氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

ゲンと不動明王

2005-11-30 10:30:16 | 懐かしの映画
「ゲンと不動明王」は昭和31年に東宝がモノクロで制作した映画です。
監督、稲垣浩 特技監督、円谷英二 出演、小柳徹 千秋実 笠智衆 三船敏郎でした。

ゲン(小柳徹)とイズミの兄妹は山寺の子供です。
オッチャン(千秋実)がお父さんで寺の和尚でした。
お母さんは二人が小さい時に死んでしまい寂しく暮らしている。

村の有力者達が和尚の再婚相手を決めるが嫁に来る人は男の子を嫌います。
嫌われたゲンはその為に離れた村の雑貨屋の子供に貰われることになる。
ゲンは大事な宝の箱から大好きなお不動さまのメンコ(鉛のメンコ)だけを取り残りのビー玉など全部を妹のイズミにあげました。
雑貨店の近所の寺の和尚(笠智衆)はゲンを不憫に思い新しい学生服、靴、ランドセル、学用品一式をゲンに贈ってくれる。

ゲンは貰われて行った雑貨店の店番や掃除をさせられるがイタズラ坊主でよく叱られます。
雑貨店の近くには知り合いの寺が有り不動明王(三船敏郎)がおまつりして有りました。
不思議な事にそのお不動様はゲンが大好きだったメンコのお不動様とソックリです。
ゲンは叱られて悲しくなると寺へ行きメンコと同じ顔の不動さまと話しをしました。
ゲンが悲しい時や辛くて淋しい時にお不動さまは「弱虫!」とゲンを励ましてくれます。
雑貨店ではゲンのいたずらが余りにも酷いのでもとの寺へ帰すことにした。

ゲンが寺に帰ってくるとイズミは大喜びです。
しかしゲンは継母にどうしてもなつきません。
ある日お母さんがゲンの大切なお不動さまのメンコを捨ててしまった時ゲンの怒りが爆発し喧嘩になってしまう。
継母は怒って実家に帰ってしまいます。

継母は帰って来ますが嫌われたゲンはメンコのお不動さまがいる寺へ小坊主として里子に出されイズミと離れ離れに成ってしまう・・・

ゲンと不動明王の不思議な交流が印象に残る映画でした。
何年かしてTVの「ホームラン教室」で小柳徹と再会します・・・
生きていればどんな役者に成っているでしょう?

昔はいたずらをして叱られると親から「お寺の小坊主にする!」とよく言われました。
子供が多かったからか貰い子や里子の話は沢山あります。
少子化社会の今では考えられない話になりました。

ゴジラの逆襲

2005-11-29 10:14:34 | 懐かしの映画
「ゴジラの逆襲」は昭和30年に東宝がモノクロで制作した映画です。
監督、小田基義、特技監督、円谷英二、出演、小泉博、千秋実、志村喬でした。

前作の「ゴジラ」が大ヒットしたので造られた続編です。
オキシジェンXの攻撃により海中で骨に成り死に絶えた「ゴジラ」にもう一匹の生き残った「ゴジラ」が再び現れる・・・
オキシジェンXは死んでしまった博士にしか造れないし研究資料も焼却された。
前回と同じく自衛隊の通常兵器は「ゴジラ」に通用しない。

今回の「ゴジラ」は大阪湾から上陸して大阪の市街を破壊する。
しかも水爆実験で目覚めた新たな怪獣「アンギラス」まで大阪に出現するのでした。
其の頃、私は大阪に住んでいたので興奮した事を覚えている。
「アンギラス」と「ゴジラ」が大阪城で戦うシーンは見応えが有ります。
しかし「アンギラス」は弱かった。
「ゴジラ」にやっけられる為に出て来たのか?
それでは「アンギラス」があまりにも可哀そうで「ゴジラ」が憎たらしく思います。

大阪城の天守閣や石垣の作り込みが素晴らしい出来でした。
其の頃の美術の職人さん達の技術と人件費の安さが可能にした画面です。

ストーリーは余り覚えていませんがラストシーンが印象に残っている。
「ゴジラ」が神子島で氷山の中に氷に閉じ込められてしまう。
日本の近くに氷山が有りなんて信じられ無かった。
そして「ゴジラ」がこれから何作も造られるとは思いもしません。
それに恐ろしい怪獣「ゴジラ」が子供達のアイドルに成るなんて・・・

