6月30日の対広島戦、1回に久々の先制のタイムリーヒットを打った岡本選手(讀賣新聞)
7月1日付讀賣新聞の歌壇。黒瀬珂瀾選、第1席入選した1首に注目した。
腕組みの阿部慎之助代打オレ言いたげにまた腕組み直す 桃心地
【黒瀬珂瀾評】もどかしそうな監督の動きに、その心中を推しはかった、臨場感のある一首。選手のプレーのみならず、監督やコーチ陣の振る舞いにも野球観戦で面白さはあるのです。
短歌はこんな素材を詠めるのか……すこし羨ましく感じた。俳句ができない「述べる」ということが発揮されての面白さである。
阿部監督は低調な打線に苦しんでいる。その象徴な存在が4番の岡本和。彼の成績は、打率0.259(11位)、本塁打13(2位)、打点40(1位タイ)<7月1日現在>
打率はなさけないがほかの2部門はがんばっている。けれど巨人の4番の打率が、走者を塁に置いたとき2割2分では責められてしまう。
7月1日付讀賣新聞は、岡本和についてこう伝える。
前日、巨人の阿部監督は「打線がそこで切れてしまうことが多々ある」と、好機で凡退した岡本和の打順変更を示唆していた。「考えて、一杯飲んで寝たんだけど。翌朝、やっぱり4番だなと思って。」自らも現役時代に務めた4番は、簡単には代えられなかった。
二岡ヘッドによれば、岡本和は、「悪くなると体と手がすごく離れる」。練習は力を抑えて打つため逆方向へいい打球が飛ぶが、試合では強く振ろうと力み、その癖が出ていたという。
岡本はまじめ過ぎるのかもしれない。馬鹿になってバットを振ったらと思うが責任感がそうさせないのだろう。
鷹7月号に気楽に作って特選になった句がある。
四月一日卵があればいい男 牧村 佳那子
【小川軽舟評】あまり深く考えて読む必要もないだろう。作者が深く考えて作った句だとも思われない。しかし、深く考えて作った句より、そうでない句の方がおもしろいということはしばしばある。卵焼きでも目玉焼きでも生卵でも、おかずに卵があれば機嫌よく飯を食う男なのである。四月一日は新しい年度の始まりといったところか。それでも変わることなく、今日も卵があればいい男なのだ。(鷹7月号「秀句の風景」より
「卵があればいい男」などという馬鹿々々しい文言。これが俳句になると踏んだのが偉い。季語を「四月一日」にした感性がいい。
サッカーでこぼれ球を押し込む感じ。得点者はラッキーと思われがちだが球が来そうなところに居るのは能力である。言葉を拾えるのは資質なのである。
鷹主宰は牧村句を使って、「脱力」に言及している。これをものにしてやろうと気負うよりさっと書いてしまって案外面白いものができることに。
肩から力を抜くこと。これは主宰が若いときからずっと出来ていたことである。主宰から学んだ一つを上あげよと言われれば、小生は迷わず「脱力」をあげる。
泥に降る雪うつくしや泥になる 軽舟 (平成15年)
「この句が出来たとき、自分ではこれでよいのか今ひとつ確信がなかった。湘子をはじめ、いろいろな人に好意的に読んでもらって、私にとっても大事な句になっていった。」と作者が言う。
出来たとき作者が迷ったということに好感をもつ。
主宰ほどの能力の作者にしても力を抜くことに抵抗する内心の疑問はあったのである。
不調の岡本に小生はあまり厳しいことを言えない。「脱力」は勇気が要るのである。「こんなでいのか」という句からの問いかけを吹っ切ることなのである。
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