天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

中山七里『総理にされた男』

2024-10-31 06:34:59 | 
           
              2015年8月/NHK出版


【あらすじ】
 売れない舞台役者・加納慎策は、内閣総理大臣・真垣統一郎に瓜二つの容姿と精緻なものまね芸で、ファンの間やネット上で密かに話題を集めていた。
ある日、拉致されるように連れて行かれたところに官房長官・樽見正純が居た。彼は慎策に「国家の大事」を告げ、 総理の“替え玉”をしてくれるように懇願 。慎策は腹をくくりこの任務を受ける。得意のものまね芸で欺きつつ、 役者の才能を発揮して演説で周囲を圧倒・魅了する 。だが、直面する現実は、政治や経済の重要課題とは別次元で繰り広げられる派閥抗争や野党との駆け引き、官僚との軋轢ばかり。政治に無関心だった慎策も、 国民の切実な願いを置き去りにした不条理な状況にショックを受ける。義憤に駆られた慎策はその純粋で実直な思いを形にするため、国民の声を代弁すべく、演説で政治家たちの心を動かそうと挑み始める。

 読書メーターで、なすびさんが、
「首相交代のタイミングだったのでなにげなく読み出したら、あら、おもしろい! 架空ではあるけれど日本の政治の仕組みや問題点がよくわかりました。派閥、国民感情、外交、自衛隊…。予算の流用もあるあるだろうなぁ。以前読んだ『護られなかった者たちへ』同様、社会問題を鋭い視点でわかりやすく描いてくださる中山さん、もっと読んでみよう。」と称える。

VS閣僚、VS野党、VS官僚、VSテロ、VS国民と5章にわたり、総理の替え玉は本物以上の弁舌の冴えと豪胆な態度で奮闘する。
作者は第一野党である立憲民主党、その前の民主党、その前の社会党などに好感を持っていない。つまり理想は語るが現実に政治ができないとみている。どちらかというと保守の立場で、具体的にできそうな手法を用い、公明正大な気概で政治に立ち向かう自分の夢を描いているように見える。
替え玉は次第に本物の総理になっていく感じがしておもしろい。総理の話が理路整然としてわかりやすく、しかも熱っぽくやる気に満ちていて実際に政治不信のわれわれを引っ張り込む。
なすびさんが言うように現在の政治のおおまかな重要案件に対して与党野党からの感慨をきちんと解説していて見せてくれる。格好の政治入門書として読める。
気になるのは一つの遺体をどう処理したかだが、まあ、これは枝葉末節だからいいかという文章の畳みかけてゆく速さも魅力。
最後に主人公がかつての恋人に語る一行。その落ちにニンマリする。結婚の申し込みと解釈していいが、こんな途方もない言葉がちょっとない。全女性がうれしがるに違いない一行であろう

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鷹11月号小川軽舟を読む

2024-10-30 13:18:02 | 俳句




小川軽舟鷹主宰が鷹11月号に 「多情多恨」 と題して発表した12句。これを天地わたるの山野月読が合評する。天地が●、山野が◯。

立秋の球場に水撒く香かな
◯「水撒く香」というところに注目しました。例えば「撒かれし水の香」とかであれば、「水」の香がグランドから立ち上る感じかなと思うのですが、本句では「水撒く香」なので、まさに今、「水」が撒かれており(又は撒いており)、ホースの先から飛び出す「水」の勢いや風に飛ばされた「水」が作者に及ぶ気配があります。
●そうですね。「香」まで言うことで作者自身の句になりました。それは土の匂いを含んだ微妙なものでしょうが、「香」で新鮮な気配に会いました。

秋暑しホームベースの土払ふ
●高校生の甲子園野球でしょうか。ベース上の土は暑きものの象徴です。
◯「ホームベースの土払ふ」姿として最も馴染みがあるのは主審ですよね。作者は草野球の主審として駆り出されたようにも思えます。そうすると、前句の「水」を撒いていたのも作者かも知れません。

雨の打つビニールハウス盆帰省
◯かつて郷里に暮らしていた頃から、ビニールハウスを打つ雨の音には馴染みがあるのでしょう。視覚以上に聴覚や嗅覚が記憶を呼び起こすことはよくあり、そういう観点から共感を得やすいかなと。
●いいところに着目したと思います。小生は田舎育ちでこの光景は懐かしいのですが句にすることを考えたことがありませんでした。季語もはまっています。

