氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

危険信号

2005-08-31 09:43:55 | 懐かしいTV番組
昭和33年にNHKで毎週土曜日の夜7:15~7:45まで「危険信号」というバラエティ番組を見ていました。
一般の視聴者が応募してスタジオでゲームに参加する番組です。

スタジオには鉄道模型の線路が大きな円形に敷かれて有りました。
鉄橋やトンネルがあり其処を電気機関車が客車を連結して走り廻ります。
踏切が有り其処には大きな風船が置いて有る。
そして電気機関車の先頭には針が仕掛けて有るのです。
風船を取らずに電気機関車が走行して来ると針に当たって風船は破裂する。

ゲームは2人の参加者が課題のゲームを遂行する人と、電気機関車の進行状況を知らせて風船を割らない様に通報する人に分かれます。
課題のゲームを行いながら通報者の「電車が来る危険だ!」と言う声でゲームを中断して風船の場所まで全力で走って来て電車の通過前に風船を取る。
間に合わずに電車が通過して風船が割れたらゲームは終了です。
電車の周回が増えるにつれて電気機関車の走行するスピードが段々に加速され早くなって来るのでスリルが有りました。

単純でしたが電車のアップや全力で走る参加者をハラハラ、ドキドキして見ていました。
私は鉄道模型が大好きでしたから走行する電気機関車や線路のレイアウトを見るだけでも充分に満足だったのです。

月光仮面

2005-08-30 08:32:36 | 懐かしいTV番組
昭和33年に日曜日の夜はOTV(現ABC朝日放送)で7:00~7:30まで「月光仮面」を毎週、楽しみに見ていました。
ど~この 誰かは~知らないけれど 誰~もが 皆~し~つている 月光仮面のおじさんは~ 正義の味方よ~良い人よ・・・」の軽快な主題歌で始まります。

白い覆面にサングラス白い上下の衣装に白いマントを翻して白いオートバイ(ホンダのドリーム号)に乗って颯爽と走り抜ける。
子供の時は怪しく思わなかったけれどこの白装束の衣装はかなり怪しい。
オートバイで走り抜ける道路のロケ地は奈良県の阪奈道路でした。
大阪と奈良を繋ぐ日本で始めての有料道路の開通直後です。
他の車は全然通行していませんので開通前のロケかも?

制作は宣弘社で川内康範 原作、桑田次郎 画 で少年クラブ連載の人気漫画のドラマ化でした。
主演は大瀬康一(祝 十郎 いわいじゅうろう)、谷幹一です。
祝探偵事務所の所長が月よりの使者「月光仮面」で助手の谷幹一もその正体は知りません。
ドラマは大人気で「どくろ仮面」「パラダイ王国の秘宝」「マンモスコング」「幽霊党の逆襲」「その復習に手を出すな」へと続きます。

「月光仮面」が惜しくも終了した理由は馬鹿げていました。
大人気に成りすぎ子供達の「月光仮面」ゴッコで高い所から飛び降りて怪我をする事件が全国的に続発したからです。

余談ですが番組のスポンサーはタケダ薬品でした。
パンパン~パンビノ~パンビタン~」というCMソングを思い出しました。

私の本名が0月光太朗で小学校では名札の0を手で隠し「月よりの使者~月光太朗」と名乗り喜んでいたのです。(爆笑

やりくりアパート

2005-08-29 08:32:17 | 懐かしいTV番組
昭和33年にOTV大阪テレビ(現朝日放送)で毎週日曜日の夜6:30~7:00まで「やりくりアパート」を楽しみに見ていた。
花登筺(はなとこばこ)デビュー作の喜劇ドラマです。
大阪下町のアパートが舞台で変な住人達の日常を描いた爆笑ドラマでした。

アパートの管理人が横山エンタツ、初音礼子、夫婦で主人公です。
住人のぐうたら大学生、佐々十郎、大村昆、芦屋小雁、オカマ風の茶川一郎達が脇役でしたが人気が出て主役を食ってしまう。