恐ろしい顔の「ゴジラ」映画が懐かしい。

精肉店のコロッケ

2005-11-28 10:22:28 | 懐かし商店街
商店街や市場で精肉店の店頭で揚げていた「精肉店のコロッケ」が大好きでした。
学校帰りに道草をくい土居公園でレンドセルを隠して仲間と遊び呆けます。
夕方になってあわてて家へ帰ろうと思い立つ。
しかしお腹の虫が「グゥ~ッ」と鳴いたら家まで辛抱出来ません。
駄菓子屋のお菓子は腹の虫を宥めるのには役不足です。

公園の横に有る公設市場の精肉店から揚げ物の良い香りがプ~ンと匂って来ると堪りませんでした。
顔馴染の肉屋のオッチャンに「コロッケひとつちょうだい!食べながら帰る ソースいっぱいつけといてや!」言いながら5円玉を一個渡します。

オッチャンは緑色の包装紙に揚げたてでホッカホカのコロッケを包むとサービスのソースを上手に付けて渡してくれる。
お金を持たない時でもツケで買えました。(それも帳面なしで!
暖かいコロッケはラードの好い香りでそれは美味しかった。

そう言えば昭和30年代初めはコロッケ1個が5円だったのです。
大好きな杉浦茂の漫画にも「コロッケ5円之助」なんていう人物も登場します。
何時の頃かコロッケが10円になり(多分東京オリンピックの昭和39年頃)色々な物価が急騰しました。

ちなみにメンチカツは10円、トンカツは50円、ビフカツは50円~100円だったと思います。
晩御飯のオカズにする時にはビフカツを70円とか80円とか好みの注文に応じて大きな肉の塊から切って衣を付けてその場で揚げてくれました。
「ミッチャン!お腹すいたやろ これ食べて待っといてや」 
待っている間にオッチャンはコロッケをオマケにくれます。
食いしん坊の私はそのオマケが楽しみでお使いは大好きでした。

関西でお肉と言えば「牛肉」で豚肉は「豚」です。
家内は埼玉育ちでお肉と言えば「豚肉」で牛肉は「牛(ギュウ)」だったそうです。
結婚して言葉の相違や誤解が沢山有り笑い話の種が尽きません。
所変われば品が変わり言葉も随分違う事が解りました。


ノンチャン雲に乗る

2005-11-27 10:57:23 | 懐かしの映画
「ノンチャン雲に乗る」は東宝が昭和30年にモノクロで制作した映画です。
原作は童話作家の石井桃子、監督、倉田文人 出演、原節子、鰐淵晴子、大泉滉、徳川夢声でした。

東京郊外の氷川神社の近所に住む「ノンチャン」こと田代ノブコ(鰐淵晴子)と兄の田代タケシ、両親の暖かい家庭と暮らしがテーマーの物語です。

「ノンチャン」は幼い時に赤痢に罹り東京の四谷から郊外に引越しました。
四谷には祖父母と叔父叔母に従兄弟達が住んでいます。
「ノンチャン」は小学2年生になったらお母さんに四谷へ連れて行ってもらう約束をしていました。

2連休の前の日にお父さんは「ノンチャン」が大好きなトシコ叔母さんを連れて帰宅します。
お休みの朝「ノンチャン」が眼を覚ますと御勝手で「トントントン~」と大好きなおみお漬けの大根をきざむ音がする。
「ノンチャン」は幸せな気分で起床しますが寝ボスケなお兄ちゃんの寝床は空でお母さんの姿も見当たりません。
御勝手にはトシコ叔母ちゃんが居ました。
お母さんとお兄ちゃんは「ノンチャン」をおいて東京に買い物に出かけたのです。
「ノンチャン」はお母さんに騙されて悔しくて泣きながら家を飛び出しました。

氷川さまの森でお兄ちゃん自慢の木の枝に登りますが悔し涙は止まりません。
お兄ちゃんの忠実な家来、犬のエスが来ます。
「ノンチャン」は水に映る空の雲がとても綺麗で見惚れてしまう。
木の枝から両手を離した「ノンチャン」はアッというまに落ちてしまい水中の大空へと潜り抜けてしまいます。

不思議な大空には白い大きな雲が浮かんでいて白いヒゲのお爺さんが熊手で「ノンチャン」を雲に引揚げてくれました。
そこには高砂の人形にソックリなお爺さんとイジメッ子の長吉がいました・・・

幻想的な体験をした「ノンチャン」のお話が映画になったのです。

しかし鰐淵晴子は綺麗な少女でビックリしました。
周りにそんな綺麗な少女はいませんでしたのでとても強烈な衝撃です。
異性に興味を持った始めての体験でした。
私の叶わぬ初恋です


