天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

8月27日KBJ句会

2024-08-04 04:45:02 | 俳句




夏の代表的な花、百日紅。それがいま満開です。名前の通り100日は続く暑さの象徴でしょう。きのうじっくりこの花を仰いでいて青空とのコントラストがいいと思いました。さあ暑さにめげず俳句を楽しみましょう。8月の末ですから暑さが若干衰えていることが予想されます。会場は小さな部屋で冷房が効いています。俳句好きの方はどうぞ西国分寺へ。

【日時】8月27日(火)13:30~16:00

【会場】多喜窪公会堂
  中央線西国分寺駅下車。南へ450m。

      

【出句数】1~10句(以下の兼題1句を含む当季雑詠)
  時間短縮のためあらかじめ短冊に書いてくることを希望します。

【兼題】
1)季題 草泊(草山)で1句以上
阿蘇山のほか久住山、鳥海山、岩木山などに見られる。火山の裾の広い草原地帯で、秋の彼岸の後、草を刈る。そのとき仮小屋を建て、寝泊りする風習があった。(『最新俳句歳時記』山本健吉編)
例句
 刈萱のたへにも白し草泊り 禅寺洞
 くれなゐの星を真近に草泊 野見山朱鳥
 草泊こゝぞこゝぞと火を焚ける 井桁蒼水
 父母会うて吾を得しといふ草泊 天地わたる

2)型その4で1句以上
例句
 椎若葉一歯の蝕のすすむなり 奥坂まや
 夏蕨乳離れの乳捨てにけり 坂本泰城
 野分あと口のゆるびて睡りをり 石田波郷
 花かんば北軽井沢夜明けたり 佐川広治
上五に5音の名詞の季語を置く。下五を「なり」「けり」「をり」「たり」といった切字で着地させる。切れのいい立ち姿の句が出来します。

【指導】天地わたる(鷹同人)
  点の入らなかった句についても全員で見直し意見交換します。

【参加費】1000円

【参加したい方】
  ブログに書き込みをするか、youyouhiker@jcom.home.ne.jpへご一報を。

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NHKの涼しさを見よ

2024-08-03 05:42:57 | 世相




NHKテレビのアナウンサー山内泉の美貌である。いつ昼のニュースを読むようになったか。気がついたときから彼女のファンでほぼ毎日彼女の読むニュースを聞いている。
今やテレビの女性アナウンサーは女優、歌手並みの脚光の浴び方をしている。取材する側だが取材される対象である。
小学校の女の子が作文に「スチュワーデスになりたい」と書いていた時代があった。60年前「スチュワーデス」は女の子の憧れの職業であったが時が流れてそれが蔑称とかでスチュワーデスの名称が消え、「客室乗務員」とか「キャビンアテンダント」とか呼ばれるようになって花の職業から後退していった。
今や女子アナウンサーは芸能人のようにブラウン管でもてはやされている。おおむね皆きれいである。そりゃそうだろう。視聴率を取る看板娘たちである。見てくれの悪い者が起用されるはずがない。
女子アナウンサーのきれいさには慣れているが、山内泉は別格である。1994年生まれの30歳。慶應義塾大学経済学部卒。2017年4月に入局して金沢放送局で勤務したとか。金沢から中央へ引っ張ったNHK首脳部の眼力は買う。
ずば抜けた美形であり、「涼しさや李朝の青磁見る如く」である。初めて見たとき、映画「X―ファイル」のスカリー役、ジリアン・アンダーソンを思った。ジリアンは彫刻のように切れのある美貌であり一部の隙もない。山内泉はジリアンほど鋭利ではないが同じ系列のクールビューティ。
どんな生活をしているか予断を許さぬ美しさである。
今ニュースを読むだけだから愛嬌がないがそれがいい。静かにニュースを読んでいて欲しい。教養がありそうだからやがて自分の言葉を発するポジションに就くだろう。それも楽しみだがこの静けさと涼しさにぞっこんである。
高嶺より朝の冷気や萵苣(ちしゃ)を摘む
といった高貴な風情を感じる。
4時45分のニュースも読んでいる。「かはたれのささやくやうな泉かな」を泉さんに捧げたい。
NHK首脳部が意識しているかどうかは知らぬが、NHKが視聴者に提供する暑中見舞いがあるとするなら、山内泉である。
10月になって涼しくなっても出続けていて欲しい。