桃供へ母の来し方うるほしぬ
●中七下五は抒情的な言い方です。
◯「母の来し方」とは、ご健在であった頃の姿や時間でしょうか。下五の「うるほしぬ」に「桃」以上にマッチする供え物はないのではと思わされます。
●小生は、「来し方」のように見えないもの、抽象的な内容に対して「うるほしぬ」を用いることに腰が引ける即物派ですがこれは許容範囲かと思います。

拭いてまた汗滲む首蓮の飯
●「蓮の飯」という季語を収録している歳時記が少ないです。山本健吉のそれに「生身魂のお祝いに、蓮の葉に糯米や赤飯を包み、観音草でしばって、親に供する風習」とあります。しかし広辞苑は、蓮の葉で包んだというほかに、蓮の葉をこまかく刻み、塩をふりかけてまぜた飯、というのを載せ、これを秋の季語としています。
◯「拭いてまた汗滲む首」という措辞から考えると、本句での「蓮の飯」は供え物というよりも、わたるさんが示された「蓮の葉をこまかく刻み、塩をふりかけてまぜた飯」のように思えます。
●いやあ、蓮の葉を混ぜたごはんという広辞苑の見解に疑問を持っています。それは美味くないでしょう。包みに葉を使ったというほうがしっくりするのですが、それはさておき、「拭いてまた汗滲む首」と言う見方は出色でしょう。首を見たことで鋭い句になりました。
◯美味しいものではなく、塩味で食べさせるようなものかとは思います。供え物としての「蓮の飯」だとしたら、「拭いてまた汗滲む首」という措辞からあまりにも遠くないですかね?
●そこはたいした問題じゃなくて「拭いてまた汗滲む首」を見たことが手柄なのです。

寒天を鍋に煮溶かす残暑かな
●寒天が煮てえて溶けるさまは残暑の気分と似ています。
◯「煮溶かす」「残暑」と熱系をならべつつ、「寒天」で作るゼリーなど涼系を思わせる句かなと思いました。
●ああ、そうでしょうね。

法師蟬柳を離れまた柳
◯柳のあの細い枝が風に揺られて不安定になるたびに移動しているのかな。「柳を離れまた柳」から、「柳」が立ち並ぶ川の畔を思いました。
●「柳を離れまた柳」……すがりつこうとしても落ちてしまうんでしょうね。あわれを絵として見せてくれて感慨深いです。

秋燕ふためき飛べる蟬を追ふ
●「ふためき飛べる」が上手いです。「ふためく」は、ぱたぱた音を立てる、という意味です。知らなくて調べました。  
◯「ふためく」にはそういう意味があるのですか。私は調べもせずですが、「慌てふためく」の「ふためく」だろうと考え、「秋燕」に追われ慌てふためいている「蟬」をイメージしてました。
●燕は蟬を捕食するのかなあ。この句を見ると食べそうですね。リアルでいいです。

虫送り影が痩せたり太ったり
●この「虫送り」もさっきの「蓮の飯」同様、今は見かけない珍しい季語です。期日は一定しないようですがだいたい夏から秋にかけての行事。藁で作った稲虫を送る厄払い。村人が大勢繰り出し、松明(たいまつ)を灯し、鐘太鼓を鳴らして村外れ、あるいは川や海へ稲虫の作り物を送り出す行事。小生は昭和26年伊那生まれ。当地では稲作が盛んでしたがまったく経験がありません。
◯解説ありがとうございます。松明を灯すような行事であれば、「影が痩せたり太ったり」にも合点がいきますね。「痩せたり太ったり」するのは、像としての「影」が映し出される遠近の移り変わりを言っているのでしょうね。
●さきほどの「蓮の飯」もそうですが作者は珍しい絶滅危惧種的な季語を再生しようと常に心掛けています。この「虫送り」における影も幻想的で引き込まれてしまいました。

