氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

影踏み遊び

2007-05-28 10:50:11 | 懐かしい遊び
夏日のような天気が続き影が段々と短く成ってきます。
影を見ながら歩いていて懐かしい遊びを思い出しました。
それは・・・「影踏み遊び」・・・

幼い頃の夕方に長く伸びた影を踏みあう「影鬼?」遊びです。
日中の影の短い時にはしなかった。
冬の陽だまりではしたような記憶がある。

最近の子供達は「影踏み遊び」なんかはしないのだろう見た事が無い。
若いお父さんやお母さんも遊んだ事が無いのでしょうな・・・

初夏の夕方に蝙蝠が飛び交う街角で夢中になって影を踏みあった懐かしい
思い出です。

三角ベース

2006-06-11 09:31:18 | 懐かしい遊び
「三角ベース」は「原ッパ」や「広場」でチームに分かれて遊びました。
ボールは「ソフトボール」でバットやグローブを使い本格的です。

一番古い記憶は「ゴムマリ」で「竹のバット」で素手でした「三角ベース」でした。
「竹のバット」は軽くて振り回し易い。
まともに当たると驚く位よく飛びます。
古い「ゴムマリ」だと真っ二つに割れる事も有りました。
「ゴムマリ」が割れたり無くしたりしたら・・・ゲーム終了。
貴重なボールでした。

ワンパン野球

2006-06-10 10:40:26 | 懐かしい遊び
昭和30年代の初め「ワンパン野球」に熱中しました。
「三角ベース(一塁三塁本塁の簡易野球)」のもっと簡単な野球です。
道具は「庭球(ゴムマリ)」一個でバットもグローブも要りません。

必要な人数も何人からでも遊べます。
空き地や路地の狭い所でも可能な野球でした。

バッターはボールを左手で持ち地面に落とす・・・
跳ね返って来るボールを右手の拳で打ちました。
左利き(ギッチョ)はこれの逆です。

ボールを落としてから打つので「ワンパン野球」(ワンバウンドの意味か?)と称し夢中になりました。


コリントゲーム

2006-01-11 09:56:53 | 懐かしい遊び
あの頃に夢中で遊んだ玩具に「コリントゲーム」が有りました。
「コリントゲーム」はピンボールマシンの素朴な物です。
謂わば「スマートボール」の簡易な家庭で遊べる玩具でした。

高価な「コリントゲーム」は輸入物が多かった。
木製の盤面にパチンコ台のように釘が沢山打って有ります。
パチンコ台を水平に置いて「ピンボール」のように玉を打ち出して遊ぶ。

玉は「ビー玉」か「鉄球」をバネで弾いて打ち出し玉の入った場所で得点が異なる。
素朴な手動の遊びでしたが夢中に成りました。
大きくなって「コリントゲーム」を自作した事も懐かしい思い出です。

大きな木の板に釘を沢山打ち付けて「ビー玉」が通るガイドを作る。
「ビー玉」を受ける場所を沢山作り「ヒット」「2塁打」「3塁打」「ホームラン」「ファール」「アウト」の名前を書く。

「コリントゲーム」の「野球盤」です。
近所の友達と得点を競い夢中で「コリントゲーム」に興じました。
「コリントゲーム」がとても懐かしい。

双六

2006-01-10 08:17:16 | 懐かしい遊び
「福笑い」で思い出したが「双六(すごろく)」でも良く遊んだ。
あの頃の「漫画雑誌」や「学習誌」の12月号や新年特大号の「付録」に必ず付いています。

オーソドックスな「双六」は「大阪」~「東京」の「汽車の旅」などで「東京」が上がりでした。
「サイコロ」を振って「出目」の数だけ進み上がりを競う伝統的な遊びです。
停まった場所によっては「一回休み」や「3コマ戻る」など中々前進出来ないように成っている。

「双六」の種類は「野球双六」「宇宙双六」「宝島双六」などあの頃の世相も反映しています。
ソ連とアメリカの「人工衛星」が打ち上げられ宇宙競争に火が付いていました。
「空飛ぶ円盤」の特集や「月世界探検」なども「漫画雑誌」のグラビアを飾りました。
「宇宙双六」は「人工衛星」「月世界」「宇宙ステーション」「ロケット」などが描かれていて世相が伺えます。

「野球双六」は勿論「巨人軍」で「川上」「与那嶺」「水原」でした。
「長嶋」が「立教大学」から「巨人軍」に入団した頃の時代です。

「宝島双六」は「海賊キッド」の財宝が隠してある「宝島」が上がりで「南洋の宝島」まで行く道中の様々な冒険を楽しむのです。

素朴なロールプレイングゲームの原形かも?
市販のボードゲームが流行するまでは「双六」で楽しんだものです。


福笑い

2006-01-09 10:46:18 | 懐かしい遊び
あの頃(昭和20年代~30年代半ば)の「お正月」には家族で遊べる「福笑い」を良くしました。
「福笑い」は紙に書いた「オカメ」の顔の輪郭に「眉毛」「眼」「鼻」「口」の紙で出来ているパーツを「目隠し」して置き出来上がりを競う遊びです。