右:「X―ファイル」のジリアン・アンダーソン


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湘子『黑』 7月下旬を読む

2024-08-02 04:38:35 | 俳句




藤田湘子が61歳のとき(1987年)上梓した第8句集『黑』。荒行「一日十句」を継続していた時期であり発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の7月下旬の作品を鑑賞する。

7月21日
舟着場から歩ききて踊りけり
島へ踊りにやって来た人。「歩み来し人麦踏をはじめけり 高野素十」に似た構図で展開に味がある。
炎天や蕭條として寺の屋根
「蕭條」は「蕭条」のこと、ものさびしいの意。この句はこの言葉、特に「しょうじょう」という音感に賭けた句である。

7月22日
かなかなや城ある町の紙芝居
城下町のどこかで紙芝居が行われている。「かなかな」「城」「紙芝居」という三つの物の不可思議な配合。読み手によって好悪が分かれる句であろう。
なほ西へ月夜は行けり高嶺草
月でなく「月夜は行けり」。作者ならではの美意識というべきだろう。「高嶺草」は高山植物ゆえ空気の澄んだ気持ちよさがある。

7月23日
北杜夫読む少年に雷近し
北杜夫は懐かしい。少年が本を読んでいて雷が鳴ったというのははっとする。はつらつとした少年を描いている。
白地着て闇にまぎるる心なし
夜道を行く。白地を着ているから俺は闇に浮きたっているぞ、という自負。いかにも湘子である。

7月24日
行きつつも白地の皺が尻の辺に
これは自分のことか他人のことか。自分の尻にできた白地の皺は手で感じることができるから自嘲と読んでもいい。

7月25日
箒木の形に一枝一枝かな
箒木は丸くまとまって見えるが一枝一枝が支えているというのである。その通り。当然のことを敢えて書くことで俳句になることのおもしろさ。

7月26日
紫蘇畑や日照り十日の変りざま
紫蘇はそうとうくたびれているのか。「日照り十日の変りざま」という言葉の畳み掛ける勢いが句の原動力。
帷子を着ておもしろう世過ぎせよ
帷子(かたびら)は麻で織った布の一重もの。「おもしろう世過ぎせよ」という命令形は自分へ言い聞かせているのであろう。言葉に抑揚がある。

7月27日
うまきものしづかに喰へば炎暑来
炎暑になったから美味いものを食べているのだろうがそれをひっくり返した。それも「うまきものしづかに喰へば」と味わい深く。言葉の芸人という感じ。
老人のかくしどころや天瓜粉
老人は作者のことだろう。「かくしどころ」に驚いた。そこに天瓜粉をはたく先生を想像すると笑うしかないのである。

7月28日
てにをはの泣いてゐる句や夜の秋
季語が適切かどうかやや疑問だが、「てにをはの泣いてゐる句」はわかる。弟子の句を見ているのであろう。もどかしさが伝わってくる。
蟹や海老剰して暑気を払ひたる
「剰して」に注目した。食べ残したということであれば食欲が落ちていたということか。それでは暑気払いできぬではないか。
機を見るに鈍なる蠅を打ちにけり
暑くて蠅の動きが鈍いのか。「機を見るに鈍なる蠅」は巧い。このフレーズを思いついたときの作者の顔を想像する。

7月29日
草取をして晴耕となす心
「晴耕雨読」が下敷き。晴れて耕すのが本来だが、草取をそれに充当した。そこが可笑しみとなっている。
誇るべき蟬の木もなし住み馴れて
確かに蟬が来て盛大に鳴く木は誇るにあたいする。先生の家の庭には朴があるはずだが、それには蟬が来ないらしい。

