森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

吉田拓郎の歌と想い出

2015-11-16 13:46:25 | メモリーズ

11月11日はブログ生活3600日目でポッキーの日の日でした。

その日何気にポッキーを買っておけば良かったと悔やんだ私。

「今日はポッキーの日だから、おやつ付きです。」と家に来た子供にあげたら喜んだと思ったからです。そう言うミニイベントが結構好きなのです。

ブログ生活が3650日になると、このブログも10年の節目を迎えます。

家の中もあまり片付いてないように思いますが、ブログ内の整理整頓も出来ていないように思うので、それに向けて整理&まとめなどをしていきたいと思います。

 

吉田拓郎氏に関連するブログ記事を拾って目次にした「目次:吉田拓郎の歌と想い出」は→こちらです。

 

このブログを始めた時の書きたいことの一つに、いかに彼の歌が好きなのかどんな所が好きなのかと、彼の歌の感じた事を気持ちのまま書きたいと思っていました。でもこのブログはテーマを絞っていない何でもありのブログなので、結局この10年でそれらしきものを書いたのは、「自殺の詩」についてだけだったと思います。〈リンクさせました。〉

吉田拓郎と私の原点である曲は出会いでもある「夏休み」かも知れませんが、この「自殺の詩」が私にとっては非常に意味のある曲だったのです。

拓郎が〈この先は敬称略で書かせていただきます。〉高校二年の時に作ったと言うこの曲は、かなりの傑作だと思います。傑作ゆえに、今心が本当に弱っている人には決してお勧めできません。

誰もがこの曲に向かってファイティングポーズをとって戦いに挑むような気持ちになるとは限らないからです。

と言っても、もともとファイティングポーズをとるような歌なんかではないのですが、人生の初めての挫折に心が弱り少々病みかけていた15歳の頃、私は本当にこの歌が怖かったのです。

負けるもんか、いつか大きな声でこの歌を歌ってやると思えたのは、私と言う人生は一度だけだと生に執着していた私だったからかもしれません。私はこの歌に挑むことで病みかけていた心を復活させていきました。

そして加えて言うと、10代の頃の私にはこの歌の真意が良く分かっていなかったのだと思います。

>nagarerukumoni  tutumareru  zibunnwomimasita

時に、人は他者の目を持って自分を見る事はとっても大切な事だと思います。

 

2010年に「吉田拓郎、大展覧会」と言うのがあって出かけて行きましたが、そこに好きな曲アンケートのようなものがあって3曲まで書けるようになっていました。お世話になったので、その「自殺の詩」を書こうとしましたが、リストにはありませんでした。

ああ、残念と思いましたが、すこぶる分かるような気もしたのでした。

 

2006年にブログを始めその年の9月に「つま恋」がありました。すこぶる熱い記事になっています。私が旅行記でもお芝居のレビューでも、長めで思わず熱くなって書くのはこの頃からの習慣なのかも知れませんね。

2007年にイギリスに行って、その飛行機の中で、「次は拓ちゃんのライブだな。」とワクワクしながら帰って来たのに、留守をしていた間に病気でライブは中止になってしまいました。すこぶるがっかりしましたが、その時戻って来たお金で買ったTシャツを、私は今年の夏もちゃんと着ました。

だけれど本当に悲しいのは、その後のコンサートのチケットが一気に入手困難になってしまった事です。

 

それまでは行こうと思ったら、何とか行く事も出来たと思うのに、もう宝くじレベルです。

いろいろな事が充実していた私の2009年。でもその時の拓郎ライブのチケットも撃沈で、姉がヤフオクで5万だと言いました。私は心の中で物凄く腹を立て、かねてから行きたかった名古屋に旅行してきました。その時かかった費用が約5万。姉はそれでも行きたかったのだと思います。でももうお金は使ってしまったので諦めもつくと言うものです。

時々物の価値をオークションの金額で測る人がいますが〈テレビの中の人とか〉、ライブの価値はそんなものでは測れませんよ。私は絶対にそう思います。チケット代を異常に吊り上げるのは便乗で儲けようとしているダフ屋に他ならず、敵です!!