ダイハツ提供の番組だったからミゼット(軽三輪トラック)のCMに大村昆が抜擢され学生服に角帽で「スマートやなあ~ミゼット、ミゼット、ミゼット」と連呼する格好がおかしくて大人気になった。
小さなオート三輪のダイハツミゼットも人気が出てブリキの精巧な玩具にもなります。
現在では復刻版も出ていますがオリジナルはプレミアが付いてとても高価である。

日曜日の夜はOTVの番組が楽しみでした。
やりくりアパートの後7:00からは「月光仮面」が始まりました。

事件記者

2005-08-28 08:35:07 | 懐かしいTV番組
昭和33年にNHKの「事件記者」を毎週水曜日の夜8:00~8:30まで見ていました。
警視庁記者クラブが舞台で各新聞社の社会部記者達が繰り広げるスクープ合戦を描いた推理サスペンスドラマです。

東京日報の相沢キャップ(永井智雄)八田老人(大森義夫)、園井啓介、滝田祐介、山田吾一らの出演者が特種記事を得る為に事件を追う。
聞き込みや記者クラブ内の他社の記者を出し抜いたりの日々を主題にした本格ドラマで人気が出ました。

毎回のように彼ら行きつけの小料理屋「ひさご」でのシーンが印象的です。
スクープを抜いての歓びの酒宴、他社に抜かれての失敗のヤケ酒・・・
子供心に大人は何で家に帰らず毎晩お酒を飲むのか?
不思議でした。

日真名氏飛び出す

2005-08-27 10:44:45 | 懐かしいTV番組
「日真名氏飛び出す」は東京のKRテレビ(現TBS)系列で昭和30年から放送されました。
大阪ではOTV大阪テレビ(現朝日放送、テレビ大阪とは無関係)で放送される。
私が見ていたのは昭和33年くらいからです。
土曜日の夜9:15~9:45まで眠いのを我慢して見ていました。

銀座でフオトニュース社を経営する売れっ子カメラマンの日真名進介(久保保夫)と助手の泡手大作(高原駿雄)が活躍する推理ドラマでした。
日真名氏のトレードマークはパイプです。
パイフ片手に泡手大作をお供に仕事でロケハンに行くと必ず事件に遭遇し巻き込まれる。
日真名氏の名推理で事件を解決するのでした。

時代劇の捕り物帳で主役とあわて者の助手が引き起こす騒動や事件を解決する伝統的な手法を現代を舞台に取り入れたドラマです。

登場人物の名前の設定が日真名氏(ひまなし)、泡手(あわて)なんてアナクロニズムが今と成ってはかえって懐かしく感じます。
余談ですが商品名も蚊取り線香「カトール」なんて云うのも有りました。
21世紀の現代でもシミ取り薬で「ケシミン」もまだまだ健在です。

「日真名氏飛び出す」のスポンサーが三共製薬でした。
その所為か日真名氏の事務所が有る銀座のビルの1階には行きつけの喫茶店が有りました。
その喫茶店にはなんと薬局が併設してあり毎回ドラマの舞台に成ります。
日真名氏や泡手大作が栄養剤を飲むシーンがわざとらしく気になりました。
母親に「学校で疲れたから三共製薬の栄養剤を買って来て」と言って叱られた事を覚えています。
「日真名氏飛び出す」は人気が出て漫画やカルタ、ベッタン(メンコ)にも成るTV界初のキャラクターに成ったのでした。

余談ですが大阪ではベッタンは角型が主流でした。
私の父の郷里岡山ではパッチンと謂い丸型で武者絵なんかが主流で驚いた事があります。

私の秘密

2005-08-26 08:20:08 | 懐かしいTV番組
NHKのクイズ番組で「私の秘密」が懐かしい。
昭和33年の月曜日の夜7:30~8:00まで家族で毎週楽しく見ていました。
司会の高橋圭三アナウンサーの「事実は小説よりも奇なりと申しまして、世の中には変わった珍しい、あるいは貴重な体験をお持ちの方がいらっしゃるもので・・・」で始まる人気番組です。