わざわざ店で買うのではなく「漫画雑誌」の「付録」や「薬屋」の「景品」で貰える物でした。
「目隠し」して凡その見当で「目鼻」を置くので出来上がった「オカメ」の顔は面白くて滑稽です。
今のTVゲームで遊ぶ子供達には想像出来ない素朴な遊びですが面白かった。

そう言えば「福笑い」に興じた頃は未だTVが茶の間に無かった頃です。
「炬燵」の上に置いた「福笑い」で遊んだ頃はラジオしか有りません。
「炬燵」も「電器炬燵」は未だ無く「木製の櫓炬燵」でした。

「電器炬燵」(赤外線ヒーター)を東芝が新発売したのは昭和32年頃です。
「電器炬燵」は大きくて「赤外線ヒーター」が天板に付いているので「炬燵」の中に足を自由に入れられ快適でした。
昔の「櫓炬燵」は「炬燵」の真ん中に木製の櫓(やぐら)が有り其の中に焼き物で出来た「行火(あんか)」に「炭」や「豆炭」を入れて「炬燵布団」を掛けて暖を取る物です。
足を入れても真ん中に「櫓」が有る為に足を自由に延ばせない不便な「炬燵」でした。
便利で快適な「電器炬燵」は革命です。

この頃から高度成長が始まり日本は劇的に変化します。

あぶり出し

2005-12-30 11:06:44 | 懐かしい遊び
家に「火鉢」が有った頃の思い出です。
私は「火鉢」にへばり付いて本を読みながらミカンやお餅を食べるのが大好きでした。

其の頃の「月刊漫画誌」には人気の「少年探偵団」や「忍者物」が掲載されています。
その特集記事で「暗号」や「秘密の手紙」「財宝の隠し場所の地図」を書く時に他人に秘密を知られないように「あぶり出し」を書く事を知りました。

お手軽な「あぶり出し」は「ミカンの絞り汁」を浸した筆で絵や文字を書き乾かすと何も見えなくる簡単な物です。
その紙を燃えないように火にかざすと茶色くなった絵や文字が浮かび上がる。

何でもやりたがる好奇心旺盛な私は早速に挑戦します。
スッパイミカンを絞り汁をお皿に溜めて筆で「あぶり出し」を書きました。
乾くと何も見えません。
「火鉢」の火に「あぶり出し」をかざすと茶色の文字が浮かび上がる・・・

上手く書けましたが「暗号」を書いて渡す相手は居ません。
それに「財宝」や「宝の隠し場所」も有りませんでした。

最近のミカンは水臭いのは有るけれどスッパイミカンは有りません。
「あぶり出しで」遊んだあの頃が懐かしい。

せっせっせ

2005-11-09 08:38:22 | 懐かしい遊び
これも女の子の遊びですが「せっせっせ」を母に教えて貰った。
向かい合って歌いながら手と手をリズムよく打ち合わす遊びです。
標準的な歌はお馴染みの「せっせっせ~のよいよいよい~夏も~近付く~八十八夜~ あれに見えるは~茶摘じゃ~ないか・・・」でした。

母は満州のハルピンで友達に成った鹿児島の女性に教えて貰った歌を唄う。
一掛けニ掛け三掛けて~四掛けて五掛けて~橋架けて~橋の~欄干手を腰に~遥か向こうを眺めれば・・・」
長い歌ですから忘れましたが、西南戦争で亡くなられた維新の英雄、西郷南州翁の歌だそうです。

表で遊べない時には「せっせっせ」をして遊んでくれました。

あやとり

2005-11-08 09:47:24 | 懐かしい遊び
太い毛糸の要らない糸を母に貰い「あやとり」をして遊んだ。
最初は母に教えて貰ったのだが難しくて中々覚えられない。
母が見本を見せてくれた一人遊びの「あやとり」は手品のようで驚いた。
両手の指にからませた毛糸が指を潜ったり引っ掛けたり魔法の様です。
川になり星になり、橋になり梯子に成った・・・
簡単な基本でも覚えられない。

二人遊びの「あやとり」もどの糸をこの指でと指示して貰わなくては出来ません。
私が取ったら糸は無残にも縺れたり形を現さなかった。
根気が無くて上手に出来ないと止めてしまう。
これから数多く経験した挫折の最初の思い出です。

しかし女の子達はどんなに不器用な子も「あやとり」は上手でした。
今でも不思議に思います。

おはじき

2005-11-07 07:55:45 | 懐かしい遊び
駄菓子屋で薄緑色の薄いガラス製の「おはじき」を買った。
「おはじき」は女の子が遊ぶビー玉のような物です。
家の中の板の間や畳の上で遊びました。
男も女も「おはじき」で遊ぶ時にはビー玉のように賭け事はしなかったように思う。
「おはじき」はビー玉に比べて安かった。

雨の日や冬の寒くて表で遊べない時の暇つぶしの遊びです。
男女が一緒に遊べる数少ない遊びの一つでした。