ヘーゲルという哲学者が「すべて」というのは「ない」ということと同じだ、というわかったようなわからないようなトリックを私たちに提示している。これから書いていくことは明らかにそれとは違うのだが、しかし、外見上似ている不思議な現象だ。部活動は仕事ではないのだ、という現実をみえなくさせていくものの正体がここに現れる。訴訟で教員のブラック労働を問題にすることは極めて重要なのだが、いくら学校の外部でそれが問題視されても、いっこうにその成果が制度化されないヌエのような構造が、学校には存在する。 . . . 本文を読む
みなさんは、命令が実はお願いにすぎない、という錯覚に気づいた経験がおありだろうか。私は教員生活をしていて、二度ほど目の当たりにしたことがある。それはもう、感動としか言いようがないのだ。今まで命令していた人間が突然、お願いしだすのだ。感動と呼ばずに何と呼ぼうか。本日は、しかし、お願いが、お願いに見えず、命令にしか見えないというトリックに挑むのだ。この謎が解けない限り、部活動は仕事のままなのだ。永遠に、お願いにならない。 . . . 本文を読む
■これはフィクションです。そして、原案は1994年に作られました。もう、なんと28年!が過ぎているのです。そして、事態は一向に変わっていません。いま、春の選抜がまっさかりです。しかし、この問題は封印されて表に出ることはないのです。■以前の書き込みもそのまま収録しています。よろしければ、ご意見、ご感想をお願いします。 . . . 本文を読む
「お情け教頭」は私の造語である。
私は静岡県で教職に就いてきたが、静岡県では管理職の名称を最初は第一教頭と第二教頭、その次に副校長と教頭というように、校長の下に二人の管理職を設置してきた。
しかし、どちらの呼称でもよいのだが、二人目の教頭については、当初から私には〈哀れ〉としかいいようのない悲哀の感情を抱いたものだった。 . . . 本文を読む








