2月22日はにゃんにゃんにゃんと「猫の日」だそうだ。しかも平成22年2月22日と2が一杯だ。こりゃ、狙わなくちゃと予約投稿。一秒ずれても悔しいし。
それでなのか知らないけれど、昨夜見た夢は猫の夢。
私は時々彼らの夢を見る。
私が飼っている訳ではないのだが、時々、家の中に数匹入り込んでいると言うもの。だから、名前はまだない。と言うか知らないし、付ける気もない。
それは夢の話でも、本当はちょっと似たようなことが昔あった。
だから夢に見るのかも。
その話はまた今度、と勿体つけてみたりして。
私的には、ネコの日だから、猫の話をしてみたかっただけ。
以下、ダラリンと思い出話などをつらつらと。
パパさん、かなり前から猫を飼いたくて仕方がないみたい。私や子供たちはずっと前から猫が好きで、わんこのココを飼う時も、本当は猫が欲しかったのを、子供の時から犬が大好きだったパパさんの一存で犬のココがやってきたわけ。
そのココの名前だって、ある日家出して帰ってくることが出来なくなってしまった、猫の「ここ」の名前から取ったのだから、あまり縁起の良い名前とはいえなかったかも。
でも15年近く生きてくれたのだから、それはまあいいか。
話を元に戻して、近頃、猫の愛らしさに目覚めたパパさんのPCの壁紙は毎月愛らしいネコさんに変わる。
ワンコのココが若い時なら、母性もあるから大丈夫だったかもしれないが、年がいってから新しい家族が来ると、それだけで悲しくて死んでしまうかもしれないと思って、どんなに猫に心がいっても我慢の私たちだった。
そう言えば、猫の「ここ」はその前のピピが毒を食べて悲惨な死を遂げた後、半年経っても涙が枯れず、違う猫が来たらどうなるのだろうと貰った猫だった。新しい猫の「ここ」のお陰で、不思議な事に涙はぴたりと止まった。
「ここ」は妙に気取った猫だった。
でも頭が良くて、「おいで」が分かる猫。「おいで」と言うと、迷わずまっすぐに私のところにやってきた。でも、マンション暮らしは嫌だと言って、ある日夜風の中を走り去っていった。
疾走で失踪―
こらこら、駄洒落嫌いと言ったばかりじゃなかったっけ?!
探しても見つからなかったが、子供の友達が、以前の家の門の上で毛づくろいしている「ここ」を見つけたと言う。
すぐに行ってみたけれど、やっぱりいなかった。
だけど、「ここ」いなくなっても、私は泣かなかった。
可愛い美人の猫だった。頭の良い猫だった。それだけで、きっとどこかで生きているような、それを信じたいような、そんな気がしていたから。
でも流石に、犬に呼びなれたその名をつけると言われたときには、
「帰ってきたら、どうするのよ。」と嫌な気がした。
「帰ってこないから、付けるんだよ。」とパパさんは言った。
忘れない為にもその名前かと妥協したのだった。
だけど、ワンコのココちゃんももういない。
だからと言って、今は猫を飼う気なんてさらさらない。
昔から好きだから、猫の写真を見たり、ペットショップで猫のケースを覗いたり、里親制度を調べたりするけれど、それは昔からやっていることだからしているだけ。
私はパパさんに言う。
「せめて一年、我慢してあげて。」
「もちろんだよ。」
なんだか私、昔と違うな。
不思議な事に、あんまり寂しくないのかも。
飼っていた動物たちとのちゃんとした別れ方、きっとあるんだ。たぶん、そう。
それはいつの事か分からないけれど、この場所で、新しい家族ですとにやけながら、いつか猫さんの画像なんかを載せる日も来るかもしれない。
なんとなくそう思った、今日の日。
※ ※
小説なんかを抜くと、そんなに猫の記事はないのですが、私が好きな猫の記事は
・・
「僕のお母さんは猫語が分かる」→こちら
「僕のお母さんは猫語が分かるの続き」→此方
それらは、このブログの中でダントツに好きなお話です。
でもこのお話、2007年に書いたのですね。ああ、恐ろしい。光陰矢のごとし。本当ですね。しっかし、このブログも良く続いているなぁと、ちょっと感心してしまいました。