こんにちは浦田関夫です

市民の暮らしを守るための活動や地域のできごとを発信・交流しましょう。

我が家の夕食

2020年05月04日 06時19分44秒 | Weblog


 ゴールデンウイークですが、どこへもゆけません。
昨日は、雨も降って、元職場の同僚の方がなくなったとの知らせで「葬儀」へ。
それも、早めに行って「喪主に挨拶」「ご遺体に合掌とお線香」その間、10分ほどです。
帰宅後は、「ハーバード流「聞く」技術」パトリック・ハーラン(角川新書)を一気に読み終えました。
「聞く」「聴く」「訊く」「効く」とはどんなものか、パトリックさんの考えは参考になりました。
 夜の楽しみは、二人の会話とごちそうです。
缶ビールと、先日の窯元で買い求めた湯飲みの焼酎で「家飲み」です。



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「自粛」と「日本国憲法」

2020年05月04日 06時10分48秒 | Weblog


新型コロナウイルス感染拡大を受けて全国に「緊急事態宣言」され、営業や外出の自粛が呼びかけられました。国民は、感染拡大を抑えようとこれを甘受しています。
 73回目の憲法記念日にあたり、緊急事態の下での憲法について考えてみました。

 新型コロナ対策として、欧米各国は外出に罰則を設けたり、店舗を閉鎖させたりと強制措置を打ち出しました。(それに伴う休業補償を実施)
一方、日本政府は「自粛要請」にとどめています。
「政府の要請に従わないことを許さない同調圧力と相互監視」という国民性を利用したものいであります。
「お願い」を否定するつもりはありません。強制は少ない方が良いのです。
しかし、そのことにより「責任の所在が曖昧」になっていることです。
政府は、休業に伴う損失の「補償」を一貫して否定しています。
 憲法は、財産権や生存権を保障しています。国民から「権利」として休業補償を政府に請求された場合、「休業判断の責任はあくまで店側」と「逃げ道」を用意しているのです。
 要請に応えず「営業したパチンコ店」がありました。このことを皆さんは、どのようにお考えですか。
 緊急時こそ「責任の所在を明確に」すべきなのに、政府は、「国民に自粛を要請したが十分の応えなかった国民が悪い」という構図を描いているのです。
 吉村洋文大阪知事は「特措法は、責任逃れ法律だ。休業要請するなら、補償を明記すべき」と述べています。

 いま、国民の中に新型コロナ感染拡大防止のためには「国民の自由を制限しても仕方がないのでは」という世論がうまれてきています。 
 このことを利用して、無責任な政権が「私権の抑制」を正当化する動きは、「憲法改正の大きな実験台」として「強制力を持った憲法を作れる」(伊吹文明元衆院議長・佐賀4日付)」と戦前の国家が暴走した時の様相に近づいている気がしてなりません。
 日本国憲法には「国民主権」が刻まれていることを大切にしたいものです。

 写真は、本文とは関係ありません。先日伺った唐津焼の窯元さんです。







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