氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

夢の話~3

2006-02-20 10:07:23 | 懐かし商店街
何度も同じ夢を見るのがもう一つ有る。
其の夢はやはり昔の商店街を彷徨いとある本屋に入るのです。
その本屋は貸本屋と古本屋を兼業しているようなお店でした。

懐かしい貸本漫画が棚に並んでいます。
水木茂の「ロケットマン」が有りました。
前谷惟光の「火星の八っちゃん」に「ロボット三等兵」が有ります。
杉浦茂の「ドロンちび丸」に「猿飛佐助」も有る。
手塚治虫の「新宝島」に「ロストワールド」・・・探していたのに見付らなかった。

月刊漫画誌も「おもしろブック」「少年クラブ」「少年」「漫画王」「冒険王」「少年画報」「ぼくら」・・・あの頃の本が勢ぞろい

昔はこんな夢を見て悔しい思いで目覚めました。
探していても見つけられない欲求不満がこんな夢を見るのだと思い込んでいたのです。

最近は少し考え方が変化してきました。
別に買い込んで自分の所有物にしなくとも好いのでは?
だから休日にも探し回る事を止めました。
「夢の中の懐かしい商店街は私の物なのです。」


夢の話~2

2006-02-19 11:34:32 | 懐かし商店街
何処とも判らない地方都市の裏町の横町を曲がる度に古臭い建物が残る地域へと進むと・・・其処はもう私の夢の中の「懐かしい商店街」です。

頭の中のアンテナはアラームを鳴らしお目当ての店が近くに存在すると知らせてくれる。
街角を曲がりふと見ると其処には古ぼけた文房具と模型を扱う店が有ります。

「マルサン」のプラモデル「昆虫の不思議」や「忠実な犬」が埃を被って飾って有る。
「タミヤ」の「ビッグジョット」も有るではないか
棚には「三共」のピーナッツシリーズが積んで有ります。

ガラスのショーケースには「カツミ」の0ゲージの電関や貨車に客車・・・ブリキの3本レールや「ポイント」に「信号機」が有る。
其の奥には「駅舎」や「プラットホーム」に「踏み切り」が有ります。
「鉄橋」も「トンネル」も有る・・・探していたけど見つからなかった物が勢ぞろい。

夢なら覚めないでくれ
頭の中には有る歌がエンドレスで流れています・・・

探し物は~何ですか?~見つけにくい物ですか?・・・夢の中へ~夢の中へ~行ってみたいと思いませんか?~ウフ~フ・・・ウフ~フ・・・ウフ~フ・・・サァ~ア~

まだまだ~探す氣ですか?~探す事を辞めた時~見つかる事も~良くある話で・・・夢の中へ~夢の中へ~行ってみたいと思いませんか?~ウフ~フ・・・ウフ~フ・・・ウフ~フ・・・サァ~ア~

ウフ~フ 最近は寝るのが楽しみに成りました。

夢の話

2006-02-18 10:38:49 | 懐かし商店街
ブログで懐かしい話や昔の話ばかり書いているので変な夢をよくみる。
もう15年位昔の話だが休日になれば従兄弟と車で古い模型屋と玩具屋を探して和歌山県や大阪府下へ探索のドライブに出かけた。
余り掘り出し物には出会わないが偶には素晴らしい玩具や模型に出会います。
その興奮が忘れられず車で彼方此方と彷徨いました。

其の夢は何処とも判らない地方都市の裏町が舞台です。
横町を曲がる度に古臭い建物が残る地域へと進む・・・
頭の中の掘り出し物に出会うアンテナは先程からアラームを鳴らしまくる。

これは夢だけでは無く現実に何度も体験している事実で古い玩具や模型の波長を捉えるのが敏感なのです。

街角を曲がると古ぼけた玩具屋が有りました。
店の奥の棚にはロボットや自動車が飾って有ります。
「アトミックロボット」に「ロビー」が有りました。
定価は昔の儘です・・・
「マルサン」の「キャデラック」に「バンダイ」の「赤箱」もシリーズで有る。
喉がカラカラに渇き心臓の鼓動はバクバクし汗がダラダラ流れます。

