天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

審判へのクレームは俳句では何?

2022-04-29 17:04:22 | スポーツ・文芸



4月24日のロッテ対オリックス戦で、ロッテ・佐々木朗希投手(20)が審判のボール判定に不服そうな態度をとり、これに対して白井一行球審がマウンドへ歩み寄るというシーンがあったと伝えられている。
捕手松川が白井を制するように間に入ったのはファインプレーであったとかをはじめ審判を支持する意見、佐々木に肩を持つ意見など思いのほか多数寄せられて盛り上がっているようである。

さて佐々木投手が白井主審に不満を抱いた行為は俳句で何かと考えてみた。
結社へ入って俳句をやっている人であれば、主宰の採る、採らないに即むすびつくと思う。
鷹では鷹主宰が取捨のすべてを行っている。いつかよその人から鷹は誰が予選しているのですかと訊かれてことがあるが、鷹1200人の7000句以上の取捨を一人の主宰がさばいている。思えばえらい重労働であり頭が下がる。
しかし、門弟はどうしてこの句が落とされたのか、なぜ6句出して4句も落とされるのかと思っている人はすくないないと思う。
藤田湘子が主宰のとき自分は若かった。落とされたことが悔しいことが再三あった。しかしなぜこの句を落としたのですかと面と向かって聞くことはできなかった。それをしたら破門されてもしようがないという意識があったし、それをしたらあまりにみじめであるし美しくないとも思った。恥ずかしくてそれだけはできなかった。
いつだったか落とされて句に未練があって翌月同じ句を投句したことがあった。思えば恥ずかしいことだがやってしまった。その句を湘子は採ってくれてうれしかった。あのとき湘子は白井主審のようにおもしろくない思いをしたかもしれない。よくない押しつけだと思い以後二度としなかった。
小川軽舟の時代になって、一緒に俳句をしている仲間が中央例会で採られた句を鷹に出したら落とされたということをぼくに言ってきたことがあった。その件はぼくが仲立ちして主宰の真意を尋ねたことがある。尋ねる前に主宰の胸中を忖度した。
つまり提出された6句の中で小句会で○をつけた句よりいい句があったのではないかと。つまり85点の○と70点の○。さらに採っていい○の数が多かった、成績がよかった。ならば後者を落として絞ることはわかる。主宰はまさにそのように説明してくれた。

俳句はストライクもボールも畢竟好みによる。したがって採る採らないといっても喧嘩にならない。一方野球はストライク、ボールは好みではない。ボールがベース盤をよぎるか否か、高すぎず低すぎず、である。機械を導入して解決できる種類のことである。したがって不服の生じるきっかけばかり転がっている。
白井球審は佐々木投手に退場宣告してもよかったがそれをするとどのくらい反論が来るか怖かったであろう。なにせ20歳の完全試合達成投手である。球界の宝である。球界全体を15年背負っているといっていい存在である。ここに佐々木投手の存在の凄みがあるのは間違いない。
むかし王、長嶋ボールというのがあったと聞くがこれからは佐々木ストライクが出来するかもしれない予感さえする。

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