氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

あおぞら号

2006-02-08 11:46:59 | 懐かしい思い出
「あおぞら号」は「近鉄特急ビスターカー」の「修学旅行専用列車」の愛称です。
昭和30年代半ばで大阪の小学校では修学旅行と言えば「伊勢神宮参拝」でした。
初めての学校からの一泊旅行は楽しみだった・・・

しかし楽しみだった「就学旅行」の出発日の前に「キューバ危機」が勃発する。
「キューバ危機」はソ連がアメリカの喉元であるキューバにミサイル基地を建設した事が米ソ冷戦構造の緊張を膨れ上がらせ「核戦争の危機」が現実になった。

修学旅行の説明会では状況が悪くなれば(第三次世界大戦勃発)中止する。
という不安を否めない情勢でした。

新聞やTVのニュースでは連日「キューバ危機」を報道し嫌でも戦争前夜ともいえる緊張は高まります。
幸いにも昭和37年10月15日から28日まで続いた「キューバ危機」はアメリカとソ連の対話が実現し緊張は解けました。

喜び勇んで近鉄上本町駅から「あおぞら号」に乗り込んで「伊勢神宮」へと修学旅行に旅立ちます。
「外宮、内宮」に参拝した後「二見ケ浦」へと移動し旅館に宿泊しました。
楽しい食事のあとは温泉に入り恒例の「枕投」をして寝ます。

今でも懐かしい近鉄特急の「あおぞら号」は有るのかな?



嗽薬

2006-02-07 10:04:09 | 懐かしい思い出
今年も「インフルエンザ」が流行しています。
あの頃(昭和30年代半ば)にも「インフルエンザ」が大流行しました。
「A型香港風邪」が猛威を振るい小学校も学級閉鎖に成ります。

小学校の「手洗い場」には「嗽薬(うがいくすり)」が大きな金属製の缶に入れられて常備されていました。
その「嗽薬」は「水色」で少し塩辛くて薬臭かった。

家では薬局で買って来た「イソジン」を使っていました。
「イソジン」は色も匂いも「ヨーチン(ヨードチンキ)」によく似ています。

風邪をひいて医者に行くと喉に「ルゴール」を塗られて閉口します。
「注射」を打たれて「水薬」を貰って帰る。
「水薬」はガラス小瓶に入っていたが目盛りまで飲むのが辛かった。
薄苦くて胸が悪く成るような味です・・・

今でも小学校では「嗽薬」を常備しているのかな?

針金鉄砲

2006-02-06 10:05:24 | 懐かしい玩具
昭和30年代の半ばに小学校の校門の付近で子供相手に露天で商売をするオジサンが居ました。
木製のミカン箱を置いて針金をペンチで器用に曲げて玩具を作る。
なかでも人気が有ったのは「針金鉄砲」でした。
「輪ゴム」を装着して連発で発射出来る優れ物です。

価格は10円位でしたがミカン箱の上に飾って有る見本は高かった。
言わば非売品のような「重機関銃」です。
太い針金で組み合わされた三脚の上に載っている「重機関銃」は「ガットリング砲」のようにハンドルが付いていました。
そのハンドルを廻すと「輪ゴム」が次々に連射される・・・
見事な作品でした。

道草もせずに家に帰った私は10円玉を握り締めて「針金鉄砲」を買いました。
近所の「公設市場」で「輪ゴム」を貰い「針金鉄砲」に装着し下校してくる友達や下級生を見つけては的にします。

女の子達を的にしては「輪ゴム」を打ち掛けたあの頃が懐かしい。

スィートポテト

2006-02-05 12:23:53 | 懐かしの食品
昭和30年代半ばの学校給食で「スィートポテト」が大好きでした。
一月に一回有るか?如何かの献立でしたが甘味に飢えていた我らには最高です。
薩摩芋の皮を剥いて揚げたポテトを飴煮にした中華風の「スィートポテト」が忘れられない・・・

最後に残った蜜にパンを付けて食べると美味しくて嫌いなパンでも食べられた。
副菜の甘酢をかけた春雨の中華風サラダは余り好きでは無かったがなんとか食べる。

男女を問わず「スィートポテト」は人気が有りました。
今は何の感動も有りませんがあの頃は輝く希望の星です。

今の子供達は給食や食べ物に感動した事が有るのかな?
それを思うと我々は貧しかった事が逆に幸せだったのか・・・

カレーシチュウー

2006-02-04 10:15:50 | 懐かしの食品
昭和30年代半ばの小学校の給食は最悪でした。
ミルクは不評の「脱脂粉乳」で冷めると分厚い膜が張る・・・
暖かいうちは何とも言えない独特の臭さで飲めないのです。

