人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

イエスはくびきを負う本当の友です。

2012年09月02日 | お気に入りの言葉

荒野の泉 カウマン夫人著より
彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、......十字架を忍び....。
ヘブル十二・2

「軍人は、他人の武器では十分に戦えないものです」
自分の十字架を負うということは、これが正しい道だと思われることを行き、
あなたに負わされるものは何でも負うことです。
そして、決して顔をしかめないで、だれかに良く思われようともせず、与えられたものを勇敢に負うことです。
自分自身の重荷を、自分自身の都合で持ったり持たなかったりしないことです。
ある人は、十字架は大きいほうが良いと思ったり、小さい十字架なら、早く背負っていけると考えたりします。
いずれにしても、ただそう思う人たちの十字架は、かざりものの十字架にすぎないのです。
しかし、あなたが本当にしなければならないことは、できるだけあなたの背中を真っ直ぐにし、
背中に何があるかあまり考えないことです。とりわけ背中にあるものを自慢しないことです。
ジョン・ラスキン

重いのはイエスの十字架ではありません。
私たちの旅で、邪魔するのは
私たちの痛む肩におかれている
私たちの過去の行為なのです。
神は私たちに荷を負う力を下さいます。
神が与えられるイバラには香りがあります。
そして必要ない重荷はなにもなく
利己的なむ目的のために与えられているものもありません。
イエスのくびきは負いやすく
イエスの荷は軽いのです。
イエスは苦しみをともにするでしょう。
イエスはくびきを負う本当の友です。
私たちは疲れて、重荷をもっているでしょうか。
心配で、苦労がいっぱいでしょうか。
それはイエスが与える十字架ではなく
私たちが作って、自分で負う十字架です。


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