人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

心を開いて受け入れる準備が整えば、思いがけない、人生の贈り物が、あなたに与えられます。

2012年09月15日 | お気に入りの言葉

シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日 鈴木秀子著より
心を開いて受け入れる準備が整えば・・・・・・
「弟子の心がととのえば、師があらわれる」
という中国の格言があります。
あなたが心をひらいて受け入れる準備がととのった時、
思いがけない、人生の贈り物が、あなたに与えられます。


神の臨在は恐れをとりのぞく確かな保証。

2012年09月14日 | お気に入りの言葉

荒野の泉 カウマン夫人著より
この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。
詩篇三四・6
 七十歳をこえた老人が、ベッドに身を横たえ、安らかな眠りに陥ろうとしたとき、少年時代のことを思いおこしました。
「お父さん、お父さんはそこにいる?」彼はお父さんの寝ている大きなベッドの方を向いて聞くのが毎晩の習慣でした。
そして「ああ、いるよ」という返事がかえってくると、小さな不安もかげをひそめ、安心して眠りにつくことができました。
 この習慣は少し形がかわりましたが、今も続いており、老人は毎晩床につく前に、天の父なる神に向けて語りかけます。
「神よ、あなたはそこにおいででしょうか?」と。
それはほんとうに単純な信仰です。「今晩、私を守ってください」と祈るようなものです。
そして、信頼する者のたしかな保証が恐れをとりのぞき、平安を満たすのです。
神の臨在は恐れをとりのぞく確かな保証ーー。
祈りは聞かれる。たといそれがーーー。
燃えるような情熱的な訴えであれ、
長年にわたって祈り求めたきた願いであれ
神は耳を傾け、叫びを聞いてくださる。
神は祈りを聞かれる。
だから、恐れないで神を見上げ、賛美しよう。
神のいつくしみ深い愛に支えせられ
神のたしかなみ言葉の約束があるのだから
喜び、楽しみ、信頼しよう。祈りはきかれる。勇気をだそう。
暗い夜が明けるまで、祈りつづけよう。
日の出の輝きにはえる栄光のみ座の前で
神のほまれを賛美するまでーーー。


親が願うものは、ただ「子供の幸福」

2012年09月13日 | お気に入りの言葉

シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
親が願うものは、ただ「子供の幸福」
 親は一生懸命働いて、子供に何か残していきたいと願います。
「何か残す」とはっきりわかり、実感できるのは、「目に見える物」です。
だから、私たちは、遺産=財産と考えてしまいがちです。
  親は何を願って、お金や土地を子供達に残そうとするのでしょうか。
親の願う事は、たった一つ、「子供達の幸福」です。
お金や物としう財産を遺すことを目的にしたら、安らぎはありません。
親が、子供に与えるもの、残すことのできる最高のものは、「心の安らぎと愛」です。
そのために、今日、何をしましょうか。

 


サツマイモの葉に、草抑えを期待したが、まったく効果なし。

2012年09月12日 | 畑仕事

畑仕事は、相変わらず、草刈に追われている。
サツマイモの葉に、草抑えを期待したが、まったく効果なし。
反対に、草に負けてしまって、成長してない。
したがって、貧弱なイモができてしまった。
ナス、ピーマン、オクラは、まずまず。
バジル、青ジソ、赤ジソ、モロヘイヤは豊作。
特にシソは、雑草にも負けないでたくましく成長している。
シソ、ピーマン、ミニトマト、カボチャ、ニラ、ネギ、ジャガイモなどは自家製のものを食べている。
もちろん無農薬野菜である。
最近は、サツマイモの茎、ピーマンの葉なども食べている。


もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる。

2012年09月11日 | お気に入りの言葉

山頂めざして カウマン夫人著より
もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる。
(マルコ九・二三)
信仰とは何か。かつて、私たちの集会で、「必要な助けを受けるためには、どのように主にたよればよいだろうか」
という質問に答えて、ある黒人の女性が与えた信仰の定義ほどすばらしいものはないと思う。
彼女は、彼女特有のしぐさで、質問者を指さし、力強く言った。
「あなたがたは主がそれをなさったことを信じなければなりません。そうすれば、それはなされるのです」。
私たちの多くの者にとって、大きな危険は、次の点にある。
すなわち、私たちは、そうして下さいとお願いしたのち、そうされることを信じない。
そして、「主を助け」続け、他の人々に主を助けさせ、そして、主がどのようにしてそれをしようとされるか、見ようと待っているのである。
信仰は、神の「しかり」に対して「アァメン」を付け加える。
それから、手を引いて、神がご自身のわざを完成されるに任せるのである。
信仰は言う。「あなたの道を主にゆだねる主に信頼せよ、主はそれをなしとげられる」。
Days of Heauen upon Earth