その年のライブでは恐ろしい事が起きました。ライブ中の事件とかではありません。拓郎氏が体調を崩し、途中でライブ自体が中止になってしまったのです。

最初から買う気などさらさらなかった私ですが、もしもあの時5万と言うお金を出してチケットを入手していたら、いったいどうなった訳?

ネットダフ屋さんからお金は戻って来たと言うのでしょうか。

拓郎氏の体調も心配でしたが、同時に中止になってしまってチケットを持っていながら行けなかった人たちの事を思うと胸が痛かったです。

 

そしてなんだかんだと言って「つま恋」からずっと彼のライブには行く事が出来なかった私は、本当にありがたいお心によってチケットを譲っていただき2014年の7月、念願叶って8年ぶりにライブに行く事が出来たのでした。

「つま恋」以前、つまりブログを始める以前にも、彼のライブには何回か行きました。時には満足できない時もあったのです。だけれど行きたいのに行けないと言うその想いは、彼の曲を心の底から聞くことが出来る耳と楽しむ心を私に与えてくれました。

その年の8月、またも私は病気。

入院レベルですと言われながら10日間点滴を受けに病院に通いました。ちょうど自分で申込んで外れたライブが行われていた頃です。もしも私のチケット申し込みが当選していたら、私はそのライブにはいけなかったと思います。

何か不思議さを感じた2014年のライブだったのです。

 

 そして2015年・・・・

あれっ?

今年の彼は何してた?

ラジオとか聞き逃してた、私?

わかりませーん !!

 

とりあえずここでは謎の発言を→ここ

唐突に消去されるらしいのでお気をつけて。

 

今日まで彼が好きでした。

そして明日からも彼が好きです。

 

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十月桜と共に

2015-11-15 14:08:30 | メモリーズ
 
十月桜ですよ。
 父からの贈り物父は本当は11月13日の自分の誕生日に死にたかった。世の中ままならぬことは多いが、病気などの自然死においては死ぬ日の予定日ほどままならぬも...
 

 

〈続けての投稿なので、ひとつ前の写真日記もよろしくお願いいたします。〉

上の囲みは昨年の11月14日の記事です。そこに行くと、また昨年の記事にたどり着くと言うツリーになっています。

 

ブログを開いた2006年の9月、公園に散歩に行った私は秋に咲くその花を見つけたのです。

最初は狂い咲きかと思いました。でもこのお花は春と秋の二回開花する「十月桜」だったのでした。

それからほぼ毎年、この十月桜を見続けてきました。

 

ブログの功罪と言う事を考えるとしたら、「功」の部分にあたるのが、自分自身のアンテナの感度が上がった事じゃないかと思います。また「ふーん」「へえ」で流されてしまう日常の出来事を、ちょっとだけ丁寧に見る・考える習慣がついていったのも、それにあたるのだと思います。

「罪」に当たる部分も確かに私の場合はあります。でもそれを打ち消す「功」の部分は、私にはかなり多くの比率をしめていて、この先も止められそうもありません。

この記事はブログ生活10年になる事を意識して書いているメモリーズの記事なので、過去記事を一応リンクしました。

いつも見に行くのは夕方や曇りの日が多く、画像は皆イマイチ。

いえいえ、そうではありませんでした。お天気や時間のせいじゃなくて、私の腕が悪いのですね。

リンクはしましたが、本当に書きたかったことは下の方にあるので、お時間がありましたら最後までお読み下さったら嬉しく思います。

 

十月桜  2006年9月に書いたこの記事は、携帯から投稿したもの。この頃の私の携帯の画像はこんな程度でした。

10月桜その後と事故

2006年の10月に、その後の桜を見に行った画像を載せていますが、内容は友達の車に乗っていて追突されたと言うもの。その中で「警察を呼んでちゃんとしよう。」と私が言ったのは、かつて私に起きた事の反省から来ています。

十月桜

2009年10月。寂し気な画像を撮ったその年の私は仕事は過渡期。でも地域役員の仕事もやりつつ、かなりお気楽にお芝居を見に行ったり映画を見たりとすこぶる幸せな時代で公私ともに充実していた年でした。

