氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

カム・カム・エブリバディ

2012-03-25 09:23:33 | 懐かしいメロデイ
ラジオ(NHK)の英会話教室で歌われたメロデイが懐かしい。
メロデイはまたもや証城寺の狸囃子でこんな歌詞でした。
「~カムカム エブリバディ ハウドウユー アンド ハウアーユー ウオンチュ 
 ハムサム キャンディ ワン エンド ツウ エンド スリーフオーフアイブ
 レッハブ ア ハッピイ ソング テンララ ランランラン・・・」

戦後まだ日本が被占領下にあり進駐軍が街に溢れていた頃に大人気をえたラジオ番組です。




Sho-Jo-Ji by Eartha Kitt 証城寺の狸囃子

2012-03-24 09:57:18 | 懐かしいメロデイ
アーサー・キットを思い出したら「Sho-Jo-Ji 証城寺の狸囃子」を思い出しました。
20年位、昔 にもアサヒビールのCMでリバイバルしています。
外人の狸娘が踊る楽しいCMでした。
ウシュクダラと同じで英語の歌詞をラジオから聞き覚えの出鱈目で謡うのがとても楽しく面白かった。

歌詞は「~Sho-Sho-jo-ji, Sho-jo-jis raccoon He is always hungry So he sings a KOI-KOI-KOI
He will rub his head and tummy Rub it and Rump-ump-ump MAKERUNA and macaroni Jelly beans
and pinks for morning  KOI-KOI-KOI KOI-KOI-KOI All he says is KOI-KOI-KOI」

腹ペコのアライグマがマカロニやジェリービーンズを食べる可笑しな歌詞です。
その当時は歌詞の意味なんかは不明のままでした。
戦後の高度成長以前の昭和が思い出せる懐かしのメロデイです。

アーサー・キットも2008年に永眠しました・・・合掌

アーサー・キット

2012-03-23 14:47:38 | 懐かしいメロデイ
たまたまTVを観ていたらイスタンブールの街歩きの番組を放映していました。
ボスポラス海峡のガラタ橋ちかくの船の上で「鯖の鉄板焼」をパンにはさんで販売している場面を観た。
よく揺れる船で調理するトルコ人が大わらわで次から次へと料理する・・・

何の脈絡もなく突然ひとつのメロデイが頭の中に浮かんできてエンドレスで繰り返す。
記憶の回路は摩訶不思議でいきなり半世紀前にリンクする・・・

その懐かしい思い出の曲は「アーサー・キット」の「ウシュクダラ」です。
1950年代にアメリカで大流行し日本でもとても流行しました。
歌詞は「~ウシュクダラ・キーデーリーケン・アルドダ・ビル・ヤームル・・・」という不思議な言葉です。

「~ Üsküdara gideriken aldda bir yamur: Kâtibimin setiresi uzun etei çamur.
 Kâtip uykudan uyanm gözleri mahmur, Kâtip benim ben kâtibin elne karr ?
 Kâtibime kulal da gömlek ne güzel yakr !」

トルコの古い民謡とかでユニークなメロデイでした。
ラジオで聞き覚えたこの歌を出鱈目な歌詞で飽きることなく謡った事がつい最近のようです。
日本では江利チエミさんが謡い流行しました。
もう50年以上も昔の昭和が懐かしい・・・


ブルーシャトー

2006-10-09 00:01:22 | 懐かしいメロデイ
昭和40年代の初めに「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」の「ブルーシャトー」
が大流行しました。

そしてこんな替え歌も大流行します・・・
森トンカツ~ 泉ニンニク~ かコンニャク~ まれテンプラ~ 
 静かニンンク~ 眠ルンペン~ ブルーブルー~ ブルーシャトー・・・」

ブルーシャトーの歌詞の終わりが食べ物の名前になる・・・一箇所だけ違うが
何とも変な歌詞です。
ナンセンスながら面白くてつい唄ってしまいました。
何処の誰が作詞したのか? 不明です。
しかしくちコミで全国的に流行しました。
地方により歌詞は少し異なるかもしれません。
ここに紹介したのは大阪バージョンです。

違う歌詞があれば教えて下さいね・・・

ソーダー村の村長さん

2006-10-08 00:03:46 | 懐かしいメロデイ
幼い頃に唄った懐かしい歌です。
ソーダー村の村長さんが~ソダー飲んで死んだソーダー~葬式饅頭~
大きいソーダー~中の餡子は小さいソーダー~ソダーソダー・・・」
何だか不気味な歌でしたが大好きでした。
意味不明で洒落言葉が続くところが日本のマザーグースかも?

私は「ソーダー水」や「クリームソーダー」が大好きでしたから「ソダー村」が
実在すると思っていたのです。
しかし子供心に「ソーダー」飲んで死ぬの・・・?と不思議に思っていました。
それに大阪では葬式饅頭は見た事が有りません。

婚礼の大きな紅白の饅頭を貰いこの歌を唄って顰蹙を買いました。
母親には叱られるし・・・難儀な子供だったのです。

一匁のイ助さん

2006-05-04 09:46:33 | 懐かしいメロデイ
「一匁のイ助さん」も懐かしい「数え歌」です。
一匁から十匁までが長くて中々終わらない・・・

一匁の~イ助さん~イの字が嫌いで~一万一千一百億(いちまんいっせんいっぴゃくおく)~一斗一斗一斗豆(いっといっといっとまめ)~お蔵におさめて~二匁に~渡した」
二匁の~ニ助さん~ニの字が嫌いで~二万二千二百億~ニ斗ニ斗ニ斗豆~お蔵におさめて~三匁に~渡した」

以下・・・三匁~十匁へと延々と続きます。

最近は戸外で遊ぶ子供達を見かけませんので如何な「童歌」を唄っているのか?

