女和宮降嫁の際の政争に破れ、都落ちし、明治天皇が皇位につかれるまでの長い間、身を隠していた場所です。
しかし、中央政府の動き、情報は逐一入っていたようです。





写真は主屋で隣雲軒と呼ばれる建物で、当時はなく、元からあった附属屋で暮らしていました。坂本龍馬や中岡慎太郎、大久保利通が頻繁に岩倉邸に通いよるになり附属屋では狭く応対が困難になってきた為に主屋の隣雲軒を増築したようです。





敷地の中には岩倉具視遺髪碑が建てられており岩倉公の遺髪が納められているそうです。

また、敷地内にある「対岳文庫」は武田五一の設計で、小規模ながら玄関を中心に左右対称の煉瓦造りの気品ある建物です。内部は、岩倉具視の遺品をはじめ、明治維新の変遷がわかる一級の資料が展示されています。





また、解体修理の際に見つかった棟札から、庭園は七代目小川治兵衛の作庭と分かり、岩倉実相院前にある石標と庭園を当時の金額で千円で請負、わずか一週間で完成されたようです。



平成25年に長らく保存に努められてこられた公益財団岩倉旧蹟保存会から寄付を受け京都市の所有になっております。指定管理者制度で植彌加藤造園さんが維持運営されています。

学芸員の重岡さんが常駐されており、維持の講座やくずし漢字の講座などが行われています。