10月だと言うのに

2010年10月の最後の日々。忙しいとバタバタしながらも、この花を見に行きブログを書いている私。何かを間違えてないかと思いつつ、脳内整理をブログでしているんだなと分かります。

10月桜の今頃は

2010年11月11日に別ブログ「梢は歌う」の方にアップしたもの。「梢は歌う」は本来の日記ブログの役目を終えて、その頃はツイッターの置場所、題詠ブログの場所としてそれなりに使いこなしていた頃。

月と桜

2011年11月14日にアップしたもの。どうも11月14日は私にとっては「十月桜day」なのかも。この年に入院した私は、この画像を撮ってる時は、体調が復活していなくて、それとは関係ないのに写真はみんなピンボケです。それでなのかそこでもここと同じように過去記事リンクをしています。記事のない2008年のしょぼい携帯画像まで探して載せているのは、体調が悪かったので、今までの事をまとめたいような気持ちになっていたのかもしれません。

束の間の過ぎた日を想って

2012年はないなあと思っていたら、この年の12月にアップしたところに小っちゃく載せてありました。「十月桜」は長々と咲くのです。

2007年と2013年は欠番です。

2007年はちょうど10月ハロウィーンの頃イギリス旅行に行き、その後も川越に遊びに行って、ブログを書いて楽しみ、残りの日々は熱心に仕事をしていました。とても公園に散歩に行く余裕はなかったのですね。

2013年は父が亡くなった年。この年の秋はツリーの記事に繋がるのですが、父のお墓参りに行ったり、またそんな中でも大阪に旅行に出掛けたりで、やはりその公園には足を向けなかったのかもしれません。きっとその年は「十月桜」の存在を忘れていたのに違いありません。

 

それで2014年には、ほぼ忘れかけていたのに思い出し、暗くなる直前にその公園に出掛けたのでした。それが上の囲みの記事なのですが、私はその時のその記事が大好きなんです。

 

今年の11月13日に父の誕生日だからと墓参りに行き姉妹たちで集い合った私たち。それを聞いたルート君が不思議そうな顔をして言いました。

「死者の誕生日の時にも、そう言うことをするものなのかい。」と。

「うーん。普通はやらないんじゃないかしら。うちらだからだよ。」

囲みの昨年の記事「十月桜ですよ。」とそれに続く「赤羽、気をつけて。」その2

に、なぜ11月13日に集まるようになったのかといういきさつが書いてあるのです。

 

物事は絡み合い単体では存在しないと言うお話です。

「十月桜ですよ。」と「赤羽・・・」の記事を読んでも、ピンと来ないと思うのでその絡み合いっぷりを箇条書きに書きますと

 

☆20年近く親交のなかった人の家に、亡くなった旦那さんに線香をあげに行く。その時寒くなって来たから、こんな時にお好み焼きは美味しそうだなと思いながらお店の前を過ぎる。

☆その人と、一緒にその家に行ってくれた友人と3人でランチの約束をする。→それでそのお店を提案。〈この時のメンバーでバンクーバーも日光も行く事になったのです。〉

☆そこのお店が美味しかったから、他の友達を誘ってまた行く事にした私。

☆同時にピグで知り合った人たちとのオフ会企画進行。

☆11月13日、父の誕生日だった事はすっかり忘れて十月桜を見に行き父の事を思い出していた私。

☆14日の朝、操作を間違えて父の伝言の声を聞いてちょっと怖くなる。友人たちとそのお好み屋さんでランチ。「赤羽に行くんだ。」と言うと友人が「赤羽、気を付けて。」と謎の言葉を言い、暗示のような気がして頭が痛くなってしまう。

☆あまりにも頭が痛かったので、もしもの時を考えてオフ会メンバーに連絡を取る方法をちゃんとしようとマメじゃないメールを開ける。そこでgooからの昨年の記事を読んで父の誕生日を思い出す。

☆父の誕生日を思い出した途端に頭痛が治る・・・・・。

 

きっと何か言いたいことがあるんだって、そう思うのも無理がない展開でしょう。

それで考えて生まれた姉妹と母の「家族の日」だったのです。〈その考えに至った理由は「赤羽・・」の記事の下の方に〉

 

