喫煙指導という隠蔽
前の学校で、私がもっとも侮蔑している教師が、喫煙が発覚した生徒を叱りつけていた。その言動は十分問題ありである。
「てめえ」だの
「ふざけんじゃねえ」
だの暴力団と変わらない言動である。
やりきれない場面である。その同じ教師が
「ここ十年ぐらい教材研究をしたことがない」
と豪語する姿をみたのも、それ以上に見たくない言動であった。
喫煙指導をしている得意顔の教師ぐらい見たくないものはない。彼らはそこでこそ、自分たちの無能と不勉強をここぞばかりに隠蔽する。生徒指導担当は体育の教師が多く担当する。私は体育の教師がまともに教科の準備をしている姿をみたことがない。ひとりだけかな、体育の先生を見たのは。あとはひどいものだ。多分、県の人事課が人事権を手放せば
「年収360万円やるから」
といって若い教師を公募したら、今の体育の教師はほぼそのレベル以下の給与になる。そのくらいヤバイのだ。彼らを上回る評価をあげる若い教師を雇うことはいとも簡単だ。それは、ちょっとした競争原理を導入するだけでいい。そして、現状の彼らは、そのレベル以下に給与をまちがいなく落とされる。
威張るのが特技、
で給料やれますか?
若い教師に、何の準備もなく、(大体体育の教師が体育の授業の研究などこれっぱかりもしてないんだから)、いきなりやっても、
ていねいに
ねばりづよく、
平等に
対してやるだけで現在の体育の教員を凌駕することができる。生徒はまちがいなく若くて優しい先生を選ぶと私は断言する。
ここに私が恐れる、もっとも究極の現実がある。現在は、規制が彼らを守っている。教員採用試験が彼らを守っている。現在の教員評価が彼らを守っている。
君の売りは何か
現在の学校は老人ホーム一歩手前である。40代が洟垂れである。
みなさんは纏足(てんそく)ってご存じだろうか?小さい型に足を入れさせて大きくさせない、女性の履き物だ。お隣の国中国の発明だ。足を小さくし、その自由を奪い取るシステムだ。
今の学校の生徒は纏足をはかされている。だから、現状の教員の中で
「いい先生」
を知る他はない。選んでいるわけでもない。いや、自分の意志とは関係なしにつっこまれたナルシス人間のナルシスを聞かされる。他にすべはない。諦念、諦念、そこにあるのは、諦念なのだ。そのなかからタバコもでてくる。
そうだ。そこに競争原理を挿入するのだ。
タバコを見つけて得意満面に暴力団をする人間と
「さあ、君は競争して生徒の支持をとりつけたまえ」
そこではじめて以下の問いが発生する。
「君の売りは何か?」
「君は何の教科の何の科目の教師か?」
「君の専門の根拠は何か?」
「生徒が喫煙をするという意味は何か?」
私は心ある教員にこう言っている。
「一年で一度でよい。君がこれが私のメッセージのこもった授業です。というのがあったら呼んでくれ」
前の学校の日本史の私より二つ上の教員にこの声をかけた。
そして、ついに呼ばれることはなかった。
そうだ。
木村を呼ぶ授業をやることは大変なのだ。
木村を校長にしてみたまえ。木村に人事権を与えて見たまえ。
いい学校になるぜ。
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本日の授業で昨日から温めてた「少年法改正」を導入として扱っていました。結果は・・・失敗です。生徒の反応が鈍い。木村先生のおっしゃる通り「少年法」の取り扱いには注意が必要ですね。
さて、本題に入りますが、「売り」についてですが私には「これだ」と言えるものがありません。というか私にはそこまでの力量に達しっていないです。
ただ「お金」を頂いてる以上、持ってる力や生徒と歳が近いため、その感性を武器に授業を行っています。ただ、中々上手くいかない。悩んでます。
私は高校の教師を目指した当初、授業の重要性なんて考えもしませんでした。なんとかなるだろうと完全に甘く考えていました。適当にやってれば何とかなるだろうと。
でも木村先生に教育実習でお世話になって(色々ありましたが)、「授業」の重要性や一つの授業を作るのに膨大な時間を費やすのだと教えられました。
今教員として教壇に立たしてもらってますが、いつも反省です。上手くいかない。なぜだろう。どうしてだろう。何故面白くないのか。いつもこの問いに悩んでいます。
お前の売りはなんだ!という究極の問いに答えられません。一つでも良い、自分の「専門」を作りたいと日々邁進していきます。
手前は木村先生のHRの生徒だった男です。
木村塾一号生筆頭ってとこです(笑)
現在はPCインストラクターをしております。
望月様のコメントを拝見させて頂きまして誠傲慢ながら
一言参考にでもなればと思っておりますが。
「売りはなんだ?」と問われた時、何を考えますか?
手前はそこが重要だと思っております。
「僕の売りってなんだろう?」多分これは答えを出すのは
非常に難しいと思います。だって自分を何と比較するのか
誰と比較するのか。対象があまりに乏しいのです。
第一新入生は同じ比較をしますでしょうか?