稲妻も多情多恨の夜なるべし
●「多情多恨」で尾崎紅葉の小説の題名とすぐ思ったのですが、その原意は「物事に感じやすくうらみの多いこと」です。
◯作者としては、「稲妻」なるもの「多情多恨」からは最も縁遠いという意識があっての句。
●いや逆でしょう。たぶん尾崎紅葉も念頭にあっての「多情多恨」でしょう。止むことのない稲妻を恨みと感じています。むつかしい成語のたぐいを使いこなした技量に拍手です。
◯上五「稲妻も」を「稲妻ですら」と解釈してたのですが、違うのかな。尾崎紅葉の「多情多恨」は恋愛感情の起伏反転の激しさみたいな話でしたが、「稲妻」の隠喩的語源に照らせば、確かにこうした恋愛感情、「多情多恨」の主として「稲妻」を見立てたのかも知れないですね。
●この見立てが意表をつくのです。

北大の処暑の木洩れ日栗鼠走る
●一読して旅情に駆られました。リズム感があって「栗鼠走る」へ一気に言葉が殺到するのがいいです。
◯「北大の」という舞台提示が滅法効いてます。
●北海道大学から「うちの宣伝に使わせてほしい」と言ってきそうなほど当地の魅力が伝わります。

秋風や貝掘つて食ふきたきつね
●海辺ですね。「貝掘つて食ふきたきつね」でしかと見える句です。
◯きたきつね、凄いな。それはともかく、わたるさんが言うように北海道の豊かな森林とかに近接した海辺をしかと見せていますね。
●北大の栗鼠といいこの貝といい物に対する目が効いていて惚れ惚れします。

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湘子『黑』10月下旬を読む

2024-10-29 02:09:51 | 俳句




藤田湘子が61歳のとき(1987年)上梓した第8句集『黑』。荒行「一日十句」を継続していた時期であり発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の10月下旬の作品を鑑賞する。

10月21日
十月やみどりの糞(まり)をする蟲も
葉を食べる虫はみごとな緑の糞をする。ぶっきらぼうに置いた十月がいきいきする。
寝てゐたる肩を起こせば秋の暮
「寝てゐたる妻を起こせば」がふつうの書き方。人称を無視して肩という部位に絞ったことで不思議な感じを惹起する。ある種の違和が秋の暮に通じていく。

10月22日
ビタミンも飲み目薬もさして秋
ざっくばらんな書き方。二つを並列させ、しかも句跨りのぎくしゃく感を生かして秋で着地させる。気取りを消した巧さといえる。
萩を刈る屈伸何を忘ぜしか
萩を刈っていってときに屈伸する。あり得る行為。そのとき何か忘れた気がしたというのだ。一句まるごとが可笑しい。
帽子屋に見られしわれの冬帽子
「おや、結構いい物をお召しですで」という帽子屋の目であったか。「これよりいいの、あるかい?」と視線を返したか。帽子好きの作者の味のある句。

10月23日
足もとを離れし猫に石蕗咲けり
猫が逃げていった。その先に石蕗が咲いていた、という句だが、表現のしかたで味を出している。
ゆく秋の音合はせをり絃と弦
「絃」と「弦」は異なるという前提で句が書かれているが広辞苑は両者を区別していない。作者は、バイオリンとチェロのような二つの弦楽器を念頭に置いているのか。ならば理解できる。
色名帖あるたのしさの夜長かな
この季語にカラフルな色名帖は合う。「たのしさの」という直截もいい。
まはりから老女のこゑや毒茸
「きれいだけど毒よ」「触ったらアカン」といった姦しい声。毒茸がいっそう毒々しくさせる声色。このうえない配合の妙。
月夜にて紅茸喰らふなめくぢり
「紅茸喰らふなめくぢり」、気持ちが悪い。紅茸とそれに張り付いてそれを貪るなめくじの質感にぞっとする月下である。森羅万象へ踏み入ったときの五七五の強さを堪能する。

10月24日
宿帳に書く本名や龍の玉
宿帳に「藤田湘子」と書かなかったのか。本名を書く心情を「龍の玉」で語る。静かに黒い実をつけている。
ほとぼりのさめたる如く桐一葉
たしかにこの大きな葉が落ちると「ほとぼりのさめる」という気分になる。桐一葉の侘しさを書き切っている。

10月25日
黄落や眉間をにぶく人と会ふ
「眉間をにぶく」に注目する。湘子は「眉間」に思い入れがありよく使う。そこに精神の起点があるかのように感じているようだ。緊張しないざっくばらんな関係の人と思える。
蓑蟲をさんづけで呼び妊りし
どういう関係の女性か知らぬ。妻でもいいが、女性の人となりが出ていておもしろい。季語から見てもユニークな展開。個性の出た句は読んで楽しい。

