治五郎の手紙によって、オリンピックにマラソンが復活したのは、なにげに感動的なエピソードだったと思いました。
だいたい「マラソン」と言う名前の由来からして、感動的な話じゃないですか。だけどそれを思うと、やっぱりマラソン自体は危険な競技と言えるのかも知れません。
因みに、その由来は
「ギリシャの地名「マラトン(Marathon)」を英語読みしたもの。 紀元前490年、ギリシャ軍の兵士が戦場のマラトンからアテネまでの約40kmを走り、勝利を報告した後、絶命したという故事に由来する。」ですね。
その過酷な距離を、走りぬき尚且つ速さを競うには、計算された「何か」が存在しなくてはならないのだと思います。その「何か」を競うがのが競技と言えるのかも知れません。
ちっぽけで小さな島国でしかなかった日本。世界を夢見てはいても、世界を見る事はしなかったのでしょうか。
と、ここまで真夜中に書いて、昼間の暑さがたたり寝てしまいました。
朝、パチリと目が覚めてふと思い出した言葉がありました。月並みな言葉です。クドカンなら、嫌ってあえて使わなかった言葉だと思います。いいえ、思いつきもしなかったと思います。でも私は思い出してしまったので、恥ずかしながら、書かせてもらいます(^_^;)
「井の中の蛙、大海を知らず」
井戸の中で、自分が王様と思い込んでいた蛙も居た事でしょう。
だけど井戸の中から飛び出して世界を見た蛙たちは、多くの事を学びました。
負けから学ぶことは、勝つことによって学ぶことからよりも、実はたくさんあるのではないでしょうか。
スポーツの世界では、駆け出し日本なのですから、学んでも学びきれないほどのものを、選手たちは経験し得たと思うのです。
ところが井戸の中の蛙たちは、そんな自分たちの現状も分からずに、いい成績でなかったことを、ただ攻めるのでした。中には「非国民」だなんて。
あー、モー、情けないったらありゃしない。
いやいや、これはドラマの中の単なるセリフですよって言われそうですが、なんかそう思えない。
思わず過激な事を、私は思ってしまいました。このような国民性ゆえに戦争にも負けたんだって。
いや、あの戦争は負けて良かったと思っているのです。じゃなかったら、日本はまた愚かにも今でもずっと戦争をしていたかもしれませんが、そんな話は別の事です。
ただ小学校の時、学校の先生が
「日本は適性語だと言い、外来語を無理やり日本語に置き換えるなどと言う事をしていたが、アメリカは日本を徹底的に研究したんだよ。」と「菊と刀」の本を教えてくれたのでした。
なぜそのような事を思い出していたのかと言うと、夫がこのドラマを見ていて
「海外視察とか行ってないのかよ。事前研究とかまったくしてないのかよ。」と言ったからなんです。
新しいスポーツを海外から持ってきて紹介し、または国民の体力向上を目指している段階です。そう言う発想がなかったのではないかしら。そう言う事も含めての今後の「何か」だと思いました。
日本国内を走りに走りまくってしまっていた四三。
せっかく5位まで追い上げていたのに、失速します。今では普通に聞く「調整」と言う言葉。なかったわけです、その時代は。
いろいろな失敗を重ねて、日本のスポーツは「今」を迎えたのですね。
今回のドラマの話をあまりしていませんでした。
船上で結婚していたことがバレタのは良かったですね。じゃなかったら、最後にスヤさんの
「夫は金メダルったい !!」が全然生きないですものね。
「誰ーーーーー!?」になっちゃって、収拾がつかないですよ。
他にも、三島弥彦再登場は嬉しかったとか、手紙の中のお母さんへの言葉は一行だとか、田端さんは東大ねとかいろいろ思ったのですが、またも相談なく仕事を止めていた所で、スヤさん以上に我が夫が怒った事が印象深かったのです。
我が君は、この四三のキャラが嫌いなんです。妻をほったらかして好き勝手な事ばっかりやっているからでしょうか。(別に、我が君、私の事を大事にしているとは思えないけれどな。コソッ)
幕末辺りには、そんな男はごっちゃりいて、
「妻よ、家を守りたまえ。じゃ、オレッチはやりたいことあるからさ、行くね。」っていうやつばっかりじゃん。
それが明治以降は許されないらしい・・・・・・。
だけどスヤさんは、四三を大事に想い慕っているのです。
なぜかー。
あっ、閃きました。日本には光り輝く名言があるのですよ。我が君の辞書には、その言葉が削除されているのでしょうか。その名言とは、
「亭主、達者で留守がいい!」
ですね^^
画像は記事には関係がないです。鳩山会館で見た「白秋」。珍しいものだそうです。