2006年からブログを始めて、ほぼ毎年同じ木の「十月桜」を見続けてきました。

父とその花とは何ら関係はないのに、2014年にその花を見て父を思い出したことで、やはり今年もその花を見たら父の事を思い出してしまった私なのでした。

 

今年の記事は 2015年の十月桜

 

 

 

「見たよ」と言う軽いお気持ちで押していただけると、励みになります。いつもありがとう。

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2015年の十月桜

2015-11-15 14:00:04 | お散歩&写真日記

 結構長く咲く「十月桜」ですが、今年は意外と早くに見に行っていました。10月20日の画像です。

 

 

なんて言うか、私の知っている「十月桜」の木はこんもりと咲かない。だから寂しげにも感じるし上手く綺麗な絵にならないのだと思うのです。

蜘蛛の巣のような花っていう感じがしてしまうんです。

あっ、本当に蜘蛛の巣が・・・・。

 

 

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続けて「十月桜」の記事をアップする予定です。良かったら読んでくださいね。

 

 

 


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サザエさん一家の墓参り

2015-11-14 01:51:28 | 家族スナップ

叔父上殿は昔から母をサザエさんのような人と呼ぶ。

そしてさしずめ自分はカツオだなとも言う。

 

今日は2013年に亡くなった父の誕生日でした。

それで母と姉妹と叔父夫婦とで墓参りに行ったのでした。

ふと、

「ああ、今日は13日の金曜日だな。」と思いましたがクリスチャンではないので、何ら関係もないことです。

 

墓参りの後、みんなで「龍泉寺の湯」と言う街中温泉に行きました。

父は生前から、墓参りの後はみんなで近くにある動物園に行ったり、そのような街中温泉に行って楽しむがいいよと言っていたので、その父の言葉通りの行動です。

 

「龍泉寺の湯」でのお食事時には、叔父夫婦も一緒でしたので昔話に花が咲きます。小さな頃から私たち姉妹を可愛がってくれたこの叔父夫婦が、私は大好きなのです。

 

「私はね、姉ちゃんにはどうしても甘えちゃうんですよ。」と彼は言いました。

「弟がばあちゃん〈叔父の母の事〉にべったりだったものだから、私は姉ちゃんにべったりで・・・・・・・・非常に密度の濃い子供時代だったから、どうしても・・・・今でも会うと甘えちゃうんですよ。」

それを聞いて、私は母から聞いた疎開時代の話の事を思い出していました。

疎開先で母屋で食べていたトウモロコシを外孫の母たちにはくれなかった意地悪なお婆さん。僕も食べたいよと母にすがったのは、この叔父さんだったのです。→「家族の歴史を語り合おう

 

その叔父さんが、ある話をしました。

妹が

「その話、聞くたびに笑っちゃうわ。」と言いました。

「私も、話すたびに面白く感じますよ。」

 

 

母も叔父もみんなすごく若かった昔。

父と叔父とその友人とで、母の庭の片づけをした後の昼食時に

「Mさん、おかわりはいかがですか。」と母が言う。

皆若い頃なので、二杯目のおかわりの後で、更に母はそう言ったのでした。

Mさんが「それでは、後ちょっとだけ」と茶わんを差し出すと、母はお櫃の底をがりがりと音を立ててご飯をよそったと言う話。

父が見かねて、「もうないのではないか。」と言ったり、そのMさんも「あっ、いや、お腹はいっぱいでした。」と言ったりと話は膨らんだりもしましたが、私も何回か聞いたことのあるお話でした。

でもこの話を、子供の時に聞いても、私はあまり面白くは感じなかったのです。

ある時は、母の行動が恥ずかしく感じたりしたのかもしれません。でももっと大きくなった時には、母のそんな性格が分かっていたからだと思います。

母は無いものだって人に分け与えようとする人なのでした。

「施す人」と言えば聞こえも良いのですが、身近で見ていた時には、時には苛立つこともありました。

「少年H」と言うお話の中に登場するH少年の母に、わが母はほんのわずかな部分ですが被る所があるなと、私は思っているのです。

 