秘密を持った登場する人物をレギュラー回答者の杉浦洸、渡辺紳一郎、藤原あき、が推理して当てる・・・
子供心にスゴイと思いながら見ていた。
当たりすぎるのです。(笑

番組の最後に毎回有名人ゲストの「対面」コーナーが有りました。
対面する人物はゲストの恩師や同級生などの一般人で何らかの接点を持つ人物です。
そしてこの人物との関係まで回答者は当ててしまう・・・
純真に驚きながら家族で見ていました。
台本が有ったのでしょうが、あの頃は信じていたのです。
今ならヤラセとひんしゅくを買うでしょう。

藤原あき女史はTVの人気を利用したタレント議員の走りで参議院議員に成ります。
全国区という選挙区が有った時代です。

ジェスチャー

2005-08-25 10:01:45 | 懐かしいTV番組
昭和33年にNHKのバラエティ番組でジェスチャーを良く見た。
確か金曜日の夜だった。
夕食後のひと時に家族で笑い転げて見たのを覚えている。

司会のアナウンサーは2代目の高橋圭三さんでした。
男性陣が白組でキャプテンは人気落語家の柳家金語楼さんです。
幼い私は落語家とは知らなかった。
映画の「女中のおトラさん」で大人気な芸能人の印象が強かったのです。
ハゲ頭でおかしな顔をするおじさんでした。
女性陣は紅組でキャプテンは元SKDで男装の麗人、ターキーこと水の江滝子さんです。

問題を身振り手振りで表現しゲスト回答者に当てさせるゲームだった。
演者も回答者全員が順番に担当するトーナメント方式です。
両組キャプテンがお互いに相手の事を「お兄さま~」「お姉さま~」と呼びかける言葉が流行語に成った。

問題を身振り手振りのジェスチャーで演じるパントマイムが視聴者に映像で伝えるTV時代の新しいバラエティ番組でした。
ラジオでは不可能な番組でとても新鮮に感じた事を覚えています。

ちろりん村とくるみ木

2005-08-24 08:24:07 | 懐かしいTV番組
昭和33年にNHKの人形劇「ちろりん村とくるみ木」を楽しみに見ていた。
一番古いTV番組の思い出です。
チンチン~チロリン~野菜村~」という主題歌で始まる番組が記憶の中から甦ります。
主人公はクルミのクル子、ピーナッツのピー子、タマネギのトン平である。
素朴な野菜族と都会的な果物族そこに動物が住人の「ちろりん村」で騒動が起きるのです。
日常生活での誤解や確執から争いが始まり主人公の3人が力を合わせ解決する。
トマトの村長やカボチャの叔父さん、パイナップルとレモンの夫婦は理髪店を経営していた。
動物はモグラのガスパ、イタチのプー助、こうもりギャングのブラックバットがいます。
ニンジンレッドの保安官もいます。(殺された時は悲しかった。)

私が一番好きだったのがカッパのコン吉です。
「コンキリプー」というセリフがお気に入りでよく真似をしました。
コン吉のひょうきんで可愛い顔が忘れられません。

「ちろりん村とくるみの木」がTV番組を楽しみに見た原点です。

(続)紙芝居の駄菓子

2005-08-23 08:30:44 | 懐かしい御菓子
紙芝居のおじさんの木箱の内には色々な駄菓子が準備して有ります。
食べるだけの駄菓子は「酢昆布」「串にさしたするめの足の佃煮」「色々な色の煎餅」でした。
煎餅はソースを付けたら「ソース煎餅」で、ミルクを付けたら「ミルク煎餅」です、梅ジャムや杏ジャムを付けたら「ジャム煎餅」になりました。