私は単純にみことばを信じ
彼におすがりする。
私は自分の祈りが聞かれたことで
彼を賛美する。
そして、主から私の答えを求める。
私はすがり、
彼は引き受けて成し遂げられる。


私はこれらすべての事を、人生の必須科目として見ることを学んだのです。

2012年09月10日 | お気に入りの言葉

日の出に向かって カウマン夫人著より
見よ、神はその力をもってあがめられる。だれか彼のように教える者があるか。
ヨブ三六22

七十歳に達した後も、外見ばかりでなく心の中に若さを保っていたひとりの人が、その理由を挙げて言いました。
「私は目の前に現れる日々を、いつも期待をもって待ち望んできました。
そして私はそこに私にとって学ぶべき事、楽しむべき事があるのを知っています。
予想だにしない祝福や驚きも試練も、多分悲しみもそこにあるかもしれません。
しかし、私はこれらすべての事を、人生の必須科目として見ることを学んだのです。
私はそれらの問題を避けないばかりか、友だちのように歓迎さえしているのです。
毎日他の人々の生活の中に、幸せを運ぶためのチャンスがやってきます。
私は主に奉仕するために、大なり小なり機会がやってきます。
そして、いつか私は、再臨の主に顔と顔とを合わせる時がやって来るでしょう。
その時私の救い主は、私を天国へ呼んで下さいます。
私はそれがいつなのか離すことができません。
しかし、私は新しい日々を喜びをもって出迎えます。
なぜなら、私はそのようにすることが、いつも何か良い結果をもたらす事を経験によって知っているからです」。
アン・ギルバート・マホン


年齢とは心の状態のことである。

2012年09月09日 | お気に入りの言葉

日の出に向かって カウマン夫人著より
あなたの命は真昼よりも光り輝き、たとい暗くても朝のようになる。ヨブ一一17

年齢とは心の状態のことである
もしあなたが夢を捨ててしまったり
希望を失っていたり
前を見上げようとせず
情熱の炎が消えてしまっているなら
その時、あなたは年老いている

しかし、生活の中から最善のものを受け取り
ユーモアを保ち
たとえどれほどの年月が経過しても
また誕生日が飛ぶように過ぎ去ったとしても
愛を保っているならば
あなたは年老いていない

自然は淡褐色のように死んでいくのではなくて、
秋になっても絢爛とした礼服を着て、
栄光のうちに過ぎ去っていくのです。
秋に落ちる枯葉は、まるで楽しげに旗を振って落ちていくようです。
こうして私たちも、全き平安をもって晩年を迎えることができます。
そして最後の日々を、最も楽しく過ごすことができるのです。


主よ 汝は 変わりたまわず いつまでも

2012年09月08日 | お気に入りの言葉

荒野の泉 カウマン夫人著より
かつてありし喜びはわが生涯より消えさり
わがものたりし宝ももはやわがものならず
この真理はわが飢え渇きたる心を養わん
主よ 汝は 変わりたまわず いつまでも

ゆたかにして自由 祝福ある友情の
喜び新たにする流れも乾くことあらん
太陽を抱擁する大空も雲におおわるることあらん
されど主よ 汝は 変わりたまわず わが心の内にあり

力はうせ去り わが足は弱りて
もはや喜ばしき使命をはたすに能わず
何ゆえ我は溜息しわびしき日をすごすや
されど主よ 汝は 変わりたまわず 更に多くを与え得たもう

生涯を通じて何人かまた何ごとか
われを気落ちせしめん
友も友情も喜びもそれが大きくも小さくも
歌はつねにわがもの 悲しみもわれをそこなわじ
主よ 汝は 変わりたまわず わが心の内にあり
J・ダンソン・スミス


神の優しさの生きたしるしになりなさい。

2012年09月06日 | お気に入りの言葉

マザー・テレサ 日々のことばより
親切で慈しみ深くありなさい。
あなたに会った人はだれでも、
来た時よりももっと気持ちよく、
もっと幸せになって帰るようにしましょう。
神の優しさの生きたしるしになりなさい。
あなたの表情に、あなたの瞳に、あなたのほほえみに、
あなたの温かなあいさつに親切が表れますように。
子どもたちに、貧しい人に、苦しみや孤独を感じているすべての人に
いつも温かいほほえみを向けましょう。
お世話をするだけではなく、あなたの心も与えなさい。