公設市場

2005-11-27 09:09:12 | 懐かし商店街
戦後の復興と共に大都市やその近郊に住む住人の数が激増しまた。
物資不足が解消され闇市が終焉を迎え閉店していた商店や新規の商店の開店が増える。
中でも自治体が許可を出した「公設市場」(小売マーケット)が多数新設された。
昔から有った駅前商店街や「公設市場」を核にした商店街が繁栄します。
未だスーパーマーケットは有りませんでいた。

「公設市場」は小さな店舗が密集する利便性から消費者の支持を得て繁盛する。
一箇所で日常の買い物が全て賄えるので人気が有りました。
商店の側も比較的小資本で開業出来るので商人の子弟や復員者、引揚者が多数「公設市場」の店主になったのです。

私が懐かしく思い出すのは「土居市場」で京阪電鉄土居駅前商店街に有りました。
通学していた小学校の途中に有り何時も遊ぶ土居公園も近かったのです。

商店街の商店や「公設市場」の商店も店主から店の人達全部が地域のお客と密着した商売をしていました。
お客さんの家族構成から昨日の晩御飯の献立まで熟知しています。
「魚屋」「八百屋」「肉屋」「食料品店」はお客に今日の晩御飯の献立を提案しお客も受け入れる。
子供を買い物の使いに出しても変な商品を売ったりしません。
相互に信頼関係が築かれていたのです。

そんな「公設市場」が小学校の校区に3軒位は有りました。
商店が信用を失くすとお客は誰も相手にしない厳しさが有ります。

「衣料品」「時計眼鏡」「乾物」「塩干物」「野菜」「果物」「菓子」「食品」「魚介」「精肉」「米穀」「天麩羅」「惣菜」「玩具」「書籍」「豆腐」「昆布」「薪炭」「電器」「生花」「荒物」「雑貨」「手芸」「卵屋」「かしわ(鶏肉)屋」・・・
様々な小さな商店が一つ屋根の下で密集して商売をしていた「公設市場」が懐かしい。

東京コミックショー

2005-11-26 18:58:32 | 懐かしい芸人
今日の読売新聞の朝刊で訃報を見ました。
「東京コミックショー」の「ショパン猪狩」さんが平成17年11月13日に心不全でお亡くなりになったとの記事です。

「東京コミックショー」は昭和30年代にヘビの芸で有名だった芸人さんでした。
進駐軍の基地やキャンプのショーを独特のバタ臭い芸風で勤めている。
マイナーでアナーキーな「ショパン猪狩」さんが懐かしい。

「ショパン猪狩」さんはシンドバット風の独特な衣装で、頭にはターバン、顔に鯰ヒゲ、上半身は素肌にラメ入りのチョッキ、ぶかぶかのハーレムパンツを胸まで上げて踊りながら登場します。

ステージ中央でクネクネと腰を振りながらお腹をへこませると・・・ハーレムパンツがズリ落ちてお臍が丸見えになる。(大爆笑

小学生が持つような笛を「ピロ~ピロ~ピロ~」と吹いて・・・
「お客さんの好きなヘビ出すよ~!レッド・スネーク イエロー・スネーク グリーン・スネーク?」とボソボソした声で喋る。
「何?レッド? 今日は燃えてんのね!」(爆笑
ピロ~ピロ~ピロ~ レッド・スネークカモン!」(笛で赤い台の蓋を叩く
「あれ? お前グリーンだろ?・・・お前・色盲!」(爆笑

「こないだのお客さん赤出したらチップくれたね!・・・冗談、冗談」
「冗談でもチップくれた・・・」(爆笑

「お次はキングコブラ! ピロ~ピロ~ピロ~」
「・・・勇敢にも・・・勇敢にも・・・朝刊にも・・・(ヘビ尻尾から出る)」
「あれ? お前 逆さま?・・・」(爆笑
「お~キングコブラ・・・北海道はニシン場育ち・・・」
「お前 メガネが曇っている・・・(ヘビの頭の眼鏡模様に息を吹きかけチョッキで丁寧に拭く)」(爆笑
こんなステージが思い出されます。

このスネークショーの作者は「ショパン猪狩」さんの実兄「パン猪狩」さんでした。
お兄さんの「パン猪狩」さんが八百屋を営んでいた「ショパン猪狩」さんを儲かるからと芸人の道へと引き入れたそうです。