ギャンブル性のある駄菓子は「抜き飴」「ハマグリの貝に黒砂糖飴を付けたの」「形抜き」「ピンク色の4角(2.5cmX2.5cm位)のお菓子」などが有りました。
「抜き飴」は長方形の薄い飴でウサギ、傘、亀などの形が溝を入れて有ります。
その飴を舐めながら正しい形に残すのです。
ウサギの耳や傘の柄、亀の首など細い部分が必ず有りなかなか成功しません。
成功したら賞品のソース煎餅が貰えます。

「ハマグリの貝に黒砂糖飴を付けたの」は飴を舐め終わり貝殻を手に持って相手の貝殻を地面に伏せ叩き付けて割るのです。
自分の貝殻が割れたら負けでした。
トーナメントで最後に残った人が勝ちです。
賞品の希望する煎餅が貰えました。

「形抜き」は飴ではなく乾燥した薄い長方形のお菓子にウサギや傘、亀などの形が溝にそって書いて有ります。
舐めずに爪で細かく割り欠ける事無く形を抜けば成功で煎餅が貰えます。
これも細い部分が割れやすくなかなか成功しませんでした。

「ピンク色の4角(2.5cmX2.5cm位)のお菓子」は厚さが5mm位あり甘くて堅いお菓子です。
このお菓子はGペンの先などで角が割れないように円く中心から削るのです。
削った欠片や粉は甘くて食べる事が出来ました。
削った丸い円を大きくしてそこに5円玉が擦れずに通り抜ければ5円の現金が賞品です。
直径の大きい10円玉が通れば10円の現金が賞品として貰えます。
紙芝居を見ながら削り食べるのですから焦りました。
それに時間制限もあり紙芝居の終了までに完成しなくては無効です。

紙芝居を見てストーリーを聞き手を動かして欠片を食べる。
10円玉が貫通する穴を短時間で削る事は不可能でした。
中心の円が大きくなって端に近付くとお菓子の角が脆くて割れてしまいます。

それでも飽きる事無く毎日挑戦しギャンブルのスリルと挫折を味わいました。



紙芝居の駄菓子

2005-08-22 08:37:47 | 懐かしい御菓子
紙芝居のおじさんが持ってくる駄菓子は独特の物で駄菓子屋では売っていない。
紙芝居を演じる前に駄菓子を売るのです。
最初はどれでも5円だった。
駄菓子を買った子供だけが紙芝居を見る事が出来る。
駄菓子を買わない子供は只見と言われ肩身が狭く遠く離れて見ます。
昭和30年代の中頃には駄菓子の代金は10円に成っていた。

紙芝居の駄菓子で一番ポピュラーなのが水あめです。
1本の割り箸を2本にして水あめを付けた物をおじさんがくれる。
買った子供は直ぐに食べずに水あめの付いた割り箸をグルグル廻す。
廻す事で水あめに空気が入り透明な水あめが白く成る。
白くなるコンテストをして1番~3番を選ぶのだ。
選ばれた子供はおじさんから駄菓子の賞品を貰うのです。
賞品はミルク煎餅かソース煎餅でした。

それが楽しみで皆が一生懸命に水あめを捏ねた。
空気の入った水あめは軟らかくなり服に付いたり前の子供の頭髪に付いた。
頭髪や服に付いた水あめはなかなか取れずに厄介だ。
家に帰ると母親に叱られた。

木の箱の引き出しの中には色々な駄菓子が準備してある。
酢昆布、抜き飴、するめの足の佃煮、ハマグリの貝に黒砂糖飴を付けたの、ミルク煎餅、ソース煎餅、形抜き、ピンク色の4角(2.5cmX2.5cm位)のお菓子などが有りました。
ただ食べるだけのお菓子と競技で賞品が貰えるお菓子と2種類あります。
私達の射幸心を煽りスリルとギャンブル性が楽しめた。