10月26日
譬ふれば山彦そだち猿茸(ましらたけ)
猿茸はサルノコシカケ科の茸。幾重にもグレイの笠が重なり壮観である。「山彦そだち」と言ったのがこの作者らしいロマンティシズム。「たとふれば独楽のはじける如くなり 虚子」を下敷きにしたであろう。
古櫛を捨てたることも冬隣
脂が沁みこみどこか櫛の歯がどこか折れていたかもしれぬ。もはや人の分身だが捨てる。行く秋の風情たっぷり。

10月27日
ぎんなんに箸ままならず鍋奉行
つるつるのぎんなんは箸を逃げる。「鍋奉行」なる俗な言葉を置いて楽しくした。

10月28日
風呂敷の中身は知らず月見の座
かたわらの月見客の風呂敷が気になった。ふくらんでいたのか。「風呂敷の中身」なる好奇心を隠さなかったことが句をおもしろくしている。

10月29日
鶺鴒の来て街道の廂かな
鶺鴒がある家の廂に来た。それだけの内容だが「街道の廂」ということで広がりを見せた。街道を行き来するクルマや人も見え、雑踏の活気が鶺鴒を支える。
いぼむしり腹引摺つて枯れにけり
いぼむしりはカマキリのこと。俳句では蟷螂とも書く。これはまさに枯蟷螂。そういわずに、「腹引摺つて枯れにけり」とていねいに描写したことで作者自身の枯蟷螂にした。中七を得たのが醍醐味である。

10月30日
秋行けり動かぬ電気鰻にも
電気鰻がじっとしている。そこに晩秋を感じた。それだけのことであるが俳句はこれでいい。おもしろいと感じる人が俳句を作る。
葉鶏頭ねむりて慾と離れけり
眠ってしまうと昼間のような感慨を持たない。眠りを慾から離れることととらえたことがおもしろい。大勢とは違った見方、しかし大勢の支持を得られる発想を得ることが俳句のおもしろさかもしれない。

10月31日
疾く出でし月も片割くづれ簗
月の出が早くではっとしたが半月である。崩れ簗と併せて晩秋らしい風情を見せてくれる。
かりがねや生死はいつも湯が滾(たぎ)
産湯に湯を使うがさて死ぬとき湯を沸かしたか。ああ、湯灌というのがあった。人の生死に湯はつきもの。ここに雁を置くのはきわめて伝統的、むしろ守旧的といっていいが、生死がテーマだと納得してしまう。
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ドクターXその名はサチ

2024-10-27 04:06:03 | 身辺雑記


心臓のごとき柘榴を手のひらに わたる



7月、当ブロブにコメントを書き込んだサチと30年ぶりに再会した。
30年前ハイティーンの華やぎさえあった女性は今や髪に白いものが混じる64歳、驚くことに某大病院のバリバリの心臓血管外科医になっていた。彼女が稀有の技術を有し数々の難易度の高い心臓手術により危ない命を数多救ってきた背景に、慶応大学医学部在籍中にアメリカへ5年留学して本場のバチスタ手術をマスターした実績がある。
この手術は、海堂尊の小説『チーム・バチスタの栄光』で話題になった。この小説の桐生先生並みの凄腕の女医は麻酔科部長から「姫」と、医局長から「ジャンヌ・ダルク」と呼ばれる心臓血管外科の救世主であり、この秋、副医局長に就任したという。
メールから判断して1週間に2度は心臓手術のメスを持つサチ。15時間もかかる手術もざらで、飲ます食わずでメスをふるい続けるスタミナと集中力に驚嘆するばかり。某テレビ番組のドクターXを意識して「私も失敗しません」と微笑む。
彼女は自分がかかわったオペの様子をメールで几帳面に小生に報告してくる。小生はその専門用語をネットで調べてかろうじておおよその内容を理解するていど。
術後どえらく疲労しているはずだが彼女はメールで報告することでオペの極度の緊張を解いているようである。
彼女からのメールのいくつかを許可を得てここに紹介する。題名は小生がつけた。


