霧島を押し出す翔猿(右)
きのうNHKテレビの大相撲中継に春日野親方(元栃乃和歌)が出て相撲を語った。そこで印象深かったのが師匠(栃錦)から「押し」を学んだことを挙げた。さらに栃ノ心が長期休場していたとき押すことばかりさせたこと。栃ノ心はまわしを摑んでの投げが得意だったが「投げじゃなくて押し」だと言い含めたことを強調していた。
「押し」って教えてもらうほど難しいことかと思いつつ、では俳句の一番大事なことは何か考えた。最初、よく見ること、デッサンすることかと思い、いや違う、まず五七五で書くことと思い当たった。
ちょうどTさんが30句小生に俳句を送って来たところであった。30句のうち五七五でないものが3句あり厳重に注意したところであった。句の巧拙はともかく自分が書いたものが五七五韻律に叶っているかどうかはわかることである。
俳句はまず韻律にのっとって書くというのが一番大事である。これが相撲の押しに相当すると思う。相撲で押しを教えなければならぬよう俳句でも韻律を守るよう教えなければならない。
いつだったか時実新子に1年川柳を投句したとき彼女から「五七五を崩しませんね」と言われたことを思い出す。対面したか文書であったかあいまいだが新子さんがそう評価したことはよく覚えている。ということは川柳では韻律を崩す作例が多いのか。
小生の付き合った伊那の川柳の人たちは韻律を守ることをしばしばおろそかにした。それは意味を重視するからである。内容が大事だと考えるからである。川柳はよく知らないが俳句は長くやればやるほど内容より韻律が大事だと思うようになる。内容が五十歩百歩の事例をみんな詠むのである。また内容を重視するのであれば五七五の短いものより散文にすればいいのである。藤田湘子は「内容よりリズムだ」とよく言った。
いまその教えはよくわかる。湘子は晩年ライバルであった飯田龍太が七五五韻律の句を採って流行らせたことを批判し「やるなら七七五にしろ」とわれわれ言った。たしかにこれだと五七五韻律は守られるのである。とにかく俳句は韻律である。
きのうは大相撲中日、横綱を目指す霧島が翔猿に押し出されて負け。痛恨の2敗目を喫した。引きかけた迷いを翔猿に一気に押された。霧島にも師匠は押しをまだ教えなけれないけないようである。相撲も俳句も教えるのは一番簡単なことなのか。
俳句も川柳も同じかもしれませんな。