いちじく・にんじん

2006-05-03 10:05:14 | 懐かしいメロデイ
女の子が遊ぶ「マリつき」や「オジャミ(お手玉)」に唄っていた「数え歌」が懐かしい。
女の子達とは余り遊ばなかったが「数え歌」は耳にこびりついている。
地方により独特の「数え歌」が有ると思うが大阪はこれでした。

いちじく~にんじん~さんしょに~しいたけ~ごぼう~
~むかご~ななくさ~はったけ~きゅうりに~とうがん」

ただの野菜の羅列のようですが・・・「数え歌」です。
野菜のはじめが1~10までの数を秘めている。
誰が考えたのか?
素晴らしい「童歌」だと思います。

酋長の娘

2005-11-15 08:14:25 | 懐かしいメロデイ
幼い頃の宴会で「満州娘」の合唱が終わると「酋長の娘」が唄われた。
旧植民地は満州帝国だけで無く南洋諸島にも有ったのです。
南洋に思い入れの有る人々は「酋長の娘」を合唱する。

私の~ラバさん~酋長の娘~色は~黒いが~南洋じゃ~美人」
赤道~直下の~マーシャル~群島~椰子の~木陰で~テクテク踊る~」
踊れ~踊れ~どぶろく飲んで~明日は~嬉しい~首の祭り~」

まるで島田啓三さんの南洋漫画「冒険ダン吉」の世界です。
ジャワ、バタビヤ、バンドン、マキン、タラワ・・・
日本人は続々と南洋諸島へ進出しました。

踊れ~踊れ~踊らぬ者に~誰が~お嫁に~行くものか」
きのう~浜で見た~酋長の娘~きょうは~バナナの~木陰で眠る~」
私の~ラバさん~酋長の娘~色は~黒いが~南洋じゃ~美人~」

叔父さんたちはシンガポールの事を「昭南島」と謂っていました。
椰子の木陰にバナナやパイナップルが有り、食べた事の無いマンゴー、パパイヤなどの果物が有るという南洋は夢の楽園で憧れです。

バナナは高級果物で病気の時にお見舞いに貰う物でした。
普段は所々黒くなって傷んだバナナが関の山です。
パイナップルは缶詰でしか食べた事は無かった。
どちらも憧れの食べ物です。
そう言えばバナナの香りがした「バナナカステラ」を良く食べました。
形がバナナで甘くて黄色いクリームが入っている。
安価な「バナナカステラ」は果物のバナナとは似て非なる物でした。

満州娘

2005-11-14 10:04:13 | 懐かしいメロデイ
私の両親は旧満州国ハルピン市からの引揚者でした。
叔父は牡丹江、新京から戦後引揚げて来ます。
冠婚葬祭、法事など寄り合い事があって宴会になるとあの歌が始まる。
皆が懐かしそうに笑顔で合唱する「満州娘」です。
幼い私は何時の間にか聞き覚えてしまった懐かしい歌でした。

わあ~たし~16~満州娘~春の3月~雪溶けに~インチュン~ホア(迎春花)~が咲いた~なあら~お嫁に行きます~隣村~ワンさん~待ってて~頂戴ね 」

失われた青春時代に思いを馳せながらハルピンの思い出話は尽きません。
キタイスカヤのロシア人街、チューリン百貨店、スンガリー(松花江)、太陽島・・・私は戦後大阪で生まれましたが馴染の言葉です。

雪や~氷や~冷たい風は~北のロシアへ~吹けば~良い~晴れ着も~母と~縫うて待つ~満州の春よ~飛んで来い~ワンさん~待ってて~頂戴ね 」

愛親覚羅(アイチョンギル満州王家)、南満州鉄道、亜細亜号、パシナ、奉天、張作霖、馬賊、尚旭東(小日向白朗)・・・
アナクロニズムな植民地主義者では無いのですが懐かしい響きがします。

ルイジアナ・ママ

2005-11-11 08:17:04 | 懐かしいメロデイ
NHK BS2での「ローハイド」「コンバット」再放送の間に「そういえば・あの時この歌」を放送している。
この間の放送で飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」を聞いた。
作詞は漣(さざなみ)健司です。

あの娘は~ルイジアナ・ママ~やって来たのは~ニューオリンズ~髪は金色~眼は青く~本物だよ~デキシークイン~ロニオリン・・・」
飯田久彦さんは現在(株)テイチクの代表取締役社長です。

あの頃「ロニオリン」が謎でした。
昔の事でレコードなんか買う余裕は有りません。
ラジオかTVからの聞き覚えですから正確な歌詞は解りません。
耳から聞いた通りが正しいと誰もが確信を持つ。

私には「ロニオリン」と聞こえます。
友人は「フロニオリン」とか「オニオリン」だとか主張する。
謎は謎を呼び迷宮に入り解決しません。

実は「ロニオリン」と聞こえた歌詞は「フロムニューオリンズ」でした。
結果として友人が聞き取った「フロニオリン」が正しかったのです。
アメリカを真似て英語を勉強しても所詮我々のレベルは「ロニオリン」でした。
英語にもアメリカにも興味を持てなくなるきっかけです。

「フイルム」を「ヒルム」とか「トゥエンテイ」を「トゥエニ」なんて発音するのが「ロニオリン」で恥ずかしい思いをします。