氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

貸本屋~2

2005-12-22 10:22:44 | 懐かしの漫画
「N書房」では漫画本を毎日のように借りた。
其の頃は「貸本屋」専門の版元が有り一般の書店には流通しない「貸本漫画」が有ったのです。

大阪の「日の丸文庫」を覚えている。
水島新司の「番頭はんと丁稚ドン」(TV喜劇の人気番組)を読んだ覚えが有る。

前谷惟光の「ロボット三等兵」や「火星の八ちゃん」「落語漫画」などのフアンでした。

小島剛夕が連載していた「怪談」はシリーズで何冊も有った。

白土三平の「忍者武芸帳」や「サスケ」もよく読んだ。

長谷川町子の「サザエさん」「似た者一家」もよく借りた。

手塚治虫の「鉄腕アトム」横山光輝の「鉄人28号」武内つなよしの「赤胴鈴之助」「少年ジェット」桑田次郎の「まぼろし探偵」「月光仮面」河島光広の「ビリーパック」などはハードカバーでしっかりした製本の「貸本」でした。

水木茂の「墓場鬼太郎」や「河童の三平」もよく借りた。
水木茂が編集していた「少年戦記」などの戦記物や戦争物も好きでした。

劇画集団の「街」や「摩天楼」など分厚いハードボイルドもよく借りた。

月刊漫画誌も借りたけれど漫画週刊誌は未だ発刊されていない頃です。
サイクルが1ヶ月単位ののんびりしていた頃の話です。

「貸本漫画」はやがて「紙芝居」のように終焉を迎え壊滅する。
「紙芝居作者」~「貸本漫画作家」~「漫画家」へと不死鳥のように変身を遂げた「水木茂」の大フアンです。

週刊少年サンデー

2005-07-28 09:49:03 | 懐かしの漫画
昭和34年4月に小学館から「週刊少年サンデー」が創刊された。
「週刊少年マガジン」に遅れる事1ヶ月での慌ただしさです。
表紙は読売巨人軍の人気者、長嶋茂雄だった。

寺田ヒロオの「スポーツマン金太郎」を覚えています。
赤塚不二夫の「おそ松くん」が大人気になりました。
藤子不二雄の「海の皇子」も地味でしたが連載されています。
手塚治虫の「ゼロマン」も人気がありました。
横山光輝の「伊賀の影丸」も連載される。

月刊漫画誌の時代は終焉を迎え週刊漫画誌の時代と成ります。
此処から先の漫画にはあまり懐かしさを感じません。
他にも貸本漫画の時代も有りましたがまた別の機会に書きます。

週刊少年マガジン

2005-07-27 09:56:41 | 懐かしの漫画
昭和34年3月に講談社から「週刊少年マガジン」が創刊されました。
たしか定価は30円だった記憶が有ります。
表紙は当時人気の朝潮太郎関でした。
月刊漫画誌から週刊漫画誌へのエポックメーカーが「週刊少年マガジン」です。

ちばてつやの「ちかいの魔球」を思い出しました。
石森章太郎の「怪傑ハリマオ」は人気が出て昭和35年4月からTVドラマ(実写)で放映されます。
主題歌は「真っ赤な~太陽~燃えている~」でした。
東南アジアのマレー半島が舞台なのにオール国内ロケです。

桑田次郎の「8マン」も人気が出てTVアニメにも成りますが「伊賀の影丸」同様其の頃には興味が他に移り漫画もTVも見ていません。

ぼくら

2005-07-26 10:03:52 | 懐かしの漫画
講談社から発行されていた「ぼくら」も読みました。
高野よしてるの「木刀くん」を覚えています。

昭和34年2月から連載が始まった武内つなよしの「少年ジェット」は大人気に成りました。
少年ジェットこと北村健は愛犬シェーンと共に怪事件を解決します。
武器はミラクルボイス(ウ~ヤ~タ~の掛け声で波動が出る)とスーパーコルト(殺傷能力は無いスタンガン様の拳銃)とスクーター(富士重工のラビット号?)だった。
昭和34年3月からTVドラマ(実写)でも放映され日本中に大流行します。
主題歌は「勇気だ~力だ~誰にも負けない~この意気だ~」でした。
まぼろし探偵の黄色いマフラーに対抗してか少年ジェットは白いマフラーです。
TVはモノクロの時代ですが漫画の印刷で色は解りました。
少年ジェットの真似をして自転車に嫌がる犬を無理やり引っ張って転倒し大怪我をした子供もいます。(私では有りません)

伊藤章夫の「狼少年ケン」も昭和38年11月からTVアニメとして放映され人気が有りました。
しかし我々団塊の世代は漫画やアニメは卒業して模型や他の趣味に移っていたので漫画誌もTVアニメも見ては居ません。

成人してからあの頃の漫画誌が懐かしくて古書店や古書市を訪ね探しましたが有りませんでした。
偶に有れば馬鹿げた高価格でとても手が出ません。
それでも何冊かは泣き泣き手に入れました。
ブリキ玩具の鉄人28号や鉄腕アトム、少年ジェット、まぼろし探偵なども6桁の価格が付いています。
まるでトイバブルでは有りませんか?

