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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ハレムの后妃たち

2019-09-26 00:36:50 | トルコ旅行記

はい !

分かっております。もうタイルの壁は見飽きたと言うのは。

だけど写真を撮りすぎて、余っていたものですからついつい載せっちゃった!

やっぱり綺麗だわ~♡

だけど私もそろそろ飽きてきました。というのは、ハレムの后妃たちの事を、夜な夜な読んでいることにです。飽きたと言いながら、更に嵌って、アレを読みだしたりコレを見出したりしかねない。そう言うのは先送りにして「後の楽しみ」にしたいところです。アレとコレについては、後程書きますね。「読む」「見る」で、すでにハハーンと分かってしまった方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

「トルコ旅行記」番外編です !!

 

トルコの至宝展と5月の東京散歩」の記事は「トルコ至宝展」に行った時のものですが、ハレムについての説明で、そこに集められた女性たちは奴隷狩りで集められたり海賊に拉致されて、やはり奴隷として売られて入って来たものも多かったとあったと思うのですが、その時、私はその事を知っていた事に気が付きました。

そして思い出したのです。

いつ頃だったかは不明ですが、海賊に囚われて奴隷としてハレムに売られながら、ハレムの中でスルタンに愛されて絶大な権力を握って行く少女の物語を。

海賊に拉致。奴隷と売られる良家の少女。しかもハレムに。

かなり衝撃的な物語ではないですか。

最初私はこの少女の事を、「ロクセラーナ」つまりヒュッレムの事ですが、その女性だと思ってしまいました。なぜなら、彼女をモデルにした漫画も存在しているからです。

 

夢の雫、黄金の鳥籠(1) (フラワーコミックスα)
篠原千絵

小学館

夢の雫、黄金の鳥籠 コミック 1-12巻セット
クリエーター情報なし
メーカー情報なし

 

またも篠原千絵さんの作品です。

またもと言うのは、「赤い川のほとりで」で紹介した「天は赤い河のほとり」も彼女の作品だからなのです。もう彼女はトルコのスペシャリストなんですね。

いつか読まねばと本当に思い始めています。

 

ヒュッレムは1502から1504年ごろから1558年の人で、スレイマン1世の皇后です。

彼女はスレイマンに、それまでのハレムの慣習を次々と破らせ奴隷から一夫一妻の妻となり、ハレムの頂点に上り詰めた人なのです。ハレムの慣習と言うのは、男子一人を出産したら、本来ならば二人目を孕む事はなくスルタンから遠ざけられることが普通だったのです。それを彼女は長男を出産した後も傍に居続けて、6人もの子供を儲けました。

そしてライバルたちとの攻防に勝ちそれらを退けて、唯一の妻となったのでした。

400人もの、または多い時には1000人とも言われたハレムの中において、それが如何に熾烈な女の戦であったのか、乏しい想像力でも分かると言うものです。

私は、「壁・天井・窓、トプカプ宮殿のハレム」の中で、共鳴は出来なくても、ある視点に置いてみれば、理に適っている部分もあるし、こういうシステムになって行ったのはそれなりの理由があったのではないかと思ったと書きました。

ある視点と言うのは、もう本当に女性の人権なんかまったくない腹立たしい視点ではありますが、優秀なスルタンの後継と政治と言う視点です。

だいたい日本の大奥もですが、宮中もそして中国の後宮も、正妻などは、皆実家の家柄は大事ですよね。そして外戚はたいがい力を誇って行くのが常の様な気がします。最初からそれを狙って、平安の貴族たちは娘を持つことは非常に大事な事だったと思います。簡単に思いつくところで言えば、藤原道長や平清盛など。

だけどオスマントルコの女性たちのほとんどはもとは奴隷です。

外戚のわずわらしさがありません。

そして家柄を重んじるあまり、血縁に近いもの同士の婚姻などを繰り返す事もないのです。美しくて、そして多くの女性たちの中からのし上がっていくような能力のあるものが、王子の母になって行くわけですから、優秀な遺伝子の確保という事になって行ったと思うのです。

また男子一人の出産というのも、ある時代まで後継者が決まると異母兄弟は処刑されたと言うのですから、同じ母で兄弟であると言うのは非常に厳しいものがあったと思います。結局は次の後継の者の母だけが勝ったと言えるのだと思います。だけどそれも、スルタンの母としてそれなりの扱いを受けるだけ。

あー、やだやだ。それなら庶民の方がよっぽど幸せじゃないと思っても、彼女たちはここに売られたり、献上されたりした人が多く、それゆえそこで生きていくしか選択肢がなかったのでした。

これでは完全なる「腹は借り物」の状態だったのだと思いました。でもだからこそ、このような状態だったら中国の西太后の様な後宮政治にはならないはずでした。

だけれども、歴史にしても人の生きていく道にしても、激流の川が流れていく如く、堰き止めても堰き止めても、溢れた川の水は必ず流れていく道を見つけるが如くですね。スルタンたちが相手にしたのは、綺麗なお人形ではなかったわけですから、ヒュッレムはオスマン帝国の後宮政治(女人天下)の幕を開けたと評されているのです。

(ちょっと、『ざまあみろ』ってな気持ちにもなりますよね。)

 

そしてまた、彼女の物語はトルコ発信のドラマでも見る事が出来るのですね。

「オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜」。世界の約8億人が見たそうですよ。日本でもチャンネル銀河で第四シリーズが始まるそうです。

トルコ版大奥とか言われていますが、それじゃあ、人気があるのも頷けますね。

 

ところがこのヒロイン、あらすじやその他の諸々を読んでみたら、海賊に拉致されてと言うわけではなかったのでした。

私の読んだのは誰がモデルだったのかしら・・・・と検索しても出てきません。

ネットも万能と言うわけでは無いのですね。

もしかしたら漫画ではなかったのかも知れません。

 

それでも怪しいなと思っているのは「エイメ・デュ・ビュク・ド・リヴェリ」。名家の姫君でナポレオンの最初の妻ジョセフィーヌの従妹だった人。こちらはほとんど伝説のようになっているお話ですが、それも本当に面白いです。

または、「海賊に拉致された」と言う点において、「サフィエ・スルタン」だったのでしょうか。

 

どちらの方でも波乱万丈を地で行く人生。だけどちょっと(かなり)怖い人生の終わりでもあるのです。

 

ひとつ歩めば、そこから興味の輪が広がって、また「見たい・知りたい」の欲望の連鎖が起きる事は、むしろ大事な事なのではないでしょうか。

 

いつかまた、関連したドラマや書物(漫画を含めて)などを読む日は来ると、私は思っています。今の時点ではそれは「後の楽しみ」ではありますが、そのフォルダーにそれらを放り込んでいくこと自体も、今の楽しみかもしれません。

 

えっ?

やたら放り込んでどうするのと、おっしゃいますか。

大丈夫です。放り込んで放置ではありません。

今日も・・・・と、昨日でしたね、もう。

昨日も、そのフォルダーから一つ取りだして実践してきました。それは次の次の記事に書く予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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