2013年03月01日
山の神というと、怖い女房というのは、60代のわたしくらいかもしれない。
これには、やまの恵みに母性を感じていることがあるかも。
近代登山が、始まる前は山は霊峰であり、不可侵なものとして
信仰の対象であり、女人不可の場所が多数あったようです。
今でも、それなりの山には神社があり、地域の信仰対象になっています。
もともと日本人は、仏教徒でも神社にお参りし、結婚式は教会でするという
人で、唯物神という概念にはなかなか染まらない民族と思います。
日本人の根底にはアミニズムが染み込んでいると思っています。
神社には、大きく分けて三つの性格があると思っています(根拠ありませんが)
一つは国家の権威を象徴するもの(古代から)
二つ目は鎮魂のため
三つ目は地神への感謝と祈願
それぞれ純粋なものではなく、時代によって変貌してきていると思いますが。
山の神は、勿論三番目。里の幸・災害をもたらし常に威容をたたえる山を
敬わない民はいなかったでしょう。今でも山は人々に幸と悲しみを与えています。
そんな山を歩くと生き物・展望すべてを敬さざるを得ません。
岩も・雷鳥も・ニッコウキスゲも皆生きています。
私はそれに浸りながら山を尊い遊んでいきたいと思っています。