天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

ラグビーと俳句の最前線

2017-01-08 09:52:19 | スポーツ・文芸


きのう高校ラグビーの決勝戦、東福岡VS東海大仰星を見てえらく疲れた。
東福岡がトライ二つ取って先行したときゆっくり見られるか思ったが東海大仰星の反撃がすごかった。28―21で東福岡が優勝したのだが観戦後の疲労は土曜日の準決勝と一緒であった。
準決勝の東福岡VS御所実、桐蔭学園VS東海大仰星からラグビー観戦の疲労が続いている。
疲労を回復させてからゆうべトップリーグのサントリーVS東芝を見た。
凄さは高校生の比ではないがサントリーが押しに押し東芝に精彩がない。緊張感も疲労もなく途中でテレビを切った。結果サントリーが東芝を48―0で完封した。

高校生の3試合は「フロンティアが絶えず出現するからおもしろい」ということを感じさせてくれた。
強いチームどうしの闘いは攻撃と防御のフロンティア(壁)が出現する。
この壁をどう崩すか、力と技がこの壁でスパークする。波が巌にぶつかる。それを乗り越えるようなイメージが随所に見えて興奮する。
東芝とぶつかったサントリーは手ごたえがなかったのだと思う。そこには攻めと守りの最前線の感覚が乏しかった。たやすく人の間を通り抜けるとき発火しない。

相手の壁を崩してトライを取ろうとするラグビーは、世界へぶつかって言葉を得ようとする俳句とつながる。
違うのはラグビーの場合相手が強いと必ず壁が出来する。それを突き破るのがテーマとなるが、俳句はむしろどうやって壁を見い出すかということである。

揚雲雀大空に壁幻想す 小川軽舟

この句について作者は、
自分の俳句に持ち込む語彙を増やすことによって、作風の幅を広げようとしていた。この句の場合は「幻想」。
という自註をつけている。
この句を読んでぼくは雲雀が垂直に上昇したことを思い、見えない壁に沿って上ったと見たファンタジーを楽しんだ。
いずれにせよ「語彙を増やす」のはフロンティアへの意思である。

第52回鷹俳句賞を受賞した宮木登美江の武器は語彙力である。
木霊棲む空き懐やななかまど  宮木登美江

この句は「空き懐」なる語彙のおもしろいさに尽きる。広辞苑によると、抱くべき子のない女の懐、とのこと。宮木さんは題詠で出された字を辞書で探していてヒットしたという。これを見つけたとき「ものになる」と感じどうやって前後を固めようか考えたという。
以下の宮木さんの句も、ふつうは目にしない語彙力を生かしている。
新墾田(あらきだ)の一画の墓銀やんま 
磐座は媛神(ひめがみ)干菜吊りにけり
緑さす猪の殺屋(そぎや)の砥石かな

宮木さんと俳句の話をして、吟行などして景色を見て作ってもだいたい表面的になる。ああいいねわかるわ、とは思うもののおもしろくないことが多いということで一致した。
うわべを見ても俳句のフロンティアは出現しないのである。
したがって宮木さんは語彙力で世界との接点を見つけようとする。
ぼくも宮木さんのように新奇の言葉を見つけてできた句がある。
一茶忌や蔵に散らばる鼠米
 
なんとなく辞書を見ていて「鼠米」を発見したとき電流が走って一気にできた。したがって「木霊棲む空き懐やななかまど」をものにしたときの作者の気持ちはよくわかる。
ぼくも宮木さんのように長時間辞書を渉猟すべきなのか。それはそれでたいへんだろう。

語彙力に寄らず発見をこころみる例もある。
スーパーの長きレシート冬に入る 龍野よし絵

新しい素材の開拓である。小川主宰が「日常のなんでもない些事が季語の力を借りて詩になる」という典型的な作り方である。

ラグビーはピッチに立てば相手がいるから必ず接点ができる。
俳句はどのようにしてその接点、フロンティアを見い出すかという営為である。べつに戦う人間はいない。森羅万象へ突き進む詩が俳句なのだがゲートを見つけ出すのに七転八倒する。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 御所実の黒いモール | トップ | ほとんどない新奇と繰り返し... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

スポーツ・文芸」カテゴリの最新記事