少年画報

2005-07-25 11:00:49 | 懐かしの漫画
冒険活劇文庫が「少年画報」に改題され版元も少年画報社に改組される。
私は人気漫画が目白押しの「少年画報」も良く読みました。

昭和29年に連載が始まった福井英一の「赤胴鈴之助」は作者の急死により竹内つなよしにバトンタッチされる。
最初は竹内つなよしの画に戸惑ったがやがて大人気となった。
「赤胴鈴之助」は昭和32年1月にはラジオでも放送され、10月にはTVでも放映が始まる。
剣~を取っては~日本~いちの~」の主題歌が日本全国で大流行した。
福井英一氏の御冥福を祈ります。

桑田次郎の「少年探偵王 まぼろし探偵」も人気があった。
河島光広の「ビリーパック」、堀江卓の「天馬天平」も読んだ記憶がある。

手塚治虫の「スーパー太平記」は少し変わったSF物で好きでした。
時間旅行社の夫婦がタイムマシンの故障で幼児を江戸時代に置き去りにする。
其の子供が成長し奉公先で苦労して酒樽や丸木で戦車のような物を作り怪物と戦う。
そんなストーリーだったと思います。

昭和38年には「少年画報」は廃刊になり「週刊少年キング」に変身する。
月刊少年漫画誌の終焉の時代です。

漫画王

2005-07-24 10:15:09 | 懐かしの漫画
秋田書店から発行されていた「冒険王」の姉妹誌「漫画王」も読んでいた。
「漫画王」は「冒険王」より新しく創刊された記憶がある。
手塚治虫の「ぼくのそんごくう」が連載されていて人気があった。

私はうしおそうじ(鷺巣富雄 さぎすとみお)の「朱房の小天狗」に懐かしい思い出がある。
時代劇の捕り物帳で怪事件を朱房の十手を持った主人公(少年)が解決してゆく。
手抜きの無い綺麗な描写が好きでした。
私は親にねだり紫の房が付いた鉄製の十手(銀色で重かった)を買ってもらう。
母親に紫の房を朱色の房に付け替えて貰い得意だった。
チャンバラ遊びでは「朱房の小天狗」に成りきっていたのです。

漫画家のうしおそうじは後のピープロの社長鷺巣富雄氏の若年時代である。
ピープロは特撮TV映画のプロダクションで40代の人達には懐かしい番組を制作していた。
因みにピープロ作品は「マグマ大使」「スペクトルマン」「怪傑ライオン丸」「怪獣王子」「鉄人タイガーセブン」「電人ザボーガー」「宇宙猿人ゴリ」などです。
ピープロ作品は円谷プロとは一味違うB級特撮映画の雰囲気がある。
そのB級とは褒め言葉で私の心からの賛辞です。
今時のCGを駆使した特撮には無い味がありました。

残念ながらこれらの作品は年代が異なりほとんど真剣には見ていません。

冒険王

2005-07-23 09:51:22 | 懐かしの漫画
秋田書店から発行されていた「冒険王」も読んでいた。

絵物語では福島鉄次の「砂漠の魔王」が人気です。
漫画では福井英一の「イガグリ君」が柔道物の先駆けとして大流行した。
しかし昭和29年に天才漫画家福井英一は惜しくも亡くなります。

手塚治虫の「冒険狂時代」「前世紀LOST WORLD」「魔人ガロン」などが連載された。
なかでも「魔人ガロン」は悪役ロボットで大人気です。

親戚の人からブリキの魔人ガロンを買って貰った思い出がありますが・・・
ブリキの鉄人28号の型に無理やりにガロンの顔をプリントした玩具で面白くなかった。
そういえば小さい時から些事に拘る変な子供だったのですね。
大人から見たらなんと嫌な子供でしょう。反省(手遅れ)

おもしろブック

2005-07-22 10:17:12 | 懐かしの漫画
集英社から発行されていた「おもしろブック」も好きだった。
絵物語で著名な山川惣治の「少年王者」が記憶にあります。
馬場のぼるの「ポストくん」はほのぼの漫画でした。
益子かつみの「白星くん」は相撲漫画だったと思う。
手塚治虫の「大洪水時代」は別冊付録で読んだ思い出がある。
「地球大戦」は連載だったかもしれない?
なかでも杉浦茂の「猿飛佐助」が大のお気に入りでした。

杉浦茂はナンセンスギャグ漫画の第一人者で大フアァンです。
他の作品は「冒険ベンちゃん」「弾丸トミー」「ドロンちび丸」「少年西遊記」「モヒカン族の最後」「水戸黄門漫遊記」「八百八たぬき」「太閤記」「ゼロ人間」などがある。
漫画の場面がシュールなタッチに急変したり矢鱈と食事や食べ物が登場した。
杉浦茂の影響を受けた漫画家はとても多いと聞いています。
長寿を全うした偉大な漫画家でした。

「おもしろブック」は集英社の方針で昭和35年に「少年ブック」に改題されます。
昭和34年に週刊漫画の「少年マガジン」「少年サンデー」が創刊されました。
それが月刊漫画誌の売れ行きに影響されたのが原因かもしれません?