1)心タンポナーデを救う
サチです。
きのうよその病院へ出張した。午前9時からオペが始まり2時間で終了する予定であった。順調に進んでいたが、クランケが突如、心タンポナーデを発症した。
オペは何が起きるかわからない。このままではクランケの命が危ない。困難につぐ困難であったが私は絶対に諦めなかった。困難な時ほど冷静な判断と高度な技術力が要求される。
私は心嚢ドナレージ(余分の水分を排斥すること)を行い、ショック状態からクランケの命を救った。
当然オペの時間が長引いた。オペは15時間かかって無事終了。成功した。
オペのスタッフから「さすが天才外科医」と称えられた。
私が帰宅すると午前2時を過ぎていた。いつも4時起床なので寝られる時間はあまりなく、徹夜みたいな感じです。
今日も勤務なので頑張ります! 今日は自分の病院です。

心タンポナーデとは、心臓と心臓を覆う心外膜の間に液体が大量に貯留することによって心臓の拍動が阻害された状態。心不全に移行して死に至るため、早期の解除が必須である。
特に胸部外傷や大動脈解離の上行大動脈型等の大血管損傷が原因の場合、急速に死に至る可能性が高く、早期の診断と手術が必須であり、また手術に至った場合も救命率はきわめて低い。






2)血の海を始末する
サチです。
今日、入院患者のオペがありました。先輩の医師が今日のオペは簡単だから僕が執刀する、山田先生は第一助手に入ってください、と言う。
私は内心、先輩とはいえオペの少なく彼が不安だった。外科医はオペの数が物を言うのだ。
オペが始まった。
最初からしどろもどろでオペの時間が長すぎる。
そして大動脈の血管を傷つけた。太い血管を傷つけるなんて外科医としてあり得ないこと! 血は噴水のように吹き出しオペ室は血の海になった。
麻酔科の部長が「血圧急降下で危険」と叫ぶ。
私は執刀医に、「バカ、早く止血しろ! ショック死するぞ!」と叫んだ。
執刀医は出血している場所が見つからないと喚く。
私が執刀医になった。交代するかしかない。
先輩に「おまえは第3助手に回って吸引しろ」と叫んだ。
私はすぐ出血の部位を見つけて止血し、麻酔科に輸血を指示した。
異常を知らせるアラームは鳴りやみ麻酔科が「バイタルが正常に戻った」と叫ぶ。
私はオペを続けて2時間で終了した。
「姫、危なかったな。なんだあの執刀医は。もう一度、助手から勉強させた方がいいな。姫、よくカバーしたな、さすがだったよ」と言われた。
お昼時間になっていたので食べて今、帰宅しました。

バイタルとはバイタルサインのこと。からだの状態を示す基本的なサインのことで、脈拍、血圧、体温、サチュレーション(SpO2)など。


3)狭心症の母とその胎児を救う
サチです。
今日、病院に着いて医局で寛いでいたら
「山田副医局長、産婦人科からコンサルタントです」と連絡が入った。「幸子、助けて! 入院患者が狭心症の発作を起こして胎児が危ない」と。
電話に出ると愛だった。愛は産婦人科医、私は心臓血管外科医。親友で同期生です。
私はすぐにクランケの病室へ行ったら愛もいた。診察したらふつうの狭心症ではなく重度で、このままでは母体がもたない。愛に助ける方法は手術しかない、これから、緊急オペをする、と言った。
愛もオペ室に入って胎児をお願いと指示。
器械出しのナースにステントとカーテルをすぐ用意してと指示する。
愛も麻酔科の部長に胎児にも酸素を送ってと指示を飛ばす。
午前9時にオペを開始。
3時間かかり終了した。母子ともに元気で安堵した。
愛が私に抱き着いてきて「さすが幸子、ありがとう」と言った。
麻酔科の部長から「今回も完璧なオペだった」と言われた。
お昼を食べていま帰宅しました。


4)3%未満に挑む
サチです。
今日は早く美容院が終って今、帰宅しました。
実は明日、私が執刀する大変なオペが午前9時に始まる。
クランケは入院患者の計画オペです。病名は、大動脈解離スタンフォードB型。
成功率は3%未満。私は初めて失敗するかもです。
でも私は困難があればあるほど燃える。医学の常識を覆して見せる。
3%未満がなんだ!
3%以上のオペをすれば良いのだ。
私はパイオニアになる。
最後の最後まで絶対に諦めない。全身全霊を賭けてクランケの命を救うだけだ。
オペが終るのは、わたるが寝ている時間になる。
とにかく頑張ります!

