天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

横綱不在場所と無季俳句

2017-09-16 05:35:19 | スポーツ・文芸

5日目、阿武咲のはたき込みに一回転する日馬富士


大相撲秋場所は横綱3人が休場、出ている日馬富士ははや3敗を喫しそれも金星というていたらく。
大関も高安、照ノ富士が途中休場と役者がほとんど消えてしまった。
6日が過ぎて、1敗が豪栄道(大関)、阿武咲(前頭3)、大栄翔(前頭11)、大翔丸(前頭12)。きのう若手の阿武咲が豪栄道を撃破していたら彼に救世主を期待したが雲雪が怪しくなった。
誰が優勝するのか、また何勝の優勝になるのか予想できない。いま3敗の日馬富士と御嶽海が以後全勝で行けば12勝3敗の優勝があり得るがこれも霧の中である。

つまり白鵬という盤石の横綱がいないことが混乱の原因といっていい。季語の効いていない俳句ないし季語のない五七五という感じがする。
けれどこの混乱も見ようによってはおもしろいのである。幕内力士はみな強いのである。下位力士といっても体重があり破壊力があるからそれを受けてきた横綱、大関がけがをして休場に追いやられていると考えられる。
相撲が取れない力士は弱いのである。

横綱がいないからその場所が締まらないという感慨を横においてひとつひとつの対戦を楽しむのがいい。
それは季語のない俳句を検証するのに似ている。
有季定型俳句に慣れた者は季語のない俳句をもの足りなく思ったり、味気なく思ったりする習性があるが、川柳人にそれはない。
ぼくは10年川柳をやったから一句の中に季語を置かない五七五をそうとうつくった。
それは今の大相撲のように興行を盛り上げるのがたいへんであったが、それなりに工夫とおもしろさはあった。

川柳人が季語を使わないのは当然だがわが鷹俳句会にも無季を書く意思はずっと生き続けてきた。
『季語別鷹俳句集』(ふらんす堂)には「雑」として無季俳句の秀句として68句を収録している。無季俳句はほかにももっと書かれたということであり興味深い。
いくつかを挙げる。

からすなど吊るされ飯を待つ老婆  しょうり大
暖流果つるあたり少女の口匂ふ  飯名陽子
待つときは水かげろふの軒廂  細谷ふみを
空耳にほつれる髪のめらめらと  北原 明
かの后鏡攻めにてみまかれり  飯島晴子
こんにやくの葉の照りへ出て障りかな  寺内幸子
虫を刺すヘアピンの歌などはなし  服部圭伺
鳶燃えて砂丘を転がり落ちる僕  四ツ谷龍
天城越袂の時計狂いだす  寺沢一雄
荒海や能面に灯のゆらぎをり  山崎八津子
幽霊の絵を見る妻を離れけり  小浜杜子男
老眼鏡つねに離さず何もせず  朱 命玉


わかりやすいものを選んでみたが結構おもしろい。自分自身が無季で書く気にはならないが出来のいい無季は読んでもいい。
いま俳句界のさまざまなコンクールは暗黙のうちに有季定型というふうに了解されているが、無季俳句を謳ったコンクールがあってもいいではないのか。季語のない五七五が有季にゆさぶりをかけて俳句の奥行を広げてくれそうな気がする。
横綱不在の大相撲秋場所を見ていて無季俳句の可能性を考えた。

なお藤田湘子も死を前にして次の句を詠んでいる。


  無季
死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ  藤田湘子


わざわざ「無季」と前書をつけている。世の人が湘子は惚けて季語のない俳句を書いたと思われるのを懸念した神経質ぶりがほほえましい。

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