その給食の中でも「カレーシチュウー」はまだましでした。(「鯨肉」さえ無ければ)
今では貴重な珍味に立身出世した「鯨肉」ですが・・・其の頃は最下等の蛋白源です。
堅くて噛み切れないゴムのような「鯨肉」がこれでもか!と言わんばかりに入っていました。
「鯨肉」は噛むと生臭く鉄錆びのような味がして大嫌いです。

スプーンはアルミ製で未だ「先割れスプーン」では有りません。
パンもかさかさの「コッペ」か半斤の「食パン」で何時も残しました。
私が未だに「パン」が嫌いなのは「給食」が原因かも?

「鯨肉入りカレーシチュウー」が懐かしいけれども食べたいとは思わない。

ライスカレー

2006-02-03 10:05:29 | 懐かしの食品
昭和30年代半ばには「ライスカレー」と言っていました。
黄色くドロリとした中に「じゃが芋」「玉葱」「人参」の乱切りと「並肉」が入っています。
「ライスカレー」は御馳走でした。

即席のカレールーは有りましたが母は余り使わなかったと思う。
「ライスカレー」の思い出は母が「缶入りのカレー粉」と「小麦粉」を鍋で炒める姿と香ばしくて強烈な「カレー」の匂いです。
台所から立ち上る「ライスカレー」の芳しい芳香に虜に成りました。
家の外で遊んでいても落ち着きません。
台所の母の周りに付きまとい叱られても嬉しくて有頂天に成ります。

ドロリとした「ライスカレー」の秘密は「小麦粉」に有りました。

昭和30年代後半にはTVのCMや番組提供で「オリエンタルマースカレー」や「グリコバーモントカレー」など食品メーカーが売り出した「即席カレールー」が人気を呼びます・・・
我が家でも私がねだり「オリエンタルマースカレー」が定番に成りました。
様々な香辛料が入り余り黄色く無い「カレー」は珍しくて美味しかったのです。

思えば其の頃から「ライスカレー」と謂わなくて「カレーライス」と言っていたように思う・・・

今と成れば既成の美味しい「カレーライス」より「小麦粉」と「カレー粉」を炒った黄色くてドロリとした「ライスカレー」が無性に懐かしい。
一度再現に挑戦した「ライスカレー」は黄色く粉っぽくて家族には不評でした。
飽食の時代にアナクロニズムな「ライスカレー」は受け入れられません。

パットン戦車

2006-02-02 10:22:58 | 模型懐古譚
昭和30年代の半ば小学5年生の時に「日本模型のパットン戦車」を買った。
モーターライズの戦車を組み立てるのは初めてです。
第二次世界大戦で活躍したアメリカ軍のジョージ・S・パットン将軍の名前が付いた「パットン戦車」が欲しかったのです。
価格はモーター込みで400円位でした。

このプラモデルは戦車砲が発射出来るギミックが付いています。
砲身のなかにバネを組み込みプラスチックの小さな弾丸が1m位飛びました。
モーターとキャタピラを動かすギアとの組み合わせが難しい・・・
なんとか完成させて動かした。

ゴムのキャタピラを動かして進む「パットン戦車」はかっこ好かった!
座布団の上もなんなく進みます。
漫画本を積み上げた坂を走らせて大満足しました。


ロボット三等兵

2006-02-01 10:07:09 | 模型懐古譚
今井科学のプラモデル「マスコットシリーズ」で漫画の「ロボット三等兵」をモデルにした模型が有りました。
キャラメルの箱を少し大きくした位の安価な模型です。
今ならさいずめ「フィギャア」と言うのでしょうか?
たしか30円~50円位の価格でした・・・

ロボットの中に輪ゴムを入れて腕や体を動かす簡単なギミックです。
他には「わちさんぺい」原作の「ナガシマくん」も有りました。
どちらも月刊漫画誌「少年」に連載されていた人気漫画の主人公です。

私は「前谷惟光」の「ロボット三等兵」が大好きでした。
他にも「火星の八っちゃん」や「極楽コンビ」「落語漫画」など沢山の漫画が有ります。
しかし「貸本屋」にしか有りませんでした。

ちゃちな模型でしたが今井科学のマスコットシリーズが懐かしい。