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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

負けてはいられない その3

2023-06-22 09:46:35 | 梢は歌う(日記)

負けてはいられない

負けてはいられない その2

の、続きで姑の入院&手術の顛末記です。

 

義母が入院前日、夫が言いました。

「歩けないおばあちゃんを一人で移動させるのは大変だった。」と。

だから私も言いました。

「じゃあ、明日は私も頑張って支えるから。」

だけど夫は、「無理 !」と言って、なんとルート君に電話をかけて、仕事を休むように依頼したのです。

(可哀そうに。)と私は内心思いました。

確かに家族の一大事。

でも彼の仕事って、結構大変なのですよ。事実その前日は、お休みをするために仕事をカバーして遅く帰ってきました。

 

リビングから廊下・玄関そして庭を通って車に乗せる・・・そのためだけに彼に休みをお願いしたわけで、そりゃ気の毒と思うじゃないですか。だけど彼がいてくれて本当に本当に助かりました。

確かに膝を壊している私が支えても、支えられる側も大変だったと思います。

女ならではの仕事、男ならではの仕事って、本当にありますよね。

 

でも私は勘違いしていました。

約束の時間に病院に連れて行って、病室に入ったら、とりあえずの役目は終わりで、病院に着いてから1時間ぐらいで帰れるのだと思っていたのです。

トンデモナイ事でした。

順番を待って、まずはコロナの検査でした。そしてその結果が出るのが1時間後。

なるほど~。一日がかりなのね・・・・。

ああ、なんか疲れがふつふつと・・・・

でもそれよりも、ミッションを終えても帰れないルート君の事を気の毒に感じていました。

 

それで私はルート君を誘って、近くにある古い喫茶店に行くことにしました。

「えっ、その店、まだあるの?」と夫殿は驚いていました。

私が彼の住む町に初めて来たときに一緒に入った喫茶店。

結婚したばかりの頃は、二人で時々行っていたお店です。

だけどそんな思い出話は一切出ないで、二人でコーヒーブレイク。

 

大変な一日であっても、ほんの微かな楽しいトピックスはあった方が良いですよね。

 

検査の結果が出て、病室に行ってしまう前には戻ろうと思っていました。

そこは計画通りで、戻ると検査結果も出ていて、それから数分後に看護師さんが迎えに来ました。荷物が多いので夫殿が、一緒について行きました。

入院の時であっても、今も一人しか病室にまで行けないのです。

「ライン送るね。」と言うと、

「楽しみにしているから。」

「お母さん、ファイト。頑張ってね~。」と見送りました。

病室に行っても、もろもろの説明などがあるので、夫殿はちっとも戻ってきませんでした。この後、彼女の家に行き、あれやこれやと片付けようと思っていましたが、ごみの持ち帰りだけして、あとは後日にと言うことになりました。病院って場所は、なんであんなに疲れるものなのかしら。

 

夕食を作って、それからようやくそれどころでなかった自分の旅行の支度をしたのでした。

その時ふと思いました。

ちょっと変な嫌な言い方ですが、

「おばあちゃんが転んだのが昨日で良かった。今日だったら、明日私はいないもの。私担当のあれやこれやは出来なかったものね。不幸中の幸いってこういうことを言うのかもね。」

転んだことに良いなんてことは一つもなく、悪いに決まってます。

でもそんな言い方をしても、夫は何も悪くは取りませんでした。本当にそうだと思ったからだと思います。

 

義母は早朝に転んだので、丸一日の洗濯物を預かってきました。

旅行から帰ったらそれを洗い、彼女の家に行ってキッチンの使った油を捨てて、風を通して、それから病院に行って足りないものを持っていこうと、旅行に行ってもそんなことを考えていました。

ところが手術に立ち会うことになっていた夫殿から、メールがきて

「手術は延期になった。足が痛くて歩けないのがおかしいと、さらに検査をしたら足も折れていた。」と言う内容でした。

吃驚はしたものの、私もいくら高齢と言っても打ち身でこんなになってしまうのかと変だと思っていたので、納得しました。

 