でも今日、何度か聞いたその話を聞いた時、私は思わず笑ってしまいました。

なぜなら、その話がサザエさんの四コマ漫画で脳内変換されたからです。

― お上品な顔をして「おかわりはいかがですか。」と言うサザエさん。

― 「じゃあ少しだけ。」とお茶碗を差し出すMさん。

― お櫃をがりがりと力いっぱい削ってるサザエさん

― びっくり驚き飛び上がってるマスオさんとカツオ君とMさん。

 

確かに可笑しい。

でもなぜサザエさんに脳内変換されたのかと言うと、シーンを墓参りの所に巻き戻します。

 

先に着いた叔父夫婦がお墓のお掃除を終わらせてくれていたので、みんなでお線香をあげながら一人一人が手を合わせた後、みんなでお題目を三回唱えて終わる事にしました。

その後、お墓に備えたお供物の羊羹をそこで切り分けて頂くと言うのが、母の考えたプランだったようです。

姉がその羊羹の包み紙をピリピリと破きかけた時に、ふと私は母がいつものようにバッグに父の写真を忍ばせている事を思い出し、「写真、せっかくだから今だけ出そうよ。」と言いました。

私的には、今ここで、みんなで羊羹などを頂いてワイワイとしばしの間するのに、父にもその円陣の中に居てもらいたいと思ったからだったのですが、みんなはせっかく持ってきた写真を出し忘れたと言う気持ちになったようです。

もう一回父の写真の前でお題目をあげる事にしました。

慌てて羊羹を、そのまま元に戻す姉。

包み紙はピリピリと切れたまんま。

戻したのは姉なんですよ。

でも、すかさず叔父さんの

「まったく、姉ちゃんちはサザエさん。」と言う小さな呟きが間髪入れずに聞こえて来て、私は「な」と言った後、おかしくって続きも言えずにくすくすと笑っていました。

「花ちゃん、不謹慎だったぞ。叱られるぞ、お父さんに。」と叔父さんが言いました。

「ううん。お父さんはきっと一緒に『まったく~』って笑ってるよ。」と私が言うと

「ああ、本当だ。かずさんは良い顔をして笑ってる。」と叔父さんは写真の中の父を見て言いました。

私にも、父はいつも以上に笑っているように感じたのです。

 

「龍泉寺の湯」は岩盤浴も種類がたくさんあって、なかなか楽しい所でした。お風呂も炭酸の湯と電気の湯はかなり気持ちが良かったです。また横浜に行った折には頻繁に行きたいと思いました。

楽しい時間はあっという間に終わりです。

母が

「さあ、帰ろうか~。帰ろうね~。」と言いました。

それは子供たちを諭すようなずっと昔から変わらない言い方でした。 

私はなんだか切なくなり、「うん、帰ろうね。」と短く答え、そしてみんなそれぞれの家に帰ったのでした。

 

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街を歩けば その3

2015-11-13 00:00:12 | お散歩&写真日記

我が街も美しい秋色に染まってきました。

場所によっては既にピークが過ぎてしまったところもあって、ああ、私は今年もちゃんと季節を楽しんだのかなと、自らに問うているところです。

 

10月の21日には

 

こんな感じだった木も

 

昨日は

こんな感じでした。

 

別の通りの街路樹では美しさの盛りを過ぎた木々が

でも私には、緑・黄色・茶色と色が織りなす点描の世界は、やはり美しいと感じるのでした。

 

そう言えば、こんなシーンを見かけると、やっぱり今年もあとわずかなんだなとしみじみとしてしまいます。

 

 

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街を歩けば その2

2015-11-12 14:42:55 | お散歩&写真日記

【畑を守る、おじさんとおばさん】

 

 

雨も日も風の日も守ってる。

別名

カカシと言うらしい。

 

 

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はやばやと炬燵は出したものの、猫の寝床になっているだけ。

衣替えはようやく今日になって着手。

夏物は長年の整理が上手くいっていて簡単だったのですが、

冬物はやっぱりまだまだ大変です。

今、その途中。

もう少し頑張ります。

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街を歩けば その1

2015-11-12 12:15:25 | お散歩&写真日記

何でもありのブログなどをやっていると、本当は一日に数回更新したい時もあるのですよ。

 

※       ※        ※

 