自分自身には全き忍耐をし、お互いの間でも全き忍耐をし、神にも全き忍耐を保ちなさい。

2012年09月06日 | お気に入りの言葉

日の出に向かって カウマン夫人著より
農夫は、地の尊い実りを・・・・・耐え忍で待っている。

 死の床にあったジェームス・カルロス博士は言いました。
「私の願いは、もう一度だけ説教壇に立って『兄弟たちよ!だから忍耐しなさい』と
忍耐について説教したかった。そして私は私の説教に、三つのポイントを持ちたいのです。
すなわち自分自身には全き忍耐をし、お互いの間でも全き忍耐をし、神にも全き忍耐を保ちなさい」と。

  私の魂よ、忍耐強い観客でありなさい。
ドラマが終わる前に、ドラマのことをとやかくいってはいけません。
ドラマの筋には、たくさんの変わった場面があります。
毎日が新しい場面をもたらします。その最後の場面が、そのドラマのクラスマックスになるのです。
私たちは自分自身に対しては、多くの忍耐をします。
それなのになぜ私たちは、その忍耐の幾分かでも借りてきて、それを他人のために使わないのでしょうか?


この世で起こるすべてのことには意味がある。

2012年09月05日 | お気に入りの言葉

シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
 起こることはすべて必然
 いろいろな思いがけない体験をして、神の働きに気づくようになってから、
この世で起こるすべてのことには意味があると考えるようになりました。
 すべて必然として起こっていて、かつては偶然と片付けていた出来事も、
ほんとうは起こるべくして起きていたのです。
 そして、私たちの身の回りに起こる出来事に意味を見出していくことが、
一人ひとりが幸せな方向に向かって生きていくために必要なのではないか、
という思いが強くなりました。


創造のおどろくような栄光は一本のバラにも現れているのです。

2012年09月04日 | お気に入りの言葉

荒野の泉 カウマン夫人著より
キリストがすべてであり、すべてのうちにいますのである。
コロサイ三・11
イエスはわたしの手をとって
赤いバラの木のもとにみちびかれた。
かれはなにも言わずに
一本のバラをわたしにくださった。
「なぜバラをくださったのですか?」と
わたしは祈らなかった
バラの花はそれだけで
天国をかんばしくするのに
十分であり、
イエスのみ顔を見るだけで十分であった。

無数のバラがあるので、そのすばらしさのために神に感謝するのではありません。
創造のおどろくような栄光は一本のバラにも現れているのです。
神は無学で教養のない者にも美しさを感じ、魂に感動を与える芸術、科学、文学というものを与えておられます。
そればかりか、それらのものが人生の苦境に際し、信仰と共に、大きな助けになるのです。

単なる幸福な時間
生き甲斐のある時間というものはない。
幸福は神の賜物にほかならない。
この真理は固く、動かない。
すべてのものはイエスに宿っている。
かれはひとりひとりを喜ばせられる。
わたしたちの有限の測りを
はるかに越える幸福を与えてくださる。
わたしの渇きが、大胆にも、
天の甘いしずくを口にふくませる
とても小さな花にも
主の完全さひめられている。
A・W・A


人生にはいろいろなことがありますが、それは愛を学ぶチャンスです。

2012年09月03日 | お気に入りの言葉

 荒野の泉 カウマン夫人著より
神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互いに愛し合うべきである。
Ⅰヨハネ 四・11
真のクリスチャン生活での一番大事なことは、愛することを学ぶことでしょう。
「荒野の死」という本の中でブラウニング氏は、今死んでいく聖ヨハネの口に次のようなことを言わせてます。
年老いた友は信じているーーー
人生には喜びや悲しみ
希望や恐れがあると
しかしそれは
愛を実践し、報いうけるチャンスーー。
愛はどんな姿をしているか
どんなにこの世からねたまれても
神の下さる報いを固く信じ
その愛を実践しよう。

人生にはいろいろなことがありますが、それは愛を学ぶチャンスです。
「あなたは愛せよ」、「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」
という教訓が私たちの前におかれています。私たちがなすべき一つのことは、この教訓をマスターすることです。
私たちは金持ちになったり、権力を握ったり、芸術や科学の分野で物知りになったり、大事業を起こしたり、
何らかの道で大きなことをするためにこの世にいるのではありません。
私たちはただ日常の仕事をして、店や学校や家や農場で暮らしていくためにここにいるのでも、
福音を述べ伝え、悲しめるものを慰め、病めるものを訪ね、愛のわざをするためにここにいるのではありません。
これらはすべて、あるいはそのいくつかは私たちのつとめかも知れないし、私たちを多忙にさせるかも知れません。
しかし人生の本当の意味はと聞かれるならば、この世の仕事についても、
つねに努力しつつ、やりつづけなければならない人生の本当の仕事は、
愛することであり、性格や品性の中で愛を成長させることです。
 私たちは人生のすばらしい芸術ー音楽、絵画、彫刻、詩ーにも通じることができ、
また、最新の科学をマスターすることもできましょう。
読書や研究や旅行や洗練された人と話すことによって、最もよい文化に到達するかも知れません。
しかし、これらの中で、もし私たちが愛を学ばなかったり
、また心や行いにおいて、もっとやさしくならなければ、人生のほうびを失うことになってしまいます。
もし、私たちのすべての義務、心配、試み、喜び、悲しみの中で
愛のしたわしさ、やさしさ、無私の心、思慮深さなどが、毎日毎日成長しないならば、
この人生の学校で、主によって示された愛という偉大な教訓を学んだことにはなりません。
J・R・ミラー