店主のオジサンは「みーんな売れ残りだから・・・安くします」と嬉しい事を言ってくれる。
目ぼしい物をダンボール箱に入れてもらい御勘定をして貰います。
なんと全部で2000円足らず。
喜んで10000円札を払うとオジサンは怪訝な顔をして「10000円札なんて!こんな玩具の御札は通用しませんよ!ご冗談はお止め下さい」と受け取りません。
千円札を出しても「こんな1000円は見た事が無い」と言って受け取りません。
500円玉も100円玉も駄目でした。
かろうじて10円玉だけが通用します。

私は奇怪で不思議な話だと悩みふと帳場のカレンダーを見ると・・・
なんと昭和33年では有りませんか
何時の間にかタイムスリップしていたのです。
現在のお金が通用するはずは有りません。
其の頃から変わらないのは10円玉と5円玉だけです。
欲しかった玩具は手に入らずガッカリした処で夢から覚めるのでした。

たとえ夢の中と雖も懐かしい商店街に出かけられて幸せです。

赤外線いか焼

2006-02-17 10:16:09 | 懐かし商店街
「赤外線いか焼」の暖簾や幟が商店街に翻る・・・
昭和30年代の半ばに「赤外線いか焼機」が開発発売され大阪の商店街にお店が開店した。
「たこ焼屋」や「回転焼(今川焼)屋」さんが兼業する店が多かった。

「赤外線いか焼」は従来の鉄板とは異なり上下両面の鉄板にガスバーナーが仕込んで有る画期的な優れ物です。
いかの切り身と溶いたメリケン粉を鉄板に置き卵を1個入れ上の鉄板ではさむ。
上下の鉄板の先にはテコが有り其の先を金具で留める。
両面から押さえ込まれた「いか焼」は「ジュ~ッキュッキュッ~キュ~ッ」と美味しそうな音をたてて香ばしく直ぐに焼き揚がります。

「赤外線いか焼」は卵入りで一枚30円位でした。
ソースと相性は抜群で大フアンです。
今でも大阪のデパ地下では行列するくらいの人気商品に成りました。

何処が「赤外線」なのか良く判りません・・・
あの頃に「赤外線コタツ」が人気商品に成ったので名前をパクッたのが所以か?
「赤外線いか焼」は大阪の懐かしい長寿商品です。


下駄屋

2006-01-16 09:48:22 | 懐かし商店街
「下駄」を履かなくなって何年経つだろう?
子供の頃には「下駄」が日常の履物でした。
商店街には「下駄屋」があり「靴屋」とは全く別です。

「下駄」を履く時には「靴下」では無く「足袋」を履いていました。
冬には「別珍(ベッチン)」や「コールテン」の「足袋」を履いていた思い出が有る。
「別珍」は綿ビロードで光沢が有る生地で「足袋」や「鼻緒」に使われた生地の名前です。
「コールテン」も綿ビロードで「別珍」に畝をつけた生地の名前です。

「下駄屋」の前で「鼻緒」をすげるところや「雨下駄」に「爪皮」をつけるところなどを飽きもせずに見物しました。

「下駄」を飛ばして天気を占ったあの頃が懐かしい。


貸本屋

2005-12-21 10:06:00 | 懐かし商店街
昭和30年代の初め頃まで「貸本屋」は大人気でした。
家の近所にも3軒の「貸本屋」が有ります。
中でも家から50m位離れた「N書房」が贔屓でした。

「N書房」は綺麗なオバサンが店主でオバサンの妹も偶に店番をしていた。
何故に贔屓だったかと言えば「貸本」が綺麗で破損も丁寧に修理してあったからです。
他の店の「貸本」は汚くて借りる気がしません。
子供のくせに綺麗好きだったのです。
「貸本」が敗れていたり、ページの間にセンベイの破片やミカンの皮など雑多な物が入っている・・・