何にもないような一日でも、実は多くの発見や驚くようなことがたくさんあるじゃないですか。

もちろんそれはささやかな事。

でもささやかな事が良いんですよね。

砂浜の多くの砂粒の中からきらきら光る貝の欠片を見つけたような、そんな気持ちにもさせてくれるってものじゃないですか。

 

 

昨日は病院に検査結果を聞きに行きました。

ご心配をおかけしました。

結果はセーフ。

カテーテルなどをする心配はなくなりました。

その顛末記はいずれまた。

 

とにかくワタクシ、少々歩くことを心がけようと思いました。

病院までの往復で4500歩。目標は6000歩と低めですがそれでも足りないので、家に帰って来てからまた郵便局に歩いていきました。

その道すがら、小さな公園の上空から二羽の鳥の鳴き合う甲高い声が聞こえてきました。

求愛のさえずりかと思いました。

鳥の事は全く知りません。こんな季節になってからもお相手を探している鳥は要るのでしょうか。

それとも二羽で単なるうわさ話をしているのでしょうか。

 

すっかり葉を落とした桜の木の梢を見上げると、曇り空を背景にしてそこは色のない世界になっていました。

 

 

 

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家事の合間に連投しようと思います。いつもそう言いながら、二つぐらいで終わってしまうのですが、載せたい画像がたまって来てしまったので画像中心のもので少々頑張りたいように思います。気が向いたらまたお越しくださいませ。

あっ、ついでにお越しの説は、上のブログ村の所をカチリと押していただけると、後での楽しみになりますのでよろしくお願いいたします^^


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ピンシャンと。

2015-11-10 01:53:04 | 梢は歌う(日記)

 

私の毎日は、お仕事をしていない時はフラフラとお出掛けをしているかブログを書いているかまたはピグの畑を収穫していると言ういたって普通の生活です。もちろん掃除とお片付けにも勤しんでいます。

しかしここに近頃病院通いと言うメニューが入って来て、毎日が何気に気ぜわしいのです。

どこに問題があるのかは、今はまだ検査ばっかりしているので語る時ではないと思います。

ただはっきりしているのは、すでにお財布の中が病んでおります。

病院代はお安くはないのです。

 

そして軽いお財布は、豊かな老後は私には無縁になりそうだなと未来までも不安にさせるのに十分な力を持っていたのです。

なんだか暗い顔にもなってきます。

足取りもトボトボと重くなってきます。

 

だけれど人間は本来ポジティブな生き物なのだそうです。

それは、私自身の事を思うと当たっているように思うのです。

 

先日も病院に向かう道、空は高く澄んだ青で街はすっかり秋色に染まっていました。

なんて美しいのだろうと私は思いました。

そしてこの美しさを感じる心を財産にして生きていけないわけがないと思ったのでした。

 

それでも診察が終わって次の検査の予約が入ると、

やはり私はそれにかかる費用の事を考えてしまいました。

だけどその時、ずっと昔に友人が一つの病気を引き金に会社をまとめて休み、ありとあらゆる体の不調の治療をしたことを思い出したのです。

彼女は

「メンテナンスよ。」と言っていました。

―そうか。

私にとって今がそのメンテナンスの時なんだ。

だから私もそう思うことにしました。

そう思うと少しは気持ちが楽になりましたが、ふと、今の私って凄く不細工なんだろうなと気がついたのです。

 

暗い顔、重い足取り、ちょっと猫背。

顔の造作とかは抜かして考えても、美しいわけがありません。

 

―ピンシャンと背筋を伸ばして、とっても豊かな人の顔をして歩こう。

たくさんの美しいものや素敵なものに囲まれて、あらゆるものが溢れるほどあると言うのに、その中のお金がちょっとないだけで何も貧しくなることはないのよね。―

 

 

 

トップのものは、10月に近所の公園に見に行った秋薔薇です。

 

 

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ぼくらが愛した「カーネーション」

2015-11-09 00:47:05 | メモリーズ

今年も残すところ8週間になってしまいました。
この8週間が過ぎて新しい年を迎えると、このブログもとうとう10周年という節目を迎えるわけなのです。

家の中もあまり片付いてないように思いますが、ブログ内の整理整頓も出来ていないように思うので、それに向けて整理&まとめなどをしていきたいと思います。

※         ※        ※

〈テーマが朝ドラに関してだったので、gooの「好きな朝ドラは?」と言うお題に参加しています。〉

 