手術自体は簡単なものらしいのですが、なんたって高齢です。全身麻酔を2回やる方が危ないと言われ、一気に腕と足(腰)の手術が翌日行われることに決まりました。

以前、その全身麻酔で血圧が上がりまくり、ちょっと危ない状況になったことがあるのです。

手術が実際に決行される日の前日の夜は、結局私は旅行先のホテルにいることになりました。寝付かれずに、ふと義母の事を思ってしまいました。

何かあったらどうしよう。

ただの手首骨折の手術だと思っていたのに・・・・。

あの人がいなくなったら、寂しいな、私。

そんなことを考えながら、夜は更けていったのでした。

 

だけど手術が終わった日のメール。

「無事に終わったよ。明日からリハビリだって。」

えっ、もう !?

でもホッとしました。

そんなわけで、ふんふんふん♪ と旅行も終えましたが、のしのしのしと重い体をあちらこちらと移動させ、さらに蒸し暑い夏日でしたので、もう私はクタクタです。

 

旅行から帰ってきた翌日、義母から元気はつらつの電話が夫の電話に入りました。

冷蔵庫の中にプリンがあるから持ってきてと言うものと、買って持って行った室内履きがリハビリには合わないので買ってきてと言うもの。

ヨロヨロし乍らミッション遂行しましたが、疲れが抜けず、自分自身の「歳だな~」を実感しました。

 

だけど義母は元気はつらつ。

病院でも元気にやっているようです。

もうあのリハビリのバーを3往復できるようになったそうです。

 

最近、友人の息子君が入院した話、また別の知人の息子君がやっていた喫茶店が閉店していたことを知ったり、そして夫が通っていた病院が行ってみたら閉院していてビックリした話、さらには近しい人のお孫ちゃんが、お風呂で沈んで心肺停止(今はちゃんと元気)になった話など、なんだかマイナス的な話が続けて聞こえてきて、気持ちがざわざわしていました。

義母の転倒事件が起きた時、とうとう我が家にもマイナスの風が吹いてきたと思ってしまいました。

だけど義母は復活中。

友人の息子君は退院し、友達のお孫ちゃんも元気です。喫茶店を閉店してしまった息子君のその後の情報は、ネットで調べても分かりませんでした(最近そのお母さんに会ってないので、それを知ったからと言って連絡しづらい‥)。だけどチャレンジ精神の旺盛なひらめきの子供だったので、また次の何かを始めているのだと信じたいです。

みんな1歩、半歩と前に進んでいますね。

 

入院の時の書類書きの時、

「お母さんは、97歳よね。」と私が言うと、

「一つ増えて98歳よ。」と義母。

「えっ、そうだったの!? いつの間にか !!」

「そうなのよ。いつの間にか、98歳よ。」

 

97歳だって凄いと思うのですが、なんでか、あと2年で100歳になる98と言う数字が、私にはさらに凄いという気持ちを感じさせたのでした。

私はそんなには生きられないと思いますが、すぐに疲れてよろよろしてしまう時、あの人に負けちゃいられないよなと言う気持ちには、少々なります。
「少々」と謙虚に書くところで、すでに負けているような気もしますが、

何か今日、ちょっとだけ頑張らなくちゃいけないことや憂鬱なことがあったら、100歳近いバーさんだって頑張っているんだから、負けちゃダメだろうって思ってみると、ほんの少しだけ気持ちが楽になりますよ。

 

義母は足も折ってしまったので、入院2か月とか言われたように思いますが、なんだかスーパーばあちゃんなので1か月で退院してくるんじゃないかしら。

(この先の事は、みなちょっと考えています。でもそれはまた別のお話。)

 

今日は徐々に雨模様になって来るみたいですね。

それでも雨を楽しめる、良い一日でありますように。

 

トップ画像は17日の帰りの新幹線から見た富士山です。

 

 

コメント
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