「N書房」のオバサンは店番をしながら棚を整理したり掃除をし「貸本」の修理をする。
新刊書が店に来ると千枚通しで本に穴を開けてタコ糸でかがり表紙に硫酸紙で丁寧にカバーをかけます。
アイロンで皺を伸ばし綺麗な本に出来上がる。

近所のオバサンの噂話では「N書房」は「お妾」さんだと言っています。
私は「お妾」さんの意味が解りません。
余り好くない意味だとなんとなく理解しましたが誰にも聞けませんでした。
「N書房」には偶に金縁眼鏡でチョビ髭をはやしたオヤジが店の奥から顔を出す事があります。
子供達に愛想が悪く嫌なオヤジでした。
そのオヤジは「猟奇」だの「夫婦生活」など助平な本ばかり見てる「エロオヤジ」です。

「N書房」では毎日十円玉を握り締めて色々な本を借りました。
続きは又明日。

豆腐屋のラッパ

2005-12-13 10:02:21 | 懐かし商店街
昭和30年代の中頃に近所の商店街に「K豆腐店」が有りました。
朝早くから豆腐を作り油揚げや飛龍頭(ひろうす、ガンモドキ)も店で作り大きな鍋で揚げています。

夕方になると息子(私より年長の友人)が運搬車の荷台に豆腐や油揚げ、飛龍頭などを積み込んで街へ外売りに出かける。
真鍮の小さなラッパを「プゥ~プゥ~プゥ・・・」と鳴らしながら霜焼けで赤く腫上がった手でハンドルを握り売りに来ます。
腰には市車やバスの車掌さんが持つような皮のカバン(大きなガマグチの様な)に売り上げを入れている。

近所の散髪屋で漫画の本を読んでいると(散髪する時以外にも遊びに行っていた。)自転車を停めてサボりに来る。
其の頃の散髪屋はまるでサロンのような役割もしています。
町内の暇人が将棋を指したり噂話や煙草を吸いに立ち寄る。
勿論、散髪もして貰うのですがせいぜい月に一回位です。

暇な私はKが煙草を吸ってサボッっている間にラッパを吹いて近所を廻る・・・
プゥ~プゥ~プゥ・・・」
ラッパを聴きつけた近所のオバサン達が散髪屋の店先へ豆腐や油揚げを買いに来ます。
Kは帰り際に油揚げや飛龍頭を新聞紙に包んでくれました。
油揚げや飛龍頭を甘辛く煮付けたのは今でも大好物です。

蝙蝠が飛び交う夕暮れの街と「豆腐屋のラッパの音」が懐かしい・・・

焼芋屋?氷屋?

2005-12-05 10:29:10 | 懐かし商店街
或る時には「焼芋屋」・・・また或る時には「氷屋」・・・また或る時には「炭屋」・・・また或る時には「冷やし飴屋」・・・しかして其の実態は?
あの頃の商店街には季節によって商売を器用に変えるお店が有った。
まるで多羅尾伴内のように「七つの顔」を持つ不思議な店です。

寒くなれば「薪」「炭」「練炭」「豆炭」を売る傍ら「焼芋」を販売する。
なかには「焼芋」が「回転焼」(今川焼、太鼓焼)や「たこ焼」を商う店も有ります。
暖かくなれば「冷やし飴」や「ジュース」に変わり夏が来れば「アイス」や「氷」を商う。
「練炭」や「氷」は魚屋や食堂なんかが通年に渡り配達して貰っていた。

今頃の季節の店頭には大きな壷焼きの釜が有り「焼芋」の香ばしい香りがする。
夏場の店頭には「氷」の旗が翻り叔母さんが「掻き氷」を売っている。
店先でも食べられたし注文で出前もしてくれる。
出前用の岡持ちに入れて家まで届けてくれた。

「アイス」や「アイスモナカ」に「冷やし飴」「冷やしコーヒー」「ラムネ」も売っていた。
多角経営と言うかカメレオンと言うか季節にさり気なく溶け込んだ忍者のような店です。