私のこの10年の間で、朝ドラを見始めたと言うのも変化の一つだと言えるのでしょう。2010年の「ゲゲゲの女房」から見始めたので、5年の歴史。思ったよりも浅いです。

感想は主にツイッターで呟いて、稀に最終回などにまとめ記事を書いていたりしました。

その目次を作りました。それは→こちらです。

毎朝観る朝ドラからは、時には頑張る力を貰ったり、いつまでも心に残るセリフの言葉に励まされてきました。

そしてツイッターでの交流にも本当に楽しいものを感じていました。

目次のメモにも書きましたが、この「カーネーション」と言うドラマは好きすぎてまとめ記事を書くタイミングを逃してしまったのです。

本当は、その前の「てっぱん」と「おひさま」が呟きすぎたので、朝ドラ自体の視聴を止めて朝はもっと違う有意義な事に時間を使おうかと思っていたのでした。

だけれど初回のミュージカルのようなオープニングに心がときめきました。

あの最初の数分間で止めるのを止めたのです。

 

糸子からは毎朝頑張る力と元気を本当に貰いました。そしてドラマの音楽からも。

 

このドラマが終わってから、高文研と言う出版社様から

「ぼくらの愛した『カーネーション』」と言う本を頂きました。

なぜ頂いたのかと言うと、この本の中に、私のツイートが載っているからなのです。

「カーネーション」と言うドラマにはたくさんの心に残るセリフがありました。

そんなセリフやツイッターの反応など、後は想い出のシーンなど、そんなものがギュッと詰まっているこのドラマのファンにはたまらない一冊なんです。

このツイッターのコーナーに私のツイートがほんのちょっと載ったと言うわけなのです。

 

毎朝感動しながら視聴して、毎朝楽しく呟いて、そして本に載せて頂いたと言うわけで、大好きだった「カーネーション」はさらに想い出に残る作品になりました。

 

ぼくらが愛した「カーネーション」
タンブリング・ダイス
高文研

 

私はこの本を2013年のお正月に実家に持っていき、みんなに見せました。

たった数行の言葉でも、普通の暮らしをしている一族にとっては、活字になって本に載ると言う事は珍しい事でみんなでワイワイと盛り上がってくれました。

父が

「花ちゃんは作家さんなんだものね。」と言いました。

花ちゃんと言うのは、ここでの私の事です。ちゃん付けで呼ばれても若くもありません。そして誤解があってはと思うのですが、私は作家ではありません。「家」と付いたら、やはりそれはプロのと言う意味なのだと思います。

でも父が言ったのは、文を綴る人と言う意味なのだと思いました。

だから私は短く「うん」と言ったのか、それとも「いやだわ、そんなんじゃないよ。」と言ったのか、もう今となっては思い出すことも出来ません。

 

ただきゅっと胸が痛くなったことは確かです。

誰にも語らずに勝手にしていた約束を、未だに果たしていない自分に気が付いてしまったから。

心の中で勝手にしていたその約束は、いわば妄想のようなもの。だけれどそれを果たしたら絶対に父は喜んでくれただろうと言う私の夢なのでした。

いつか頑張ろうと思いながら、その「いつか」は未だに自分の中ではやって来てはなかったのでした。

だけれどもう間に合いません。そのお正月は父にとっては最後のものになるだろうと言う予感があったからなのです。

 

その本を興味深げに手に取る父に、それで勘弁してもらおうと私は思いました。

たった数行の、父にとっては私の本。

 

そして手のひらに握りしめた雨粒程度の幸せを、父にあげる事が出来たのではないかと私は信じているのです。

そんな年に送られてきたこの本は、私にとってはちょっと不思議な縁を感じさせる大切な一冊になったのでした。

 

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「相棒」ブログなのか!?