お兄さんの「パン猪狩」さんも亡くなっています。
ご兄弟の御冥福をお祈り致します 合掌。
「東京コミックショー」の素晴らしい芸をリアルタイムで観る事が出来て幸せでした。

ゴジラ

2005-11-26 10:41:15 | 懐かしの映画
「ゴジラ」は昭和29年東宝がモノクロで制作した映画です。
監督は本多猪四郎、特技監督は円谷英二、出演、宝田明、河内桃子、志村喬、平田昭彦でした。
この映画が公開された時、私はまだ満4才で一人では見に行けません。
両親が連れて行ってくれたのか?
それとも3本立て興行の「小春会館」で後日に見たのか記憶があやふやで覚えていません。

「ゴジラ」は大ヒットしてアメリカにも輸出されたらしい。
第一作の「ゴジラ」は後の東宝怪獣映画の路線のように子供向けの映画では無かった。
真面目な大人向けのSF作品だったと思います。
「ゴジラ」の顔は凶悪で獰猛な恐ろしく怖い顔をしていました。
後に子供達の人気者に成る可愛い「ゴジラ」の片鱗も有りません。

当時の世相はアメリカとソ連の軍拡競争の最中で原水爆の実験が反復して行われて放射能の汚染や影響が世界中で恐れらる時代でした。
放射能怪獣「ゴジラ」は実にタイムリーな企画だったのです。

大人向けの映画ですから「ゴジラ」は映画の前半では全く登場しませんでした。
子供には難しいストーリーは解らないのでずいぶん退屈した事を覚えています。
グズって売店のお菓子を買って貰ったのか?

大戸島に「ゴジラ」が出現して東京湾から上陸する。
初めて見る特撮が素晴らしくて現実の出来事かと思い怖かった。

「ゴジラ」が背ビレを震わせて口から放射能を噴出すすると高圧線の鉄塔や送電線は飴のように熔けてしまい燃え上がる。
民家の瓦が一枚ずつ崩れ落ちるシーンや銀座のビルが崩壊し炎上する様子は凄い!
TV塔の上で「ゴジラ」が東京を破壊する実況を中継していたアナウンサーが「ゴジラ」にTV塔ごと倒されて絶叫する。
「ゴジラが近付いて来ます・・・アァァ・・・皆さん・・・サヨウナラ・・・」
有楽町では何も知らない満員の省線電車がガードの上を走って来る。
日劇の前、辺りで「ゴジラ」に踏み潰され大事故が起きてしまう。

自衛隊の戦車や大砲は「ゴジラ」には通用しない。
当時の新鋭ジェット戦闘機「セイバー」のミサイルも敵わないのです。

平田昭彦(芹沢博士?)が研究していた「オキシジェンX」と謂う水中の酸素を一瞬にして破壊する秘密兵器で「ゴジラ」は海中で骨に成る。

映画を見てから当分の間は夜、寝ると「ゴジラ」の夢を見てウナサレました。
他の人達は上手に走って「ゴジラ」から逃げるのに・・・
私だけは思うように走って逃げられない・・・
布団が邪魔で暴れていたらしい(笑

一番、印象に残っている懐かしい映画です。

映画の黄金時代

2005-11-25 08:38:55 | 懐かしの映画
昭和20年代の後半から30年代の前半まで映画は娯楽の王者でした。
TVは高価で普通の家庭はラジオが関の山です。
しかしどんな小さな町にも映画館は有りました。

私が其の頃、住んでいた大阪市近郊のM市にも映画館は沢山有った。
京阪電鉄M駅前の「京阪劇場」、土居商店街の外れにあった「M東映」に「日吉劇場」これらは封切り館です。
家の近所で3本立て興行の「小春会館」すこし辺鄙な場所に「日之出劇場」も有りました。
洋画3本立て興行の「千林セントラル」、洋画の封切館「ミリオン座」・・・本当に沢山の映画館が有ったのです。
映画の栄光に陰りが見えて映画館も少なく成ってしまう・・・
バブル時代の土地狂騒が斜陽の映画館にとどめを討ちました。
今でも健在な映画館は何軒有るのか?
現在流行の綺麗なシネマコンプレックスでの映画鑑賞ではあの頃の興奮は得られません。

中でもよく見に行ったのは近所の「小春会館」です。
大人30円、子供15円の入場料で映画を3本見られて半日遊べる。
銭湯を営んでいたK君の家に遊びに行くと余っている「ビラ下」(映画のポスターを張らして貰うお礼の無料入場券)をよく貰いました。
人気の封切館の「ビラ下」は中々貰えませんが「小春会館」の「ビラ下」で充分です。