イエスはくびきを負う本当の友です。

2012年09月02日 | お気に入りの言葉

荒野の泉 カウマン夫人著より
彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、......十字架を忍び....。
ヘブル十二・2

「軍人は、他人の武器では十分に戦えないものです」
自分の十字架を負うということは、これが正しい道だと思われることを行き、
あなたに負わされるものは何でも負うことです。
そして、決して顔をしかめないで、だれかに良く思われようともせず、与えられたものを勇敢に負うことです。
自分自身の重荷を、自分自身の都合で持ったり持たなかったりしないことです。
ある人は、十字架は大きいほうが良いと思ったり、小さい十字架なら、早く背負っていけると考えたりします。
いずれにしても、ただそう思う人たちの十字架は、かざりものの十字架にすぎないのです。
しかし、あなたが本当にしなければならないことは、できるだけあなたの背中を真っ直ぐにし、
背中に何があるかあまり考えないことです。とりわけ背中にあるものを自慢しないことです。
ジョン・ラスキン

重いのはイエスの十字架ではありません。
私たちの旅で、邪魔するのは
私たちの痛む肩におかれている
私たちの過去の行為なのです。
神は私たちに荷を負う力を下さいます。
神が与えられるイバラには香りがあります。
そして必要ない重荷はなにもなく
利己的なむ目的のために与えられているものもありません。
イエスのくびきは負いやすく
イエスの荷は軽いのです。
イエスは苦しみをともにするでしょう。
イエスはくびきを負う本当の友です。
私たちは疲れて、重荷をもっているでしょうか。
心配で、苦労がいっぱいでしょうか。
それはイエスが与える十字架ではなく
私たちが作って、自分で負う十字架です。


そしてそれは最善のものであり、また一番軽いものであった。

2012年09月01日 | お気に入りの言葉

荒野の泉 カウマン夫人著より
『イエスはみずから十字架を背負って、されこうべという場所に出て行かれた』
ヨハ十九ノ十七
「とりかえた十字架」という詩がある。
これは彼女の十字架が、その周囲の人たちのそれより確かに重いと考えていた、一人の婦人を表したもので、
彼女は自分の十字架の代わりに他の十字架を選びたいと考えていた。
彼女は眠った。その夢の中で沢山の十字架がおかれているある場所に導かれた。
その十字架はさまざまな形と、大きさとをもっていた。
そこに見るからにうるわしい、小さな十字架があった。
それには宝石と黄金とがはまっていた。「ああ、これならば喜んで負える」と彼女は言った。
彼女はこれを取りあげたが、彼女の弱い身体はその下によろめいた。それは彼女にはあまりにも重たかった。
つぎに彼女は周囲に彫刻があってそれにうるわしい花をちりばめた愛らしい十字架を見た。
たしかにこれは自分のだと思った。彼女はこれを取り上げたが、花の下にはとげがあって、それが彼女の身体を傷つけた。
とうとう彼女は一本のそまつな十字架の所に来た。宝石もなく彫刻もなく、ただその上にわずかばかりの愛の言葉が記してあった。
彼女はこれを取りあげたが、それはどれよりも軽いもので、負うのに一番たやすかった。彼女は天からくる輝きの下にこれを眺めたが、
それは彼女自身の古い十字架であった。彼女は再びこれを発見したのである。
そしてそれは最善のものであり、また一番軽いものであった。
神はわたしたちが負うべき最善の十字架を知りたもう。わたしたちは他人の十字架がどの程度重いかよくは知らない。
わたしたちは富める人を羨んだ。彼の十字架は、宝石をちりばめた金の十字架である。だがわたしたちはそれがどの位重いかわからない。
ここにまた、その人の生活がきわめて愛らしく見えるものである。彼女は花をちりばめた十字架を負っている。
もしわたしたちがその人の十字架を負ってみるならば、その中どれ一つとして自分の十字架のように自分にふさわしくないことを発見する。
生活の窓から見た光景