2015-11-07 18:06:44 | メモリーズ

今年も残すところ8週間になってしまいました。

この8週間が過ぎて新しい年を迎えると、このブログもとうとう10周年という節目を迎えるわけなのです。

家の中もあまり片付いてないように思いますが、ブログ内の整理整頓も出来ていないように思うので、それに向けて整理&まとめなどをしていきたいと思います。

 

それの1記事目が「相棒」と言うドラマのお話と言うのは、よほどのファンなのだなと誤解を招くようなものかも知れませんね。

でも「よほど」ではありませんが、「そこそこ」のファンであることには変わりがありません。

かつては「相棒」の映画のエキストラに参加したり、水谷さんのコンサートに行ったりと「よほど」のファンであったと思いますが、この10年の間に山の頂点は過ぎたと言うのが正直な気持ちだと思います。

 

私が「相棒」と言うドラマに嵌って行ったかは「『相棒』のオハナシ」 の中で書かせていただきました。

そしてなぜこの「相棒」と言うドラマの感想だけに拘って書き続けているのかと言う事ですが、かつてはこのドラマは、ドラマブロガーさんたちのほとんどが、いや、ほとんどというか皆無と言っていいほどレビューを書いてくれるところはなかったのです。この事はさりげなく繰り返し述べているかもしれません。

「今期の見る予定のドラマとレビューをする予定のもの。「相棒」はまあ、いいか。」とわざわざ、「まあ、いいか」と書かない宣言までしてあると言う丁寧さ。しかもそれがほとんど。

今でもそうなんじゃないかなと思うのですが、テレ朝ドラマのシリーズ物は、ドラマブロガーさんは手を出さないことが多いのだと思います。

 

でもブログ経験の浅い私は、相手にされていないんだと思ってしまったのでした。

それで自分で書く事にしたのです。

もしかしたら、これって同情が愛に変わったと言うやつと同じ心境でしょうか。

 

最初は一人で寂しく書いていた「相棒」の感想。

でもある時、素敵なサイトを見つけてー。

あの時代は、本当に「相棒」を見る事が楽しくて仕方がありませんでした。そして早く感想を書いて、早くTBを送りたいなとワクワクしたのです。そこには同じ感覚の人がたくさんいたので、そこでの語りあいもとっても楽しいものになりました。

でも・・・・、そんな時代は短くて亀山薫退場と共に終わってしまったのでした。

ふとそんな時代を思い出したら、ちょっと感傷的な気持ちになって涙が出ました。

とっても楽しかったですよ~。

みなさーん、お元気ですか~!?

 

そしてまたポツンと一人・・・・・。

 

いいえ、そんな事はありません。

見えない方々に支えられて、ここまで来ることが出来たのです。

 

物事は、始めた時には予想もつかない方向に行く事があると思います。

 

かなり以前の事ですが、検索で「相棒ブログ」と言う言葉で我が家にやってくる方が多々いらっしゃいました。

思いがけない事でした。

「森の中の一本の木」と言う、このようなタイトルのブログがですよ、「相棒ブログ」の検索で引っかかるなどと思ってもみなかったのでした。

 

あっ、そうだと思って、今グーグルで検索したら・・・・

これって自分のブログはよけるのかしら・・・・って思うくらい出てこないんですけれど !?

 

いやいや、ちょっと冷静になります。

「かなり以前」って書きましたよね。

じゃ、いいかな。

いまだに「相棒」関係で訪問してくださる方が多いのは事実ですし。

 

 

「好きなものを応援する」と言うのがこのブログのスタンス。

ふと始めた「相棒」レビューもほぼ10年です。

 

そしてこのブログのもう一つの基本姿勢が「私はここにいます。」なのです。

だから私は、「相棒」と言うドラマは最終回までお付き合いしようと思っています。〈ブログ自体が存続していたらですが。〉

 

「相棒」と言うドラマが縁で、同じ時間を共有し、私にひと時の幸せをくださった方々へ。

また気まぐれにでも、いつでもお立ち寄りください。

 

私はここにいます。

 

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※ 「相棒」の目次を復活させました。それに伴って場所を移動してしまいました。そこを出入り口にしていた方は迷子になってしまうかもしれませんが、またよろしくお願いいたします。

目次:「相棒」の感想

 

 

 

 

 

 


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