2~3枚貰えるので日曜日には近所の仲間を誘って「小春会館」へ行きました。
小遣いを10円~20円握り締めて映画館へと行く道中が楽しい。

映画館の中の売店で好みのお菓子を買い込んで座席に座る。
ニュース映画から予告編そして本編が始まります。
売店で買った「甘納豆」「スルメ」「ノシイカ」「酢昆布」「オカキ」「煎餅」「チューインガム」などをバリボリ、クチャクチャ、ネチャネチャ、仲間と映画を見ながら食べるのは楽しくて幸せでした。

夏場は冷房が無くて暑いのでアイスを舐めたりラムネかミカン水を飲みます。
ジュースを買う余裕は有りませんでした。
ポップコーンは未だ見た事も食べた事も有りません。

上映の途中でフイルムが切れたり続編のフイルムの到着が遅れたりして映画が中断して場内が明るくなるハプニングも度々起きました。
映画のフイルムは自転車やオートバイで映画館から映画館へと専門の運搬人が運んでいたのです。(本当に良く遅れました
待っている間の退屈を持て余し舞台に登って怒られた事も懐かしい思い出です。
「ブーーーッ」という上映開始のブザーが鳴ると大人しく席に戻り映画を見ました。

悪ガキ連ですが常連(ビラ下の招かれざる無料客)なので売店の売り上げには貢献しました。
顔馴染だったので興行が終わった映画のスチール写真も偶には貰えます。
お菓子のブリキ缶に沢山有りましたが今では一枚も有りません。
引越しを重ねる度に捨てられました。

薄暗くてトイレのアンモニヤ臭い映画館で夢中で見たあの頃の「映画」が懐かしい。

タイガー・ランダル銃

2005-11-24 07:55:50 | 懐かしい玩具
其の頃はTVの「拳銃無宿」が大好きでした。

西部の賞金稼ぎジェッシ・ランダル(スティーブ・マックイン)が愛銃「ランダル銃」(ウインチェスター・ライフルの銃身と銃床を短くカットした特製銃)を手にしてお尋ね者を探して旅をする。
西部劇の股旅ものです。

タイガー社からその人気絶大な「ランダル銃」をモデルにした「タイガー・ランダル銃」が新発売されました。
「拳銃無宿」の大フアンだった私は直ぐに飛びつきます。
小売価格は確か300円位だったと思う。
手製のガンベルトに「タイガー・ランダル銃」を装着しテンガロンハットを被った私は路地や広場を駆け回りお尋ね者を探します。(笑
まわりの仲間達も「ランダル銃」を持ち賞金稼ぎだらけで肝心のお尋ね者は居ないのが困る。
アホらしくても夢中でした。

「ジャイアント」など類似品も有ったが「タイガー」のが一番でした。
赤い箱に手描きの「拳銃無宿」が描いてあります・・・

実は「タイガー・ランダル銃」の未使用新品、箱付き、ミントコンディションを一挺持っているのです。
10年ほど昔に古い玩具や模型を探しにあちらこちらと従兄弟と探し歩いていた時に偶々この玩具にめぐり逢ました。
古い玩具店の倉庫の隅に埃を被って眠っていたデットストックです。

忘れていたあの頃の日々が甦る。
毎日が輝いていて心を躍らせた昭和30年代の思い出です。




タイガー・オートマチック

2005-11-23 08:34:40 | 懐かしい玩具
其の頃に「タイガー・オートマチック」と謂う「銀玉」ピストルが発売された。
シャープな形の「モーゼル・HSC」です。
タイガーも関西の会社で旧布施市(現東大阪市)に有りました。
大阪市の生野区や布施市にはプラスティック産業が盛んで軽工業の工場が密集している地域です。

この「タイガー・オートマチック」は「セキデン・オートマチック」と発射機構が異なりました。
セキデンのはバネを縮めてその反発力で発射し「ビヨョ~ン」と独特の発射音が特徴です。
タイガーのはピアノ線を折り曲げてその反発力で発射し「カチッ」「カチッ」と軽快な発射音でした。

「銀玉」ピストルは子供達を魅了し全国的に大流行します。
「セキデン化学」「タイガー」の他にも「ジャイアント」など沢山の後発メーカーが「銀玉」ピストルを発売します。

駄菓子屋や玩具屋の店頭だけで無く少年漫画雑誌の通信販売でも売られていました。