7月30日
白壁に月夜をあたへ誘蛾燈
凝った表現である。白壁は土蔵が。その近くに誘蛾燈がある。白壁と誘蛾燈は引き合う。
老夫婦泳ぐ夫婦を木陰より
泳ぐ夫婦を泳がない夫婦が見ている。泳がないほうは年寄で泳ぐほうは若い。おもしろい句である。俳句は一瞬の切り取りであると思う。


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鷹8月号小川軽舟を読む

2024-08-01 04:44:50 | 俳句
 
姿見の池


小川軽舟鷹主宰が鷹8月号に「晴間」と題して発表した12句。これを天地わたると山野月読が合評する。天地が ●、山野が〇。

押せ押せの水に巌や山つつじ 
●渓流を描いています。「押せ押せ」なる今やかなり俗な表現が当を得ています。 
〇「押せ押せの水」ということで、豊かな水量や勢いを感じさせます。それゆえ、その後の「巌」の受けが効果的です。 
●湘子が提唱した型その2を巧みにこなしています。中七のしまいが「巌や」で盤石にしてポンと置かれた「山つつじ」が決まります。俗に転びそうな言葉を逆手に取る、という芸で個性ある風景句に仕立てました。

どの樹にも智慧が若葉の形なす
●森や山でいろいろな木のさまざまな葉を見て緑はいいなあと思います。葉の違いに作者なりに切り込んでいます。 
〇ひとつひとつが事なる「若葉の形」として捉えると、この「智慧」とは神の恣意的なデザインともとれますし、一方で、それが「若葉」であると認識できる程度の共通性を有しているという意味では自然の摂理を「智慧」と称したとも言えそうです。先日のネット句会で私の句についてわたるさんから「観念的だ」と指摘を受けたばかりですが、本句について私が感じた上記のようなことだとしたら、あまり面白いとは思えませんでした。 
●知的な句です。作者は、知・情・意のバランスのとれた才能の持ち主でこれは知の働いた句です。「知に働けば角が立つ」と言われるように特に俳句において知が先行すると観念的になって失敗することが多いです。けれど、この句は実感の裏付けがあって納得しました。 

青春は明治に如かず透谷忌 
●北村透谷(きたむら とうこく)は評論家・詩人。1868年12月29日〈明治元年11月16日〉~ 1894年〈明治27年〉5月16日)。青春は明治時代の真っ只中でした。 
〇透谷が活躍した「明治」ならではの熱気には「青春」の熱気も及ばないというようなことですよね。こうした熱量を感じさせて、それは「透谷忌」と響き合うと思いました。
●昭和生まれの小生は明治への憧れがあります。平成、令和など嚙んで味の失せたチューインガムのように感じます。時代が違うから仕方ないのですが若者に熱量が乏しいと感じてなりません。 作者にも明治への憧憬がありますね。 

ぼうたんや南蛮船に人買ひも 
●「南蛮船に人買ひも」は時代小説を読む味わいです。季語が牡丹だと日本の娘がかどわかしに遭った風情です。 
〇「南蛮船に人買ひも」という言い方は、書物で読み知った史実というよりも、もっと視覚的に捉えた景の感じがしますね。 
●はい、むろん見える内容です。

画眉鳥は望郷うたふ南風 
●原産地は中国南部から東南アジア北部にかけてとのこと。1970年代の野鳥ブームで日本に来たものの鳴き声が大きいということでそうとう野に放たれということです。 
〇原産地が東南アジアだとすれば、そうした背景を踏まえての「南風」なんでしょうね。「画眉鳥」というのは鳴き声も大きく、特徴的なようですし、そういう意味では「うたふ」と展開するのも納得です。

