火曜日の夜、「おせん」の感想を書こうかなと思いパソコンの前に座ったのでしたが、どうしてもそんな気持ちになれませんでした。だって、あんな恐ろしいことがあったのに、素通りしてはいけないような気持ちになってしまいました。
何か言いたい、そんな気持ちになったとき、私は気が付きました。少し前に起きた、土浦「荒川沖」の通り魔事件が、私の中では既に風化しつつあったことを。風化などさせている場合ではありませんでした。
(2022/8/13追記 更に風化しているのでその事件、土浦連続殺傷事件の事は「土浦連続殺傷事件」を参考にしてください。この記事は「秋葉原無差別殺傷事件」の時の事を書いていて、加藤被告もこの土浦の事件に影響を受け、この土浦の事件の犯人も秋葉原の被害者の方が数が勝っていることを聞くとうらやましいなどと言ったそうです。なぜかwikiでは犯人kになっています。名前がそんなにあるものではないので、加害者家族を守る為でしょうか。だったら悲惨なその後を迎えた加藤死刑囚の家族はどうなのかって思ってしまいますよね。)
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日曜日、私は一日中出掛けていて、夜7時くらいに家に戻りました。
「ただいま~。」と声をかけると、「お帰り」の声も掛からず
「今日のアキバは、酷かったね。」と言われました。何のことか分かりません。
その時掛かっていたテレビから、そのニュースが流れてきました。何かしら、この映像は・・と思いました。何かのテロで倒れているような人たちの映像が映っていたからでした。7人死亡、通り魔、犯人確保の様子、そんな言葉や映像で何があったのか分かりました。
その時、私は思わず分かっているのに確認してしまいました。
「今日、子供達は家にいたのよね。」
家族スナップの「ブラザー・ビート♪」の中にも書きましたが、我が家の次男は兄から「アキバ先生」とからかわれ、うっかり私も「アキバ博士」と呼んでしまうと言う、秋葉原は彼にとって近所のエリアです。からかっている「おうち大好き人間」の兄も、「ちょっと出かけてくる。」と言う場所は、近所の本屋や電気屋ではなく秋葉原。そういう私も「つくばTX」と言う新しい路線が出来てから、実家の横浜から戻ってくる時、秋葉原まで来ると、「ああ、帰ってきた~。」とホッとした感覚を感じるようになっていました。その街は、私たちにとってそんな街なのですよ。
その日、家にいない自分の子供の携帯に電話を入れた母親は、いっぱいいただろうなと思いました。
その日に私と一緒にいた友人も、事件の事は夕方まで知るよしもないことだと思っていました。でも、実は彼女は知っていました。子供から電話が入ったのです。彼女の子供は秋葉原のコンビニでバイトをしていたのです。
「みんなの所には、バンバン家族から電話が来ているよ。母さんも心配していると思ってさ。」
事件の事は知らなかったので、実は心配はしていなかったわけですが。でも、その子が言うには、お店から一歩外に出ると街は血の匂いが漂っていたそうです。
時計代わりにかけているテレビは、朝かけた番組からずっとチャンネルを変える事はありません。「2っ時チャオ」と言う番組のニュース解説は、とっても分かりやすいので好きなのですが、そこで今回の事件は「ライブ型」だと言っていました。犯人の男が携帯の掲示板に、実況のように自分の行動を逐一書き込んでいたことと、その事件を目撃した人たちが、ブログや掲示板などにその様子をすぐにアップすることを予想して秋葉原を選んだのではないかといっていました。
そうならば、私がこの事件のことを取り上げる事も、犯人の希望の欠片の一部を叶えてしまっている事になるのでしょうか。
彼の「ワイドショー独占」と言う願望が、皮肉にもその通りになってしまっているように。
この犯人に思うことはたくさんあります。何が人生に疲れたなんだ、まだ25歳の癖にとか、思うことはきっと皆様と同じですよ。
ただ先日、いつものように夜ソファで転寝をしていました。その時、ふと目をあけたら犯人の両親が謝罪をしていました。母親は立っていられなくなってしゃがみこんでしまいました。
私は吃驚しました。確かに親と子は切り離しては考える事は出来ないものです。だけど、成人男子の犯罪に親が謝罪のためにカメラの前に立つなんて、しかも、直後で被害に遭われた方の親族の心情の配慮はあるのだろうかとも思ってしまったのです。その謝罪は、マスコミによる近所迷惑を避けるためとか、いろいろ理由はあったようです。
だからなのか父親の話は、転寝している私の耳にはとっても事務的に聞こえてきて、奇妙な違和感を感じました。(真実は知りませんよ。)
その時私はあることを思い出しました。家族を失って気丈に葬式にに臨んでいる人に、友人が声をかけたところ、その方が
「今、俺何が起きているのかわかっていないんだよ。」と答えられたと言うのです。ふわふわと足が地に着かない気持ち。醒めない悪夢の続きを見ているような気持ち・・・・・
街には献花が絶えず、悲しみに溢れています。でも、この悲しみは時が立っていった頃、静かに心の器から溢れだしていくのかもしれません。
「誰かに止めてもらいたかった。」―この言葉一つでも思うことも怒りもいっぱいです。いろいろ考えさせられる事件です。でも、何よりも時がたっても自分の中で風化させてはいけないと、恐ろしいけれどそんな風に思っているのです。
―被害に遭われた方の一刻も早いご回復を願っています。
お亡くなりになられた方のご冥福を心より祈っています。―