あの頃の漫画に郷愁を感じて堪らない頃日です。

少年クラブ

2005-07-21 10:42:52 | 懐かしの漫画
「少年」を購読していたのだが講談社が発行していた「少年クラブ」に変えた。

其の理由は昭和33年2月にTV放映された川内康範作の「月光仮面」だった。
大人気のTV番組「月光仮面」を桑田次郎の画で「少年クラブ」が5月から連載を始めたのです。
7月には劇場映画でも公開されたが主役がTV番組と異なり変に思った。
月光仮面は僕らの心を捉えて大人気のヒーローになる。
偶然にも私の本名が「月光仮面」の字面と似ていました。
学校の名札の名前の最初の字を手で隠すと・・・「月光太朗」に成るのです!
白枠のサングラスにブリキの百連発ピストルを持ち風呂敷のマントを自転車に乗って翻しながら「月よりの使者~月光太朗参上~」と遊びまくっていたのです。

6月号からは前谷惟光の「ロボット三等兵」も連載が始まった。
前谷惟光は貸本漫画で人気があり「極楽コンビ」(ローレル、ハーデイのパロデイ)「火星の八ちゃん」「ロボットシリーズ」「落語漫画」などを愛読したフアンです。
前谷惟光は戦時中「ビルマ、インパール作戦」に従軍し負け戦の飢餓地獄を彷徨い九死に一生を得てガリガリに痩せ衰え復員した体験者だった。
代表作の「ロボット三等兵」は戦争を茶化して皮肉ったギャグ漫画です。
戦車がロボット三等兵の操縦で兵舎の風呂に入ったりロボット三等兵より軍用犬や伝書鳩が階級が上で犬や鳩に馬鹿にされたり荒唐無稽で面白かった。
ロボットを作ったトッピ博士も頑固な因業爺でマッドサイエンティストです。
前谷惟光はシュールでアナーキーな偉大な漫画家でした。
そんな前谷惟光の大ファンです。

昭和31年1月から連載された山根赤鬼の「よたろう君」も好きでした。
弟の「きんぼう」やおしゃまな「ちゃこ」、神田の「たけぼう」が繰り広げる騒動や日常が中心の
ギャグ漫画で「少年クラブ」の名物男です。
作者には山根青鬼という双子の兄弟がいました。

時代は前後しますが手塚治虫の「ロック冒険記」「ケン1探偵長」「旋風Z」も連載されていた。
何故だか私は手塚治虫はあまり好きでは有りませんでした。

「少年」

2005-07-20 10:34:35 | 懐かしの漫画
私が愛読していた月刊漫画誌は光文社発行の「少年」です。
掲載されていたのは手塚治虫の「鉄腕アトム」横山光輝の「鉄人28号」が有名で大流行した。
初期にはTVの実写版(アニメでは無く俳優が演技した)にもなります。
(アニメは昭和38年に「鉄腕アトム」が国産初のTVで放映)

ブリキの玩具のアトムや鉄人28号は大人気で爆発的なブームになった。
筆箱や鉛筆などの文房具や日用品から雑貨までアトムや鉄人28号が意匠として使われる。
戦後初めてのキャラクターブームの始まりだった。
「少年」の後期には白土三平の「サスケ」が流行の忍者物で人気がでる。
私ら団塊の世代はもう少し早く玩具やキャラクターとは卒業していたので横目で見るだけでした。

他には堀江卓の「矢車剣之助」も覚えています。
剣士なのに2挺拳銃(リボルバー6連発)を持っていて際限無く弾丸が出る。
弾込めしないのに弾が無くならないし不思議だった。
わちさんぺいの「ナガシマくん」もほのぼのとした野球漫画で好きです。
たしかお父さんが床屋さんだった。

余談ですが光文社のシネコルト(ピストル型幻灯機)にはがっかりです。
「少年」誌上で毎回宣伝し懸賞の商品にもなっていたが当選しない。
小遣いを貯めて買ったのだが幻滅した。(宣伝のように壁に大きく写らない)
直ぐに壊れてしまい最悪です。
今から思えば此れが通信販売を信用出来なくなった原点だった。