人生のいま晴間らし柿の花 
●6月29日鷹創立60周年記念大会を2代目主宰として盛大に催しました。主宰にとって今まさに我が世の春ですよ。 
〇確かにそうした我が世の春を言いつつも、「晴間」には時の移ろいや一過性的なニュアンスを感じますし、何よりもそう目立つ花ではなさそうな「柿の花」としたところがいかにも作者らしいのでは。 
●「晴間」は雲が出て雨が降ることがあるかもしれぬ先を予期しています。おまけに「晴間らし」ととぼけています。そこが作者の奥ゆかしいところ。桜や薔薇でない地味な「柿の花」を置いたところも俳諧味があります。 成功に喝采を上げずおどけて見せたのが作者の品格です。 

蛍火や数珠ひと擦りになもあみだ 
●おもしろい句です。数珠を持って蛍狩に来たのでしょうか。それとも僧が本堂でおつとめをしていて戸外の蛍を感じているのか。 
〇少なくとも蛍狩ではないでしょう。「数珠ひと擦りになもあみだ」というのは、何とも念の入った感じで、これ以上の想いはないのではと感じられます。「蛍火」が精霊流しの灯のような味わいです。 
●やはり蛍狩ではないでしょうね。「数珠ひと擦りになもあみだ」は味があります。

髪黒き遺影一郎梅雨に死す 
●6月21日に亡くなった月光集作家、竹岡一郎を悼んでいます。 享年60とか。
〇直接は存じあげませんが、前にわたるさんが本ブログで紹介してくれた竹岡一郎さんの「蒼白の股が挾める金魚鉢」という句が印象に残っています。ご冥福をお祈りします。 
●よくその句を覚えていましたね。主宰は「秀句の風景」で、「電灯の紐の揺れやむ透谷忌 竹岡一郎」を取り上げ、「不条理に満ちた作品も硬質の詩情でしたたかにまとめあげるしたたかな俳人だった。どれほど惜しんでも惜しみきれない。」と、弔意を示しています。小生の一番好きな句は「サンバに乳ゆれて難波(なんば)や文化の日 一郎」です。
〇本句は、お通夜の際の句かなと思うのですが、そうするとひとつ前の「蛍火や数珠ひと擦りになもあみだ」も同じときに詠んだ句でしょうかね。 
●そうかもしれません。

母優しはじめてメロン食ふわれに 
●母を慕う句です。はじめてメロンを食べたのは1歳か2歳か。甘いんですがメロンに優しはぴったりです。 
〇本句中の「われ」なる作者は1・2歳というよりももっと物心のついた年齢のように思いました。そうしたシチュエーションの方が「母優し」が味わい深いのでは。 
●4,5歳のころですか。そのほうがいいかもしれませんね。

蚊帳に入る母を薄目で見てゐたり 
●これも母を慕う句です。前の句が完全に母子ものだったのに対し、ここには母を女と見る目がありませんか。 
〇確かに母性としてではなく女性としての「母」を感じさせます。「薄目」であることもその要因なのですが、「蚊帳に入る母」という捉えが、この「蚊帳」には作者がいる感じがしないこともあると思います。 
●蚊帳の中に作者はいませんね。問題は父がいるかですが、いるとみておもしろい句でしょうね。

草笛はくすぐつたいと音になる 
●得意の擬人化です。草笛がくすぐったいと(言って)音になる、と読みました。 
〇つまり原因・契機としての「くすぐつたい」ではないという読みですね。私もそうだと思います。
この句は擬人的捉えも凄いのですが、それ以上に最後の「音になる」に意表をつかれました。上五中七までを着想できたとして、普通なら「音を出す」とかにしそうじゃないですか。そうではなく「音になる」というのは、楽器・媒体であるはずの「草笛」が「音」そのものに変わるという捉えであり、痺れるほどの感性です。 
●おもしろい草笛の一物です。

蠅震へ船のエンジンかかりけり 
●蠅は船縁にいるかな。船外機のエンジンをかけたのでしょう。 
〇港から船が出るときでしょうね。それも「蠅震へ」ですから、さして大きな船ではなく小さな漁船、そして古くからあるような漁港のイメージです。「エンジンかかり」そして「蠅震へ」たという語順・道理ではない面白さ。 
●着眼がいいです。上五が氷山の一角みたいな構図です。

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