大学院の評価
私は、45歳の時2年間大学院へ行きました。
まあ、大変でしたね。大体、合格しないんです。で、最後に早稲田大学大学院社会科学研究科ってところで拾われたんです。いや、田村正勝教授には本当に感謝です(笑)。 大学院については話し始めればいくらでもネタがあるのですが、そして、本当に私はいい2年間を過ごしました。周りには、24年間の夏休みっていってました。わかりますか?2年間は24ヶ月ですね。そうです。24年分の夏休みなのでした。
大学院の講義は、少人数です。そして、ゼミナール形式が多い。東條隆進教授の経済社会学の講義は最高でしたね。命の洗濯って感じでした。私は妻の叔父が亡くなったのでなんと最後の講義に欠席してしまいましたが皆勤でした。先生が、経済社会学の問題を取りあげ、古典の紹介をされ、1時間後に大体質疑に入ります。私はスミスを修士論文に選びました。スミスは経済学のすべての出発点に立つ巨大な古典です。私はマルクスとウェーバーという二人の巨匠をライフワークにしているのですが、この時点で彼らを扱うのは力不足と考え、スミスにしたのです。その研究にとても刺激的な話題を毎時間取りあげていただき、私にとってはこの上ない刺激となりました。
ところが、ある近代経済学の特別講義をとったのが運のつきでした。
その講義は土曜日の10時から開講されていました。朝早く出かけていったのを思い出します。十数人の講義だったと思いますね。先生はどう見ても、30代から40代のはじめくらいの方です。いきなり、講義を始めます。すべて数学です。
「えっ?」
息つく間もなく、ずっと90分講義をしていきます。私たちは意味もわからずただ板書を書いていきました。
「ねえ、わかってんの?」
隣の人に聞きました。
「さっぱり」
しかし、何ともいえない空気で、
「わかんない」
っていえないんです。
ずっとこの調子が続きました。
しかし、何も言えないのです。
これで試験か何かやるわけ(笑)。でも、大学院の講義はどうやら通常のペーパー試験のようなものはなさそうだよねえ。と、先生が来る前に講義のメンバーが話し始めたのです。
ある日、こういう空気を壊す人間が出てきました。
誰だと思います?
私です(笑)。
講義の最後に
「先生」と私。
「?」と先生
「こんなに講義を聴いて言うのも何ですけど、さっぱりわからないんですね。何をおっしゃっているのか(笑)。今日は、何をおっしゃりたかったのですか(笑)?」
妻に、「目のきれいな先生(純粋そうっていう意味です)」といっていたその人は、皆さんどうですか、と聞きました。みなさん口々に私への同意をいいはじめたのです。ま、先生がいうには、これが大学院の修士の市場経済論としてはきわめて標準的だ、ということで、ずっと、この調子でいきました。で、最後に、私がきくのです。
「先生、今日は、何を言いたかったのですか(笑)?」
これが恒例になっていきました。
「へえーーーー」ってなものでしたね。
さて、しかし、みなさんは肝心なことが聞けませんでした。その肝心なことをみなさん、私に聞いてくれないか、ということになったのです(笑)。
何だと思いますか?
「先生、成績ってどうやってつけるんですか?」
この質問に、別に怖いとか、変人とかじゃないですよ、この人、でも、答えなかったですね。で、終わりました、講義が。でね、驚かないでくださいよ。この先生、出席をとらないんです(笑)。だから、余計みんな不気味だっていうのです。そして、最後まで「???????」で終わったのです。
そうか、「全員****なんじゃない!」「****」のなかにあてはまることはいろいろでした。
そして、結果はでました。ちなみに私の成績は一番よい成績でしたよ。何にもわからなかったのに。
この先生は、一人として聴講生の名前を知らなかったと思いますね。そして、成績の基準もわからない、みんな疑心暗鬼だったのです。
疑心暗鬼
ってこういうことか、と身にしみた(笑)と思いますね。そして、確実に私は、学んだのです。
成績の基準が全く不明であると、あらゆる表現の自由が剥奪される。
そんな世界に価値の多様が現れるわけもない!と。
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