店の叔父さんは夏になれば素肌に手拭で作ったノースリーブのシャツを着て赤いリヤカーを改造した三輪自転車に氷を積んで配達します。
両肩から二の腕と背中には「桜散しに金太郎の鯉掴み」の刺青が有り得意顔です。
秋から冬と春は自慢の薄着が出来ないので元気が有りません。

あんな叔父さんが町内を配達していた時代には小学生が連続して殺されるような悲惨な事件は起りませんでした。
あの頃が懐かしい・・・

洋菓子店のケーキ

2005-12-02 09:43:42 | 懐かし商店街
近所の商店街の洋菓子店で進物用の箱にケーキを詰めて貰い親戚へ遊びに行く・・・楽しみでした。
今のケーキのように生クリームでは無かった。
それにフレッシュフルーツも無かったように思う?
安物のケーキしか買えなかった所為かもしれません。

其の頃のケーキはスポンジの上にバタークリームがのっていました。
白いバタークリームやピンク、ブルー、イエローなどのバタークリームでバラの花や渦巻き模様がデコレーションして有る。
ショートケーキやロールケーキも同じです。
赤やオレンジ色の果物モドキがのっている。
仁丹のような甘い銀の小粒も沢山ちりばめて有りました。

職人さんが焼きあがったスポンジの上にバタークリームで飾り付けをしている。
甘い香りの漂う店の中でケーキを選ぶのはワクワクしました。
バタークリームの甘い香りと堅めのスポンジで造られたショートケーキが大好きです。

冷蔵機器も発達していないあの頃は日持ちがするバタークリームが主流でした。
何時の頃からか生クリームがケーキの中心に成ります。
生クリームの水分で湿ったスポンジのショートケーキは不味い!
今の洋菓子はそんな理由で食べません。

もう一度あの頃のバタークリームのケーキが食べたいです。

精肉店のコロッケ

2005-11-28 10:22:28 | 懐かし商店街
商店街や市場で精肉店の店頭で揚げていた「精肉店のコロッケ」が大好きでした。
学校帰りに道草をくい土居公園でレンドセルを隠して仲間と遊び呆けます。
夕方になってあわてて家へ帰ろうと思い立つ。
しかしお腹の虫が「グゥ~ッ」と鳴いたら家まで辛抱出来ません。
駄菓子屋のお菓子は腹の虫を宥めるのには役不足です。

公園の横に有る公設市場の精肉店から揚げ物の良い香りがプ~ンと匂って来ると堪りませんでした。
顔馴染の肉屋のオッチャンに「コロッケひとつちょうだい!食べながら帰る ソースいっぱいつけといてや!」言いながら5円玉を一個渡します。

オッチャンは緑色の包装紙に揚げたてでホッカホカのコロッケを包むとサービスのソースを上手に付けて渡してくれる。
お金を持たない時でもツケで買えました。(それも帳面なしで!
暖かいコロッケはラードの好い香りでそれは美味しかった。

そう言えば昭和30年代初めはコロッケ1個が5円だったのです。
大好きな杉浦茂の漫画にも「コロッケ5円之助」なんていう人物も登場します。
何時の頃かコロッケが10円になり(多分東京オリンピックの昭和39年頃)色々な物価が急騰しました。

ちなみにメンチカツは10円、トンカツは50円、ビフカツは50円~100円だったと思います。
晩御飯のオカズにする時にはビフカツを70円とか80円とか好みの注文に応じて大きな肉の塊から切って衣を付けてその場で揚げてくれました。
「ミッチャン!お腹すいたやろ これ食べて待っといてや」 
待っている間にオッチャンはコロッケをオマケにくれます。
食いしん坊の私はそのオマケが楽しみでお使いは大好きでした。

関西でお肉と言えば「牛肉」で豚肉は「豚」です。
家内は埼玉育ちでお肉と言えば「豚肉」で牛肉は「牛(ギュウ)」だったそうです。
結婚して言葉の相違や誤解が沢山有り笑い話の種が尽きません。
所変われば品が変わり言葉も随分違う事が解りました。