では、生徒さんにとって一番いい「売り」のある授業を
考えるとき、どうするか、ですが手前の場合は
「買うということ」について重点的に考えます。
手前はインストラクションやPCに付随する物販をする時
二つの事を重点におきます。
一つは「将来性」、もう一つは「希少性」です。
中央高校であれば生徒さんの中には自力で学費を支払い
意義ある授業をお求めになる生徒さんがたくさんおいでです。
だから「未来」のビジョンがはっきり見えたら生徒さんはあなた
のご講義に耳をおのずと傾けるのではないでしょうか?
興味等という言葉でも同じ事ですが、役に立つ、立たない、
という判断力は生徒さんは十二分にお持ちです。
だからこそ、どう応用することができるのか?そういったことが
伝えられれば「なるほど!」の声を頂けるのではないでしょうか
?
年齢層が近いということは例え話でいくらでも生徒さんの興味
を引き寄せる事ができると感じます。
学生の時、思いませんでした?
「サイン、コサイン、タンジェント。結局何に使うんですか?」
って。
その「結局」のスキマを具体的な例で埋められた生徒は
必ずしもそうは思わないと思うんです。
「あーあれってこの原理を使うんだなぁ。とか」
それまでなかった興味をそこから拾う事ができるのです。
あなたの生徒さんが自らの手で。
それこそが生徒さんへの配慮に繋がり、また他教師とあなた
との「差異」になり、結局の「売り」になるのでは
ないでしょうか?という考え方が手前の「売り」です。
「買う」という事を考える
参考にでもなりましたら誠幸いです。
追記:「売り」はなんだという質問に、市場とは違う世界の
公的立場の教育者様方がすぐご返答になられるというのは
なかなかできるとは思えませんね。誠残念な事ですが。
だからこそ木村氏は訴えているのではないでしょうか?
「差異ある教育者」になるのは案外容易いのかもしれませんよ
貴重なご意見、ご指摘有難うございます。「将来性」や「希少性」、最後に出てくる「買う」ということ、すごく大事なことだと考えさせられます。木村塾出身(もちろん一部の方ですが)の方にはいつも脱帽です。
中々10人程度の生徒しかいないのですが、全員に興味を持たせられるって難しいなあって思ってます。もちろん、教科の好き・嫌いは誰しもあるものなのでなんともいえないのですが・・・。
差異ある教育者になるのが私の密かな目標ですね。本当に貴重なご意見感謝してます。
■たしかに、望月さんとは、実習中、とりわけ最終日付近でまあ、いろいろ、ホントいろいろありましたねえ。ま、それはそれとして、さて、ちょっと議論のために、一点確認しておきたいことがあります。もちろん、公的学校とPC教室という民間のそれこそ身銭をきってくるクライアントと生徒はちがう、ということも重要ですが、それはひとまず置いておいて、教壇さんがおっしゃる「稀少性」と「将来性」を少し事例をまじえてご説明いただけないでしょうか?そこからとりあえず始めたいと思います。■私は、岩井克人をはじめとしたポストモダンたちがいうように、それを差異性と呼ぶのです、ひっくるめて。それ以外ない、と。とにかく差異なのだ。差異をとは何か、差異は何が産むのか、それだけだ、と考えます。ま、それと教壇さんのふたつのタームも離れてはいないとは思いますが、どうでしょうか、もう少し説明をいただけないでしょうか。
手前の生徒さんで結婚式が近い方がおり
その方の関係でドタバタしておりほんと時間がありませんで
返信が誠に遅くなりました、申し訳ございません。
「将来性」及び「希少性」に関してですが
具体例としまして「新品と中古」という
テーマで例を挙げさせてください。
状況設定:「何年もかけて努力した貯金とローンをもって家を購入する。」
自分をこれに置き換えた場合、単純な質問ですが「新品と中古の家、どっちが欲しい?」
当然努力して貯金している以上、新品なんです。
いやまてよ…?では当然であるはずなのに自分は何故新品を買うのだ? 答えはなんなのだ?
あなたもこのように高い買い物で中古と新品があった場合、
また買うにあたり所持金が十二分にあった場合。
新品をお買いになりませんか?或いは新品が欲しいと思いませんか?
この場合には直感的な部分、つまり「衝動」「印象」だけではあまりにも説明が不十分なんです。
と、すると人間はある要素において理性的に新品を買うのです。
その時に比較も勿論購入に位置づく為の要素ではありますが
その比較を行う前に「あっこれだ!」と思う事もしばしばある訳で
最もそれを位置づけるのはこの「将来性」と「希少性」という
言葉がそうさせるのではないか?と手前は考えているのです。
「将来性」:10年後も安泰だ、20年後も安らかだ、30…40…
「希少性」:今ここで買わなければこの条件にはもう出会えないかもしれない。
つまり、「差異」を感じる、或いは見出す前に
これらが現れ人々の購入意思を高揚させるのではないかと
私は感じたのです。