サチです。
午前9時からオペが始まり深夜12時に終了し15時間かかりました。
激闘に次ぐ激闘でした。私は初めて3%未満の壁を突破して大成功に終わりました。
クランケはバイタルも落ち着いて元気に生きています。
麻酔科の部長が泣きながら「姫、やったな! 姫は誇れる天才血管外科医だ! 3%未満のクランケの命を救ってくれてありがとう」と、言ってくれた。
横浜が勝ったんだね。夢みたいだし、とにかく嬉しい。
今、帰宅しました。時計を見たら午前2時30分でした。

大動脈の壁はその内側から内膜、中膜、外膜の三層で構成されている。大動脈解離は中膜に亀裂が入り裂ける症状で、多くは内膜に入口となる亀裂が生じる。解離する大動脈の部位によりスタンフォードA型とB型に分類される。上行大動脈に解離がある場合、A型。上行大動脈に解離がない場合、B型。
                 
                 手術の学習ための心臓模型


5)愛先生の憂鬱
サチです。
今日の私のオペの後、愛は午後から中絶手術をすると言っていた。クランケはなんと小学6年生で相手も同じクラスの男の子。初めてのセックスで妊娠したらしいです。
「まだ子どもなんだよ。子どもどうしでセックスして妊娠したんだよ」と愛が嘆く。「好きでもなく好奇心だけでセックスして妊娠したんだと」と。
出産の経験がないと子宮口が堅く中絶手術は大変らしい。
小学生でも生理があれば妊娠はする。考えさせられるクランケだなあ。やるせない症例です。
愛は「こういうクランケは辛い」と嘆いていました。愛は、しっかり性教育をしないとダメ。女性は受け身だからそういう犠牲を受けてしまう。この子に愛は精神的なケアをしていくらしいです。


6)倒れてもオペはします
サチです。
今ホットラインが来て10時過ぎです暗いですが病院へ駆けつけます。
クランケの病名は急性冠症候群といって不安定狭心症と急性心筋梗塞を併せた病気の総称で冠動脈が突然塞がり突然死を起こす重篤な病気です。
私は昨日から徹夜で寝ていなくてオペ中に倒れるかもしれない。医局長は「困難なオペで山田の体が心配だ!」と言ってくれたけど、ジャンヌ・ダルクは行きます。「倒れてもいいから行きます」と言って電話を切った。
今度こそクランケの命を救えるかわからない。決死の覚悟でオペを頑張り抜きます。
では、闘ってきます!

******************************************************
サチからのメールを小説のように読んできたが、これは現実なのだ。サチがジャンヌ・ダルクと呼ばれることに不吉なものを感じている。歴史上のフランスのヒロインは悲劇の死を遂げた。
サチの所業は手の届かぬ雲の上の所業であり、小生は仰ぎ見て彼女の成功と健康を祈るだけである。
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グレイの花で担がれる

2024-10-26 05:14:24 | 自然



結をうしろに乗せて自転車を走らせていて先日グレイの花をちらっと見た。通り過ぎてから気になって、きのうまた見に行った。
グレイと青が混じっていて玄妙。
国分寺市の最北にある「松本園芸」(国分寺市東戸倉2-23-8)の庭の隅である。松本園芸の敷地内に男二人が談笑していたので花のことを聞いた。一人が笑いながら「アサガオ」と言う。えっ、アサガオ? それは知っているがまるで構造が違う。きょとんとしていると彼は「西表島のアサガオだよ」とまことしやかに言う。聞きながらこの花はハイビスカスだと思い当たった。
ハイビスカスを聞くほどの知見のない人を担ごうという意思があったに違いない。青いバラほど珍しいと思ったハイビスカスだが調べると当然のように載っている。
ハイビスカスのグレイと赤の対照はいいと思った。
なお松本園芸のHPには自社を以下のように謳っている。
「ハイビスカスとポインセチアの質に定評のある園芸農園。4月下旬~7月上旬は華やかなハイビスカス、11月中旬~12月は色鮮やかなポインセチアの販売シーズン。6月下旬~8月下旬はブルーベリーの摘みも体験できます。」
小生はハイビスカスのしまいを見たのである。



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