人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

孫の運動会

2012年10月12日 | 日記

 今日は、孫(1歳と5歳)の運動会があり、米子の五千石保育園へ。
たかが保育園のかけっこと思っても、自分の孫となれば、力がはいる。


信仰は感情の上にではなく、神の約束の上に基礎がある。

2012年10月12日 | お気に入りの言葉

荒野の泉 カウマン夫人著より
信仰は幻に勇気が加わります。
信仰はイエスを注視する目です。かすんだ目でもやはり目です。
泣いている目でもやはり目です。
信仰はイエスを捕える手です。震えている手であっても手です。
いやされようとして救主の着物のすそにさわるとき、心が自分のうちで震えるのが信者です。
信仰は、いかに主が恵み深いかを味わい知る舌です。
慰めがみじんもない時でさえ、信じることが出来ます。
それは信仰は感情の上にではなく、神の約束の上に基礎があるからです。
信仰はイエスのところに行く足です。ゆっくりとした足どりのものであっても歩くことができます。
ジョージ・ミュラー